goo blog サービス終了のお知らせ 

ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、ブログ開始しました

お姑の終末期に思うこと

2015年08月18日 14時25分22秒 | お気に入り
施設に入所しているお姑も、最近熱が上がったり下がったりを繰り返し、いよいよかなぁと思ったりしている。
そして、今になって思うのは、私はお姑に何をしてあげられたかということである。
家族でいろんな所に行ったし、温泉にも行った。
でも、一生懸命お世話をしたとは言えないだろう。
ある程度はお世話したが、つくしたとは言えない。

こういう場合、一生懸命つくした人は、後悔しないのだろうか?
相手の望むことをなんでも叶えてあげることを、つくすというのだが、つくすことは、自己満足に過ぎないのではないかと思うからだ。
お姑は、つくされて、望むことをなんでも叶えてもらって、それで満足するのだろうか。
確かに、なんでもやってくれて、ありがたいと思ってくれるだろう。
だけど、なんでもやってくれるということは、自分でなんとかやってみようとする事を阻止してしまう。
それは、お姑のためになる事なのだろうか?
相手を思うのなら、自分でできる事はやってもらい、どうしてもできない事だけを手助けする方が良いと思う。

なんだか、とりとめのない事を書いてしまったが、要するに、自分は相手のためにどれだけつくしたか、ではなく、自分は相手の成長のためにどれだけ役に立てたか が、重要だと思う。
そう考えると、お姑と全く違う価値観を持つ私は、お姑を悩ませ、困らせ、考えさせた点では、お姑の成長のために少しだけお役に立てたのかもしれない。






コメント