委嘱新曲完成
2021年8月22日(日)、札幌駅構内にあった「ありんこ(おにぎり屋)」で作曲家藤嶋美穂さんとお会いし、新曲の作曲を依頼した。その新曲が昨日完成し、最後の一曲が届いた。 ......
久しく見る(聞く)価値なしと判断してご無沙汰していた国会中継を見た(聞いた)。首相の所信表明演説、それに対する代表質問、そして予算委員会などすべてではないがテレビ中継を視聴した。以前、なぜ無視していたかと言えば国会軽視の内容が視聴する価値無しと判断していたからである。全てが政府与党の方針通り国会を素通りしてしまう様を何年我慢させられたことか。国会不要とさえ感じたものである。さて、今国会はどうかと言えば、明らかに建設的な議論が展開されている。その理由は、自公連立政権が半数割れしたという現実があることが第一と言えようが、もう一つ総理大臣の姿勢、人柄にもあるように感じた。ただ単に低姿勢というだけではなく、過去何代かにわたる首相たちに比して石破さんには哲学があると聞いたのは私だけであろうか?今後の国会論戦、運営にも期待したい。
思いつくままに自説を書き綴る、文字通り独り言なので個人的見解であったり感想であったりという雑記帳のようなものである。(以前、時々「腑に落ちないこと」というタイトルで書いていたが、腑に落ちること?も含めての独白である)。今回は各種コンクールが一段落したようなので、コンクールについて独白してみる。
*日本人はコンクールが好き?という説を見聞きしたことがある。はたしてそうなのか?私は外国の状況について詳しくは知らないので、個人的には断定できない。ただ自分が歌い手として、指揮者として、審査員としてコンクールに参加していたことを振り返ると、全般的には心地よい思い出は無いような気がする。もちろん、高校生と共に何度か参加した全国大会の思い出などは忘れることはない。しかし、課題曲、自由曲を飽きるほど歌いこむあの経験は私の性分には適していなかったと今でも思っている(合唱団の力量アップには価値があることは当然であるが)。一方、定期演奏会は楽しかった。やはり、音楽は楽しむことが一番である。
審査員も長く経験してきたが、審査をしていてもっとも辟易したのは何十団体が出場していても1位から最下位まで順位をつけ、同点が許されないという方式であった。ごく最近やらせてもらった審査員では同点ありということで、一位を複数つけてしまい、もしかしてヒンシュクを買ったかもしれない(笑)
コロ・フェスタin姫路から早くも一週間が過ぎた。メインコンサートを全て聞いて「指揮者と演奏」について色々感じることがあったので、記憶が薄れないうちに記述しておくことにした。
「演奏の出来不出来は指揮者次第である」とはよく言われることであるが、反面「指揮者が立派でも演奏者がついていけてない」演奏もある。しかし、ステージで発表する以上は「指揮者も演奏者も最大限の練習を重ねて良い演奏をする」を目指して本番に臨んでいるはずである。そのような観点から31団体を聞いて大まかに3つに分類してみた。いずれにしても、指揮者は重要な役割を担っているということである。
1.良い指揮者の下でよい練習を重ねた完成度の高い立派な演奏。
2.どのような音楽に仕上げたいのか、指揮者の意図が感じられない演奏。
3.指揮者は立派(そう)だが、出てくる音楽に特徴が感じられない演奏。
久しぶりにコロ・フェスタに参加して、晴天下で繰り広げられた街角コンサート(残念ながら私は不参加)、もの凄い量のお酒のふるまいで盛りあがったコロナ禍明けの前夜祭、地元合唱団の多数参加でにぎわったメインコンサート等々、大成功で終始した姫路大会であった。しかし、私にはいつもの風景とは異なるものが一つあった。それは、誰がいなくてもこの人だけは必ずいるはずであり、コロ・フェスタの総本山とも言えるK山先生の姿が無かったことである。聞くところによれば、膝の手術を終えてリハビリに励んでいらっしゃるとのこと。帰宅後メッセージを送ったところ、お元気な返信をいただいた。一日も早い回復を願い再会を楽しみにしている。