平成29年3月3日(金)、お昼過ぎにY子は家を出た。15時頃に市内某所で行われる行事に参加するためであった。岩見沢市の文化団体の一つである「交響詩岩見沢を歌う会」がS信用金庫から表彰を受けることになり、その式典の中でアトラクションとして「交響詩岩見沢」の一部を演奏し、紹介することになっていて、Y子が指揮を務めることになっていた。
家を出る時のやりとりを鮮明に覚えている。Y子「行ってきます!」、N樹「行っておいで。頑張りすぎて倒れるんでないよ(笑)」、Y子「大丈夫だよ(笑)」・・・Y子は元気良く出かけて行った。私は留守番をしていた。そして、数時間後、たしか15時30分前後であったと思うが、1本の電話が入った。「もしもしMですが、先生大変です!奥さんが倒れて今救急車の手配をしました。詳しくは又後ほどに。」なんと、M市長からの電話であった。
そして、間もなく別人からの電話が入った「先生、Sですけど、奥さんが倒れました。どうしましょうか?」慌てふためいている女性の声であったが、私も市長からの伝言の直後であり、慌てていた。「どうしましょうって言われても、今の私にはどうしようも出来ない。どこか病院へ運んで!」と、かなり険しい声で電話を切ってしまった。(ところが、Sさんは私の想定した人ではなく、合唱団KのS夫人であったことを後々知り、平身低頭したものである)
「さあ、どうしたものか?」と慌てながら、とにかく外出の用意をしていると、M市長から「先生、とりあえず救急車でI病院へ運びましたので、そちらへ向かって下さい。」とのことであった。私は、Y子が以前から「私に突然のことが起きた場合はこれを持って病院へ運んで下さい。」と用意してあったバッグを持って病院へ向かった。バッグの中身は、いわゆる入院グッズ一式であった。そして、病院へ着くと、アイリスの代表Tさん、同病院の看護師さんでありアイリス団員のTさんのお2人が付き添ってくれていた。主治医より、「現状では手術の必要はなく、今すぐ生命に関わるような症状ではない、しかし、数日間の経過を慎重に診る必要がある。」との報告を受けた。
こうして入院初日を終えたのだが、ご自身で救急車の手配までして下さったM市長、アイリス団員であるお2人のTさん、そして、電話連絡をいただきながら暴言を吐いてしまったSさん、その他ご心配、ご迷惑をお掛けしたみなさんにお礼とお詫びの思いを抱きつつも、あれこれ考えることが多過ぎてほとんど眠ることが出来ずに翌日を迎えた。
注:人名・固有名詞等についてはアルファベット・イニシャル表記とします。