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旧中仙道ランニング「中仙道走膝痛シ」・・・熊谷宿~本庄宿(その3)

2016年10月19日 | 中山道走膝痛シ(旧中山道ランニング)


浄土宗、東源寺に寄ってみた。


江戸時代の中頃の俳人、菊図坊祖英(きくとぼうそえい)の辞世の句の塚がある
「死ぬ事を知って死ぬ日やとしのくれ」
祖英は加賀国大聖寺出身の行脚俳人. 深谷に暫く仮寓.
明和五年 (1768年) 正月六日. 利根川に入水死. 享年. 五十四
安永3年(1774年)3月、菊図坊祖英追善のために『俳諧菊の露』刊行。


深谷の地名は、この唐沢川の深い谷に由来している。
 


今日のシューズはHOKA ONEONEである。



右足の親指の脇が靴と擦れて痛い。
靴を脱ぐと、小さな水ぶくれができていた。
靴紐が徐々に緩んでしまったようだ。
早速、水ぶくれを潰し、バンドエイドを貼った。



深谷宿は中山道で大規模の宿場、そして、街道一の遊女の町である。
人工では4番目だが、「飯盛り女」の数では街道随一であった
(飯盛女(めしもりおんな);表向きは宿屋の女中が、半ば公然と夜のお相手をしていた宿場女郎。)

酒と女を愛す放蕩無頼の人、英泉の浮世絵も、ズバリ飯盛り女である。

夜の町、深谷なのであるが、それには、ちょっとした理由がある。

深谷宿は江戸から出発して丁度2日目の宿場町であること、前の宿場の熊谷宿は近隣の村人の強い反対で飯盛り女を置くことを禁止しているからだ。
スケベでタフな男は、熊谷宿でなく、もう少し歩いて深谷宿までいくのだ。


英泉画 『岐阻街道 深谷之駅』



煉瓦の『うだつ』の商家を発見した。


「深谷」は実業家「渋沢栄一」の生地であるが、その渋沢栄一が明治20年に設立した日本で最初の煉瓦製造工場があった地でもある。
だから、あちらこちらで赤レンガ造りの建物をみた。


煙突もレンガ造りだ。


その煙突は、江戸時代からの造り酒屋「七つ桜」看板の田中屋のものだ。
だが、今は豆腐屋になっているように思われる。
「七つ桜」というお酒を調べてみたが、まったく見つからない。

なお、この辺りに江戸から18番目の一里塚があるはずなのだが、それがどこにあったのか、行方不明らしい。
昔の文献にも載っていないのだそうだ。




こちらは「菊泉」の蔵元、滝澤酒造だ。
お店の間にある路地が、時代を感じさせる。
銭形平次が出てきそうだ。
写真では逆光でよく見えないが、此方の煙突もレンガ造りであった。




常夜灯(中山道筋最大級、高さ約4m)と、吞龍院


吞龍上人(写真はお借りしました)

呑竜(どんりゅう:武蔵国埼玉郡一ノ割村の生まれ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての浄土宗の僧であるが、当時、多くの子どもが間引かれて殺されていたことを悲しみ、これらの子どもを弟子として引き取って育てたため、後世の人々から子育て呑龍と慕われた。

群馬県太田市の大光院が、吞龍の寺としては有名で、通称「子育て呑龍(こそだてどんりゅう)」といわれているらしい。
だから、ここは、その支店みたいなお堂だ。
中には4体の子守り地蔵尊安置されているのだが、理由がある。

これは深谷地震(昭和6年埼玉県下をおそった地震、M6.9)の際、この辺りにあった旧富国館製糸工場の赤煉瓦造りの煙突が倒れ、その下で遊んでいた子どもが数人無残に即死、あるいは重傷を負ったが、この供養のため祀られたものだ。

レンガ造りは地震に弱いのだ。
さきほどの菊泉の煙突は、その時倒壊しなかったらしい。
というのも、煙突壁の厚さが1mほどあったからだ。
それでも、現在は煙突の周りを補強材が囲っていた。


(写真は職人の遺した仕事よりお借りしました。)

また、地震大国のネパールでおきたネパール地震(2015年)でも、多くのレンガ造りの建物が壊れている。
レンガ造りが多いのは補強材を入れなければ安い建設費ですむからだ。

ただ、地震が起きた場合は日本の木造住宅より被害は大きくなる。
なぜなら、レンガはバラバラに崩れ、倒れた家屋の中に、生存できる可能性のある空間がないからだ。

『三匹の子ぶた』は地震大国では通用しないのである。

JR深谷駅も東京駅ソックリのレンガ造りのようにはなっているが、実際は、壁にれんが風のタイルを張ったものである。





宿根の瀧宮神社
社殿の屋根の修理中であった。
もしかすると、社殿建て直しかもしれない。



深谷には、もう一つ瀧宮神社がある。
深谷駅のすぐそばの西島にあり、そちらの方が有名である。
両社の間は直線距離にして1.6Kmしかない。
どちらも、湧き水に関連している神社であるが、兄弟神社ではないようだ。

なぜなら、御祭神が全く違うのだ。

宿根・瀧宮神社が

   伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 
   伊弉冉命(いざなみのみこと)

西島・瀧宮神社は

   天照大御神(あまてらすおおみかみ)
   豊受大御神(とようけのおおみかみ)
   彦火火出見尊(ひこほほいでみのみこと)

(つづく)



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