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旅ラン「日光道中膝痛シ」…(小山宿~雀宮宿)その2

2018年10月15日 | 日光道走膝痛シ(旧日光街道ランニング)

さて、ココは小さな宿場町、日本橋から数えて13番目の新田宿あたりです。


  
    


堂々とした立派な家

思わず写真を撮ってしまいました。


喜沢の追分にある石碑群

ここでは日光西街道、日光街道、旧日光街道にわかれていますが、旧日光街道は昔の旧道を市の偲ばせる細い道になりました。
(左の道は日光西街道)


左が日光街道で右が旧日光街道

国道を外れ、昔の細い道が嬉しいのです!


喜沢一里塚

東塚は盛土の跡が辛うじて残っていましたが、近所の方も行政も保存しようという気持ちが全くないように感じられる一里塚でした。

そのうち、消えて無くなりそうです。

せめて、説明の看板ぐらいあっても良さそうですが、…。


天守閣のように建てた家



高架線路沿いに進みます

旧道は線路の反対側に沿ってありましたが、今は跡形もないです。

時々、横長の雑木林がみえるので、あの中辺りを通っていたのかな?と想像しながら走りました。


旧道は斜め左に進みますが、目印らしきものはありません。

スマホのGPSアプリがなければ、全く分からない旧街道。

私はiPhoneを使っているのですが、GroundーBase社の五街道を歩くシリーズのうち、日光道中二十一次を使用しています。



便利で、これさえ利用していれば道を間違えることはありません。

ただし、観光案内の情報が乏しいです。

是非とも、改良を望みます。


これまた、堂々とした立派な家ですね。



巨大な庭石が置かれた家

運ぶだけで相当なお金がかかりそうです。

しかし、新田宿は立派な家が多いですね。


新田宿の本陣跡

なんとなく、それらしき門が建ってました。


奥に進むにつれて新しい建物になる家

これも余裕があって立派な家です。


橿原神社(参道は桜のアーチでした。)

元は星宮神社というロマンチックな名で呼ばれていたみたいなのですが、明治維新後に旧幕藩体制から新政府体制への転換期に、神武天皇を讃えようという動き(神武創業への回帰)があって、橿原神社に変わったようです。

時代ですかね。

それにしても、ほしのみやとは、なんて響きの良い名前なんでしょうか!


星宮(ほしのみや)はズバリ、北極星信仰(北斗信仰)をさしているらしいです。


私なりにG-mapで調べたら関東には星宮神社が沢山あるみたいでした。

さらに調べていくと、この星宮神社を調べた人を発見しました。

星宮神社巡りというブログがあったんです。

その方によると、この橿原神社のように改名してしまった神社も含めると栃木県に約300社!だそうです。


星宮神社巡りより

この北斗信仰は平将門、また藤原秀郷とタッグを組んで将門を征伐した平貞盛など坂東八平氏(ばんどうはちへいし)が大切にしていた信仰です。

----坂東八平氏-----ウィキペディアより

坂東八平氏(ばんどうはちへいし)は、平安時代中期に坂東(関東地方)に下向して武家となった桓武平氏流の平良文を祖とする諸氏。
八つの氏族に大別されていたため、「八平氏」と呼ばれ、武蔵国周辺で有力武士団を率いた代表格の家門である。
---------


ですから、この栃木県に星宮神社が多くあるのは当然と言えば当然ですね。

星宮神社のお使い(神使)は鰻なのですが、狛犬ならぬ狛鰻はありませんでしたね。

鰻は水神であり、この辺りも鬼怒川と思川に挟まれた土地ですから、やはり水害と関係していた土地なのではないでしょうか?


桜のアーチの下を走ってみました。




突然に人々に忘れ去られたような旧日光街道になりました。

家の裏手にあるような、ほとんど人気のない道になりました。


その脇に立つ仏塔群

仏塔の後ろは街道ではありません。



小金井宿入ります。


小金井一里塚(江戸、日本橋から22里の地点)

これほど見事な一里塚は初めて見ました。

この間を旧日光街道は通っていたのですが、ご覧の通り行き止まりです。

当時の道幅がわかりますね。


東塚の全貌がこれだ!

きい





裸の大将?(弥勒菩薩の化身、布袋尊ですかね?)が街道沿いに座ってました。

ココは徳川将軍家日光社参小休所・御昼食所の慈眼寺(じげんじ)入り口です。


参道脇の仏塔群


山門


立派な江戸時代の三間四面朱塗りの観音堂


扉が立派です!


総欅造りで江戸時代建立の鐘楼堂

観音堂と鐘楼堂以外は明治初年の火災で焼失しています。


本堂

そして、その慈眼寺の脇に金井神社が鎮座していました。


小金井宿の鎮守、金井神社(ここも元は星宮神社です。


金井神社本殿(下野市文化財バーチャルミュージアムより)…一間社三方入母屋造り、(1830~50年代)の制作


古い見世蔵(店蔵…土蔵造りの商家)

明治初期に建てられた呉服屋らしいです。


これも古い見世蔵

老朽化が著しいが、なんとかならないものでしょうか?


その見世蔵前にある小金井宿の本陣跡

この門から出てくるのは、自分のイメージ感覚としては「破れ傘刀舟」あたりでしょうか?

「てめえら人間じゃねえや!」
「叩っ斬ってやる!」


萬屋錦之介の名セリフ、覚えてますか?

Yaburegasa Toshu Akuningari Op2


(つづく)


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