青函連絡船の洞爺丸が遭難したのは70年前のきょうだ。僚船を含め計5隻が沈み、1400人を超える犠牲者を出す。20世紀ではタイタニック号の遭難に次ぐ世界第2の海難事故とされる。
<目を覆う七重浜の惨状 虚空をつかむ死者の手>。事故を速報した本紙号外が凄惨な現場の様子を記録する。台風15号(洞爺丸台風)は最大瞬間風速60メートルに迫る烈風を起こし、想像を絶する大しけをもたらす。生還者は1割強にとどまる。
船はなぜ出航し、大事故に至ったのか。出版から40年近くたつ坂本幸四郎著「青函連絡船ものがたり」が多くの教訓を伝える。坂本さんは通信士として別の連絡船に乗務し、危うく難を逃れた。
台風は時速110キロで進み、津軽海峡西方で速度を落として発達した。気象衛星や雨雲レーダーはなく予報が難しい時代である。空に一時広がった晴れ間が、「台風は通過した」という誤認を招いた。
船尾の開口部が大きく防水が不十分な船体構造、運航する国鉄の危機管理の不備も影響した。そして<大船は風波だけでは絶対に沈まない>という船乗りの過信があったー。坂本さんは自戒を込めた。
「迷走台風」が暴れた今夏の記憶は新しい。気象観測の精度や交通機関の安全性は格段に高まった。人知はそれでも自然の脅威にかなわぬことがある。洞爺丸事故は教える!