石仏石塔群(誰かが野の花を供えていた)
杉並木
安政遠足(あんせいとおあし)の図
これは街道沿いの貯水塔であるのですが、
中仙道を疾走する安中藩士
の姿が描かれていました。
-----安政遠足-----ウィキペディアより
安政遠足(あんせいとおあし)とは、1855年(安政2年)、安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走。
この時の時間や着順は、1955年(昭和30年)に碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されているものの、これは走者に意義を持たせることが目的で、順位やタイムは重要視されていなかった。ゴールした者には餅などがふるまわれたという。
安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている。
当時は碓氷峠で中間ラップが聞かされた。峠を越えた後は登山道に入り、総走行距離は30キロメートル程度ながら最終的にスタートとゴールの標高差は1000メートル以上ある。
1975年(昭和50年)からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2日曜日に開催されている。仮装をしながら走れることが特徴であり、毎年参加者の半数以上はなんらかの仮装をしているという。しかし、それゆえ東日本大震災が起こった2011年は不謹慎であるという理由で大会は中止になった。
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ちょっと、面白そうな大会だと思いました。
いつか、「バカボンのパパ」で挑戦してみようと思います。
(ただ、後日分かったのですが、坂本宿前の真っすぐな中仙道上り坂、そして碓氷峠の山道は厳しいです!
ワラーチだと山道の泥濘で滑りまくりですね?)
蔵の隣に母屋があったのか、屋根の跡だけ残ってますね。
「とおあし最中」の小野屋
どんな最中なんだろうか?
やはり、お盆で店は開いてません。
原市八本木地蔵堂
-----安中市教育委員会説明版より-----
地蔵堂の本尊・地蔵菩薩像は、頭は円頂(剃った坊主頭)で 体には袈裟と衣を着用し普通の僧侶の姿をしている。 秘仏として御開帳を百年目ごとにする定めとなっており、 霊験あらたかで日本三地蔵の一つであるといわれている。
様式は田舎造りで素朴の中に威厳と気品を備え、頭頂が偏平になっていることなどから造像された年代は室町時代初期のものとみられる。
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ウィキペディアで調べたら日本三大地蔵は以下でしたが、ここのお地蔵様は入っていません。
岩船地蔵尊(栃木県栃木市)
木之本地蔵尊(滋賀県長浜市)
猿羽根山地蔵尊(山形県船形町)
でも、そんなこと誰が決めたんでしょうかね。
信ずるものにはどうでもいいことですが・・・。
その脇に並ぶ石塔群
何故か、骨組みだけの家(謎?)
いったいなんでしょうかね?
原市小学校郷原分校
みた感じでは廃校された分校のように見えました。
結構、立派な建物だけに寂しい感じです。
この近辺に一里塚があったようです。
県道から外れて、旧中仙道はこの道をいく。
ワラーチでペタペタ走ってます。
いつも、こんな感じの速度で旅ランしてます。
最後のほうに古い石仏石塔群がみられます
景色が素晴らしく良かったところ
写真ではよくわかりませんが、下には碓氷川が流れています。
ここでしばらく休み、今回は松井田で終了することにしました。
次回、ここからの出発なので、松井田宿~坂本宿の約9キロを走ったのち碓氷峠越えになるので、ちょっと大変ですが、何とかなるでしょう。
銅板葺きの立派な家
(松井田宿仲町交差点から駅に向かう途中で)
松井田駅
今日は雨の中を走り、蒸し暑かったこともあって汗を多く流しました。
シャツが濡れていて、このまま電車に乗るのは失礼なので駅舎の下にある水道で上半身はだかになり、気持ち良い冷たい水で汗を流しました。
電車が来るまでまだ時間があるので、人はおらず、人目が気になるようなことはありません。
さらにトイレで全部着替えてサッパリ。
難点は近くにお店というものは全くないということで、ビールを飲みたいと思ってもダメなのでありました。
高崎駅までお預けです。
(おわり)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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安政遠足(あんせいとおあし)の図
これは街道沿いの貯水塔であるのですが、
中仙道を疾走する安中藩士
の姿が描かれていました。
-----安政遠足-----ウィキペディアより
安政遠足(あんせいとおあし)とは、1855年(安政2年)、安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせた徒歩競走。
この時の時間や着順は、1955年(昭和30年)に碓氷峠の茶屋で発見された『安中御城内御諸士御遠足着帳』に記されているものの、これは走者に意義を持たせることが目的で、順位やタイムは重要視されていなかった。ゴールした者には餅などがふるまわれたという。
安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられている。
当時は碓氷峠で中間ラップが聞かされた。峠を越えた後は登山道に入り、総走行距離は30キロメートル程度ながら最終的にスタートとゴールの標高差は1000メートル以上ある。
1975年(昭和50年)からは「安政遠足 侍マラソン」が毎年5月第2日曜日に開催されている。仮装をしながら走れることが特徴であり、毎年参加者の半数以上はなんらかの仮装をしているという。しかし、それゆえ東日本大震災が起こった2011年は不謹慎であるという理由で大会は中止になった。
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ちょっと、面白そうな大会だと思いました。
いつか、「バカボンのパパ」で挑戦してみようと思います。
(ただ、後日分かったのですが、坂本宿前の真っすぐな中仙道上り坂、そして碓氷峠の山道は厳しいです!
ワラーチだと山道の泥濘で滑りまくりですね?)
蔵の隣に母屋があったのか、屋根の跡だけ残ってますね。
「とおあし最中」の小野屋
どんな最中なんだろうか?
やはり、お盆で店は開いてません。
原市八本木地蔵堂
-----安中市教育委員会説明版より-----
地蔵堂の本尊・地蔵菩薩像は、頭は円頂(剃った坊主頭)で 体には袈裟と衣を着用し普通の僧侶の姿をしている。 秘仏として御開帳を百年目ごとにする定めとなっており、 霊験あらたかで日本三地蔵の一つであるといわれている。
様式は田舎造りで素朴の中に威厳と気品を備え、頭頂が偏平になっていることなどから造像された年代は室町時代初期のものとみられる。
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ウィキペディアで調べたら日本三大地蔵は以下でしたが、ここのお地蔵様は入っていません。
岩船地蔵尊(栃木県栃木市)
木之本地蔵尊(滋賀県長浜市)
猿羽根山地蔵尊(山形県船形町)
でも、そんなこと誰が決めたんでしょうかね。
信ずるものにはどうでもいいことですが・・・。
その脇に並ぶ石塔群
何故か、骨組みだけの家(謎?)
いったいなんでしょうかね?
原市小学校郷原分校
みた感じでは廃校された分校のように見えました。
結構、立派な建物だけに寂しい感じです。
この近辺に一里塚があったようです。
県道から外れて、旧中仙道はこの道をいく。
ワラーチでペタペタ走ってます。
いつも、こんな感じの速度で旅ランしてます。
最後のほうに古い石仏石塔群がみられます
景色が素晴らしく良かったところ
写真ではよくわかりませんが、下には碓氷川が流れています。
ここでしばらく休み、今回は松井田で終了することにしました。
次回、ここからの出発なので、松井田宿~坂本宿の約9キロを走ったのち碓氷峠越えになるので、ちょっと大変ですが、何とかなるでしょう。
銅板葺きの立派な家
(松井田宿仲町交差点から駅に向かう途中で)
松井田駅
今日は雨の中を走り、蒸し暑かったこともあって汗を多く流しました。
シャツが濡れていて、このまま電車に乗るのは失礼なので駅舎の下にある水道で上半身はだかになり、気持ち良い冷たい水で汗を流しました。
電車が来るまでまだ時間があるので、人はおらず、人目が気になるようなことはありません。
さらにトイレで全部着替えてサッパリ。
難点は近くにお店というものは全くないということで、ビールを飲みたいと思ってもダメなのでありました。
高崎駅までお預けです。
(おわり)
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