足立区と草加市をわける毛長川
埼玉県へ突入!
暫くすると、やたら黒人を見かける???
何故なんだ?
調べてみると、…
草加・新越谷等の駅周辺は黒人の人が出入りするアフリカ系の飲み屋が沢山あるらしい。
それだけ、黒人が多いということなんだろうけど、でも理由がわからん!
誰か、教えて欲しい!!
街道沿いにみかけた、大正モダンな家。
我が家の近くにも佐伯祐三の家があるけど、こんな感じだ。
新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館
なんだか、よく似てるね!
街道にふさわしい古い家(ただ、そんなに古くはないですね。昭和初期かな?)
街道に面し草加市役所のとなりに残る豪商大和屋(浅古半兵衞)
幕末から明治にかけての豪商で呉服屋や醸造業で栄え、そして全国2位の質屋になったんだそうです。
ここを足掛かりに、江戸店(だな)を麹町、浅草に出していったそうです。
これも古そうです。
ただ、草加宿には歴史的な建物はあまりないですね。
そうそう、草加宿というと大きな宿場町のような気がしますが、芭蕉が訪れたころの16世紀後半の草加宿は、戸数120軒(そのうち、旅籠が5~6軒)ほどの小規模な宿場町だったようで、農家ばかりのひなびた宿場町でした。
徐々に大きくなり、18世紀半ばぐらいには大宿場町になったようです。
ひなびていたのは次のような歴史があるからのようです。
----『俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡』より抜粋させていただきました-----
千住宿から越ヶ谷宿までの新旧ルート
河川は現在の呼称・流域で表示 徳川家康は慶長6年(1601年)から全国的に街道の整備を行ったが、当時、奥州街道の千住~越ケ谷間は、沼地が多いため遠回りを強いられ、花俣から八条(八潮市)に出て、古利根川と元荒川の自然堤防伝いに越ケ谷に出るという迂回ルートだった。
慶長11年(1606年)になって、宿篠葉村(松江町)の大川図書(ずしょ)が先頭に立ち、瀬崎から谷古宇にかけての低湿地を土、柳の木、葦などの草で埋め固め、草原を開いて、千住~越ケ谷間をほぼ一直線に結ぶ新往還道を築き上げた。このときの新道の築き方が「草加」という地名の由来とも言われる。
新道が完成するとこれを利用する旅人が急増し、新道沿いには茶店や旅籠屋など、旅人相手の商いを目指す人々が集いはじめ、活気ある町場が形成されていった。
こうして旅人が増大していく中で、人馬を千住から越ケ谷まで長距離継立てすることが困難となり、寛永7年(1630年)、草加は千住宿に次ぐ2番目の宿、千住宿と越ケ谷宿の「間(あい)の宿」として取り立てられることになった。これについては、草加に宿駅を置くよう幕府に願い出た大川図書の功績も伝えられている。
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本当の旧日光街道は図の赤線ルートだったようですね。
そのことを知りませんでしたので、今回は黒線ルートで走ってしまいました。
本陣もこれだけです。
藤城家住宅店舗(昭和初期の商家)
鉄枠で補強された里程標
こちらの本陣も記念碑だけ
以下、ウィキペディアより
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草加煎餅の発祥
うるち米が原料のせんべい。硬めでぱりっとした食感が人気である。草加煎餅の発祥については草加市の公式サイトでは、米を団子状にしてから乾燥させ保存食としていたものを、江戸時代に草加宿で販売したのが発祥としている。また、江戸時代に日光街道の草加宿にあった茶屋で売り出した団子の売れ残りを「おせんさん」という人物が団子を平たく伸ばして、それを焼いて売り出したとする俗説もある。
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というわけで、草加宿は煎餅屋がやたら多いですね。
こんなに多くて、共倒れしないのですかね?
どでかい煎餅の看板が目立つ
もともとは、醤油煎餅でなく塩だけをつけた塩せんべいだったようです。
煎餅は、子供の頃、西新井大師で手焼煎餅を作っているのをよく見ました。
網の上に焼かれた煎餅を長い箸でひっくり返し、土器のバレンみたいなもんで煎餅が曲がらないようにプレスし、最後に醤油にドップリ浸けるんです。
越谷市:伝統的手工芸品「こしがや手焼きせんべい」
草加宿神明庵
江戸末期の町屋建築ともいわれる旧久野家店舗の建物を利用した無料のお休み処
草加宿の総鎮守、宿篠葉神明神社(しゅくしのはしんめいじんじゃ)
幕末の頃には寺子屋が開かれていたというそうです。
芭蕉像
こちらにも芭蕉像
国指定の名勝、草加松原
旧日光街道の松並木が草加市北部の綾瀬川沿いに1.5kmに渡って続いてます。
道は石が敷かれているのですが、ワラーチの爪先が引っ掛かりそうで、忍者のような摺り足走法でなく、意識して足をあげて、上から踏みつける感じで走りました。
紐がゴム紐なんで引っ掛かっても紐が伸びてワラーチの爪先が曲がるだけで問題ないのですが、これが真田紐だったりすると、伸びないために、体がつんのめって前に倒れ、悶絶してしまいます。
年齢を考えると転倒だけは避けないといけません。
過去、真田紐で何度か危ない転倒を経験しています(笑)
今、ワラ…チは伸びない紐が主流のようで、革紐やパラシュートの紐あたりが流行りのようですが、自分は百均のゴム紐でしばらく行くつもりです。
ワラーチのジジババ楽々タイプみたいな感じですかね。
アメリカ合衆国出身の日本文学者ドナルド・キーンの奥の細道の碑
この辺りで、暑くて疲れました。
新田という駅が近くでしたので、ここから帰りました。
風呂屋も行かず、コンビニでビールも飲まず、帰りました。
何故なら、この後、四ツ谷で飲み会があるからなのでした。
(四ツ谷の塩湯に入り、飲み会に直行)
(おわり)
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