スカッとした紺碧の空と妙義山塊
東京から一番早く着ける方法をネットでしらべ、朝8時過ぎに松井田駅に着くことができました。
碓氷峠を越えるまで松井田駅からはコンビニもなく、普通の食料店、飲食店もないので東京のコンビニで食料調達し、飲料水は碓氷峠の入り口から軽井沢まで自動販売機はありませんので、峠入口の手前の坂本宿にて最終調達する予定にしました。
ただ、横川駅には峠の釜めしの「おぎのや」があるので、そこで食事をするという方法もあります。
(なお、碓氷峠入り口近くについ最近まで、ヤマザキパンのコンビニがありましたが、今は閉店されています。
とにかく、旧中仙道沿いに忠実に行動すると、全く店はないです。
一般国道にはコンビニはありますが、旧中仙道は昔の面影があって、素晴らしいので、そちらを歩かれたり走られたりすることをお勧めします。)
さて、・・・
天気は文句のつけようがない最高の日本晴れ!
今日は碓氷峠を越えて沓掛宿(中軽井沢)までジョグするつもりです。
距離にして約25km、標高差約700mくらいでしょうか?
沓掛宿では、生まれて初めてのドミトリーに泊ります。
そして、翌日は岩村田宿まで(約下りの16km)走り、近くの佐久平駅でスパに入って、一杯やったのち帰京するという計画を立てました。
安中市松井田商工会(昭和14年築)
実に立派な建物です。
この辺りは昔、景気が良かったんでしょうね。
いまは、その片鱗も見られず、人影の少ない寂しい宿です。
安中署松井田分庁舎手前の分岐
県道33号線から、ここで斜め左の坂を下ります。
素晴らしい妙義山塊の景色に見とれてしまい、ちょっと行き過ぎてしまいました。
最高の天気、爽やかな風もあって、気持ちいい。
足取り軽やかです。
(今回は峠越えに備え、ワラーチはやめました。)
大きな岩の上に安置されたお地蔵さん
男女双体道祖神
夜泣地蔵・茶釜石
手前の小さな石がたくさんのっている大きな石が茶釜石で、叩くと中に空洞があるように思うのですが独特な音がします。
-----立て看板より-----
夜泣地蔵
昔、馬方が積荷のバランスを取るために、道路わきに落ちていた地蔵の首を拾い、一緒に馬で運び深谷まで行った。積荷を降ろしたので不必要になった地蔵の首を捨ててしまった。
すると夜な夜なその首が「五料恋しや」と泣くので、深谷の人が五料まで戻して地蔵の胴の上に乗せたところ泣き止んだ。
それから夜泣き地蔵と言うようになった。
茶釜石
この石は、もと中山道丸山坂の上にあったものです。
たまたまここを通りかかった太田蜀山人は、この石をたたいて珍しい音色に、
即座に次のような狂歌を作った。
御料(五両)では、あんまり高い(位置が高い山の上)茶釜石
音打(ねうち=値打ち)を聞いて通る旅人
----------
中仙道らしくノンビリとした感じの馬頭観音
JR信越本線の脇をジョグ
御所平踏切
旧中仙道はこの信越本線下り線の踏切を渡り、さらに上り線を渡り、すぐその先の国道18号線を渡り、右斜めに下る細い道を行くのですが、・・・。
なんと、この踏切を渡っても何故か上り線には踏み切がなくて、線路内に入らなければ渡れず、また、国道に出るにはガードレールを跨ぐか、隙間を通るしかならないのです。
???
そして、踏切を渡った上り線のところには「線路内に立ち入らないでください」という看板が立っていて、・・・
この踏切って何なんでしょうか?
何のためにある踏切なんですかね?
ごめんなさい。
渡ってしまいました。
それにしても、この踏切、危険なので廃止しても良いのではないかと思いました。
多少、遠回りしても構いません。
百合若大臣(ゆりわかだいじん)の足痕石
どうみても、その辺の単なる凹みのある石ころにみえます。
-----説明版より-----
この石は、百合若大臣が強弓を射たときに、足で踏み潰したので、石の上が凹んだと言われています。
その昔、百合若大臣という大男の若者がいて、力も相当あったらしく、大きな弓と長い矢で川向こうの山に向け「よし、あの山の首あたりを射抜いてみよう」と思いつき、満身の力を込めて射放った。
その時、後足を踏ん張っていたのが、この石という。
それを見て、家来の一人も負けじと思い、腰にぶら下げていた弁当のむすびを力いっぱい放り投げ、山には二つの穴があいた。
それで今でも、二つ穴が、ここから見ると夜空の星のように見え、この山を「星穴岳」と呼ぶようになったという。
百合若大臣がその時使った弓矢が妙義神社に奉納されている。
----------
百合若大臣って誰なんでしょうか?
-----百合若大臣-----ウィキペディアより
百合若大臣が弓を放つ図。 深谷宿 (1852年).
百合若大臣(ゆりわかだいじん)は、百合若という名の武者にまつわる復讐譚。これを題材にした幸若舞、それを読み物として流布させた版本(「舞の本」)、人形を使った説経操り、浄瑠璃(室町後期~江戸時代)などがあり、日本各地、特に大分県や壱岐に伝説として伝わる。
百合若大臣は、蒙古襲来に対する討伐軍の大将に任命され、神託により持たされた鉄弓をふるい、遠征でみごとに勝利を果たすが、部下によって孤島に置き去りにされる。しかし鷹の緑丸によって生存が確認され、妻が宇佐神宮に祈願すると帰郷が叶い、裏切り者を成敗する、という内容である。
----------
上の説明ではよくわかりません。
ブリタニカ国際大百科事典で調べたら
-------百合若-------
ゆりわか
九州地方をはじめ全国的に伝承されている説話の主人公。
伝承地によって話に異同があり,壱岐島に伝わるものでは桃から生れた百合若が鬼ヶ島に鬼退治に行き,帰りが遅くなったため彼を知る者はすでに世になく,人々の信を得られなかったが,幸いに百合若しか乗りこなせないという馬が国王の馬のなかにあって,これに乗ってみせたためにあかしがたち,晴れて国王の娘と結ばれるというもの。
また沖永良部島に伝わるものは,家臣の悪計により無人島に置去りにされた百合若が,沖を通りかかった船に助けられて故郷へ帰り,苦心の末,機会を得て裏切り者を射殺し,捕われていた妻を救い出して,再びむつまじく暮したというものである。
この説話を題材として,のちに『百合若大臣』などの幸若舞,歌舞伎脚本の「百合若物」が生れた。
----------
そこで更に調べたら、具体的に鹿児島県の民話がありました。
→民話の部屋、百合若大臣(音声で民話が聞けます。)
峠の釜めし おぎのや
ここでユックリ食事したかったのですが、まだ9時過ぎであり、また碓氷峠越えが気になっていましたので先を急ぎました。
店の横を過ぎた時に釜めしの良い匂いがしましたけど。
古い話ですが、昭和42年、池内淳子主演の連続ドラマでフジテレビ土曜劇場『釜めし夫婦』というのがあり、この経営者夫婦がモデルであったそうです。
武井茶屋本陣跡
まだ、実際に住んでいる人がいました。
「この先にある碓氷関所を通る大名が、 旅の支度を正装に着替える場所」として設けられたということです。
碓氷関所跡
その関所跡から霧積橋に向かうとき、鉄道軌道のアンダーパスを通過するのですが、電気機関車が停車しておりました。
EF63形電気機関車
碓氷峠鉄道文化むらの機関士体験用の機関車の様です。
どんな体験ができるのか、調べました。
とても、素人には思えない出来です。
(つづく)
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東京から一番早く着ける方法をネットでしらべ、朝8時過ぎに松井田駅に着くことができました。
碓氷峠を越えるまで松井田駅からはコンビニもなく、普通の食料店、飲食店もないので東京のコンビニで食料調達し、飲料水は碓氷峠の入り口から軽井沢まで自動販売機はありませんので、峠入口の手前の坂本宿にて最終調達する予定にしました。
ただ、横川駅には峠の釜めしの「おぎのや」があるので、そこで食事をするという方法もあります。
(なお、碓氷峠入り口近くについ最近まで、ヤマザキパンのコンビニがありましたが、今は閉店されています。
とにかく、旧中仙道沿いに忠実に行動すると、全く店はないです。
一般国道にはコンビニはありますが、旧中仙道は昔の面影があって、素晴らしいので、そちらを歩かれたり走られたりすることをお勧めします。)
さて、・・・
天気は文句のつけようがない最高の日本晴れ!
今日は碓氷峠を越えて沓掛宿(中軽井沢)までジョグするつもりです。
距離にして約25km、標高差約700mくらいでしょうか?
沓掛宿では、生まれて初めてのドミトリーに泊ります。
そして、翌日は岩村田宿まで(約下りの16km)走り、近くの佐久平駅でスパに入って、一杯やったのち帰京するという計画を立てました。
安中市松井田商工会(昭和14年築)
実に立派な建物です。
この辺りは昔、景気が良かったんでしょうね。
いまは、その片鱗も見られず、人影の少ない寂しい宿です。
安中署松井田分庁舎手前の分岐
県道33号線から、ここで斜め左の坂を下ります。
素晴らしい妙義山塊の景色に見とれてしまい、ちょっと行き過ぎてしまいました。
最高の天気、爽やかな風もあって、気持ちいい。
足取り軽やかです。
(今回は峠越えに備え、ワラーチはやめました。)
大きな岩の上に安置されたお地蔵さん
男女双体道祖神
夜泣地蔵・茶釜石
手前の小さな石がたくさんのっている大きな石が茶釜石で、叩くと中に空洞があるように思うのですが独特な音がします。
-----立て看板より-----
夜泣地蔵
昔、馬方が積荷のバランスを取るために、道路わきに落ちていた地蔵の首を拾い、一緒に馬で運び深谷まで行った。積荷を降ろしたので不必要になった地蔵の首を捨ててしまった。
すると夜な夜なその首が「五料恋しや」と泣くので、深谷の人が五料まで戻して地蔵の胴の上に乗せたところ泣き止んだ。
それから夜泣き地蔵と言うようになった。
茶釜石
この石は、もと中山道丸山坂の上にあったものです。
たまたまここを通りかかった太田蜀山人は、この石をたたいて珍しい音色に、
即座に次のような狂歌を作った。
御料(五両)では、あんまり高い(位置が高い山の上)茶釜石
音打(ねうち=値打ち)を聞いて通る旅人
----------
中仙道らしくノンビリとした感じの馬頭観音
JR信越本線の脇をジョグ
御所平踏切
旧中仙道はこの信越本線下り線の踏切を渡り、さらに上り線を渡り、すぐその先の国道18号線を渡り、右斜めに下る細い道を行くのですが、・・・。
なんと、この踏切を渡っても何故か上り線には踏み切がなくて、線路内に入らなければ渡れず、また、国道に出るにはガードレールを跨ぐか、隙間を通るしかならないのです。
???
そして、踏切を渡った上り線のところには「線路内に立ち入らないでください」という看板が立っていて、・・・
この踏切って何なんでしょうか?
何のためにある踏切なんですかね?
ごめんなさい。
渡ってしまいました。
それにしても、この踏切、危険なので廃止しても良いのではないかと思いました。
多少、遠回りしても構いません。
百合若大臣(ゆりわかだいじん)の足痕石
どうみても、その辺の単なる凹みのある石ころにみえます。
-----説明版より-----
この石は、百合若大臣が強弓を射たときに、足で踏み潰したので、石の上が凹んだと言われています。
その昔、百合若大臣という大男の若者がいて、力も相当あったらしく、大きな弓と長い矢で川向こうの山に向け「よし、あの山の首あたりを射抜いてみよう」と思いつき、満身の力を込めて射放った。
その時、後足を踏ん張っていたのが、この石という。
それを見て、家来の一人も負けじと思い、腰にぶら下げていた弁当のむすびを力いっぱい放り投げ、山には二つの穴があいた。
それで今でも、二つ穴が、ここから見ると夜空の星のように見え、この山を「星穴岳」と呼ぶようになったという。
百合若大臣がその時使った弓矢が妙義神社に奉納されている。
----------
百合若大臣って誰なんでしょうか?
-----百合若大臣-----ウィキペディアより
百合若大臣が弓を放つ図。 深谷宿 (1852年).
百合若大臣(ゆりわかだいじん)は、百合若という名の武者にまつわる復讐譚。これを題材にした幸若舞、それを読み物として流布させた版本(「舞の本」)、人形を使った説経操り、浄瑠璃(室町後期~江戸時代)などがあり、日本各地、特に大分県や壱岐に伝説として伝わる。
百合若大臣は、蒙古襲来に対する討伐軍の大将に任命され、神託により持たされた鉄弓をふるい、遠征でみごとに勝利を果たすが、部下によって孤島に置き去りにされる。しかし鷹の緑丸によって生存が確認され、妻が宇佐神宮に祈願すると帰郷が叶い、裏切り者を成敗する、という内容である。
----------
上の説明ではよくわかりません。
ブリタニカ国際大百科事典で調べたら
-------百合若-------
ゆりわか
九州地方をはじめ全国的に伝承されている説話の主人公。
伝承地によって話に異同があり,壱岐島に伝わるものでは桃から生れた百合若が鬼ヶ島に鬼退治に行き,帰りが遅くなったため彼を知る者はすでに世になく,人々の信を得られなかったが,幸いに百合若しか乗りこなせないという馬が国王の馬のなかにあって,これに乗ってみせたためにあかしがたち,晴れて国王の娘と結ばれるというもの。
また沖永良部島に伝わるものは,家臣の悪計により無人島に置去りにされた百合若が,沖を通りかかった船に助けられて故郷へ帰り,苦心の末,機会を得て裏切り者を射殺し,捕われていた妻を救い出して,再びむつまじく暮したというものである。
この説話を題材として,のちに『百合若大臣』などの幸若舞,歌舞伎脚本の「百合若物」が生れた。
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そこで更に調べたら、具体的に鹿児島県の民話がありました。
→民話の部屋、百合若大臣(音声で民話が聞けます。)
峠の釜めし おぎのや
ここでユックリ食事したかったのですが、まだ9時過ぎであり、また碓氷峠越えが気になっていましたので先を急ぎました。
店の横を過ぎた時に釜めしの良い匂いがしましたけど。
古い話ですが、昭和42年、池内淳子主演の連続ドラマでフジテレビ土曜劇場『釜めし夫婦』というのがあり、この経営者夫婦がモデルであったそうです。
武井茶屋本陣跡
まだ、実際に住んでいる人がいました。
「この先にある碓氷関所を通る大名が、 旅の支度を正装に着替える場所」として設けられたということです。
碓氷関所跡
その関所跡から霧積橋に向かうとき、鉄道軌道のアンダーパスを通過するのですが、電気機関車が停車しておりました。
EF63形電気機関車
碓氷峠鉄道文化むらの機関士体験用の機関車の様です。
どんな体験ができるのか、調べました。
とても、素人には思えない出来です。
(つづく)
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