町屋からなるべく都電にはなれないように走ります。
そうすると荒川自然公園のある荒川2丁目につきます。
そこには友人の会社があるのですが、日曜日で休みでした。
(最高に良い立地条件の場所ですね。)
荒川自然公園は私は知りませんでした。
子供のころ、こんな最高の遊び場があれば絶対に知っていたはずですが、調べてみたら昭和49年ぐらいから徐々にできていったみたいで、そのころ私はバンバンの「いちご白書をもう一度」を聞きながら大学に通っていました。
だから、知らないのは当然です。
僕らの頃は、あったのは団地の小さな公園ぐらいで、むしろ「原っぱ」といった大きな空き地でよく遊びました。
缶けりや馬跳び、水雷艦長、エスケン(S)、カタ、ベーゴマ、メンコ、チェーリング、ビー球遊び、皆お金はないけど遊びの天才でしたね。
(ベーゴマは大人のプロがいました。子供相手に勝負してベーゴマを巻揚げ、そのベーゴマを子供にまた売るんです。おそらく、町のチンピラだったんでしょうが、子供のケンカの仲裁とか、ケンカの作法とか、ときには駄菓子をおごってくれたりとか、結構、僕らの中では信頼のおける大人でした。)
学校では巨人の長島人気もあり野球がはやってましたが、僕は目が悪いので苦手でした。
だから、好きなのはドッチボール。
あれは子供の格闘技でした。
特に別のクラスと試合するときは、必ず罵声を浴びせながらなげるんです。
「てめぇ、この野郎!」とか、「ばっきゃろー」とか、大声で言いながら、相手に目一杯の力で投げるんです。
そして、目一杯投げてきたやつをガシッと受け止めるときの快感!
そして、その球を投げてきた奴に敢えて投げかえす快感!
最高に楽しかったなぁ…。
???
話は完全にコースアウトしてしまいました。
まあ、私自身が「人生色々、常に七転八倒、しばしばコースアウト!」なので仕方ないかぁ。
そうこうするうちに。最終地点の三ノ輪についてしまいました。
ここでランニングは終了です。
自宅から学習院下を経て三ノ輪まで、正味で18.5km、2時間22分でした。
なんだか、終わってしまうのは寂しい感じがしましたね。
次回走る時は、ここから浅草の方まで足を延ばしてもいいかなと思います。
元浅草には僕の卒業した高校がありますから、そこへ寄って最後はやはりアメ横により、居酒屋大統領によって御徒町から電車で帰るというプランにしようと思います。
そこまで走れば30kmに近ずくでしょう。
上の左の写真は貸切の都電です。なんか、結婚式の2次会?みたいなことを都電の中でやるみたいでした。
三ノ輪にはジョイフル三ノ輪という古いアーケード商店街があります。
その中で絶対に行こうと思っていたのがコレ
ここで手作りのコロッケパン(130円)を食べたかった。
ですが、とても人気があるので、手作りパンはすべて売り切れ完売、何もありません。
それでも、何か残ってないか店のおばちゃんに聞いている人の写真です。
おまけですが、そのパン屋のすぐそばにある、これまた有名な蕎麦屋がコレ砂場総本家
味は食べてみなければ判らないのが当然ですが、歴史は古いらしいです。
全国に約150店舗ある砂場の総本家で1804年に麹町で創業し、大正元年にこの地に移転してきたとのこと。
この建物は、大正当時そのままなんだそうですが、私が外観をみたところ、老舗らしく綺麗に掃除した方がいいと感じました。
何故かというと、玄関横のシューウィンドウ。(上の写真右)
品書きの周りを鉄道模型が走ってるんですが、中が掃除されてないのがわかってしまう。
古いものの良さを売りに出すなら、清潔でないといけません。
これを見たら、老舗じゃないと思ってしまいます。
さらに言えば、都電の街だし、ご主人の趣味もあるんでしょうが、老舗に似合わないように思いました。
正直な意見です。
でも、総本家なんだから味は最高なんだろうね。
さて、汗はかいたし、腹は減ったので、まずは近くの泪橋のほうにあるお風呂屋さんへ行きました。
泪橋って、僕らが夢中になって読んだ漫画「あしたのジョー」の泪橋です。
矢吹 丈、マンモス西、丹下 段平がいた、そう、丹下拳闘クラブは泪橋の下にある粗末な木造小屋でした。→あしたのジョーの曲はクリック
日の出湯です。ところが、オープンが3時からとのこと。時間はまだ2時半。
待っていたら身体が冷え切ってしまいます。そこで、今回の真の最終目的地、日本堤1丁目の居酒屋丸千葉まで歩いて場所確認に行きました。
もちろん、徒歩ですよ。
日本堤というのは、要するに山谷(ドヤ街)のことです。
明日のジョーの舞台だった場所。
僕が高校生だった頃とは全く変わってしまいました。今は近代的な街になりました。
すぐ近くは千束といって昔の廓(くるわ)の吉原があったところです。
丸千葉さがしたんですが、吉原大門のあたりで曲がるべき道をまっすぐ行ってしまい、東浅草まで行ってから間違いに気がつき、バックしました。
またまた、人生コースアウト!
ようやく、丸千葉に着いた時、時間は軽く3時過ぎでした。
なんだか、また風呂屋まで戻るのも面倒で、ちかくのオジイサンに「この近くに風呂屋ないですか?」と聞いたら、笑って「おめぇ、目ん玉ひんむいてそこを良く見てみろよ!目の前にあるじゃねえか?」といわれ、よくみたら確かにコインランドリーが丸千葉の前にデーンと鎮座しておりました。
しかも、ガラスに風呂屋の文字が…。
なんと、風呂屋の入り口はその裏にありました。風呂屋の名前は忘れましたが、とりあえず、そこへ入りました。
場所柄だと思いますが、入っている人は老若を問わず、刺青の方が多いです。
しかも、タトゥーなんてもんでなく、本物の正統派の刺青です。
オジイサンでも龍は萎びてますが、もとは相当立派なお姿だったと思われ、僕は久しぶりに下町の風呂屋に入った気がしました。
丸千葉は行ってみたかった居酒屋です。
満員で常連ばかりの様でしたが、偶然1席だけ空いていて、そこに入ることができました。
生ビール、ホッピー、中、揚げニンニク、煮込み、ジャンボメンチカツ
すべて、大きいです。そして、真面目に作ってある。ごまかしがないです。
感心したのが若主人のお客への対応ですね。
私は一見の客ですけど、誠意が感じられました。
呑んでいて気持ちがいい。
客商売の基本、「真面目で誠実」。
これが丸千葉が大人気な理由だと思いました。
呑み終わって三ノ輪まで戻る途中、間違えた吉原大門で桜肉専門の肉屋みつけました。
そして、よくみたら、その店続きに桜肉をだす料理屋が続いていました。
何故、このあたりに集中して桜肉関係の店があるんでしょうか?
その店の前で後ろを振り向いたら、スカイツリーが大きくそびえていましたので写真を1枚撮りました。
ウチに帰ってから写真みていたら、どこかでみたような?
人気ブログランキングへ
→そうだ、あれだっ!
そう3丁目の夕日のシーン(写真右)です。
現代版、3丁目の夕日、否、山谷泪橋の夕日です。
大発見した気分でした。
誰かに喋りたくなって、女房にそう話したら「ああ、そうかな?」だって
おまけです。
曲聞きながら上の写真見比べてください。
それなりの感じがしますよ。→ALWAYS 三丁目の夕日(オープニングテーマ) Classical Guitar Solo
終
そうすると荒川自然公園のある荒川2丁目につきます。
そこには友人の会社があるのですが、日曜日で休みでした。
(最高に良い立地条件の場所ですね。)
荒川自然公園は私は知りませんでした。
子供のころ、こんな最高の遊び場があれば絶対に知っていたはずですが、調べてみたら昭和49年ぐらいから徐々にできていったみたいで、そのころ私はバンバンの「いちご白書をもう一度」を聞きながら大学に通っていました。
だから、知らないのは当然です。
僕らの頃は、あったのは団地の小さな公園ぐらいで、むしろ「原っぱ」といった大きな空き地でよく遊びました。
缶けりや馬跳び、水雷艦長、エスケン(S)、カタ、ベーゴマ、メンコ、チェーリング、ビー球遊び、皆お金はないけど遊びの天才でしたね。
(ベーゴマは大人のプロがいました。子供相手に勝負してベーゴマを巻揚げ、そのベーゴマを子供にまた売るんです。おそらく、町のチンピラだったんでしょうが、子供のケンカの仲裁とか、ケンカの作法とか、ときには駄菓子をおごってくれたりとか、結構、僕らの中では信頼のおける大人でした。)
学校では巨人の長島人気もあり野球がはやってましたが、僕は目が悪いので苦手でした。
だから、好きなのはドッチボール。
あれは子供の格闘技でした。
特に別のクラスと試合するときは、必ず罵声を浴びせながらなげるんです。
「てめぇ、この野郎!」とか、「ばっきゃろー」とか、大声で言いながら、相手に目一杯の力で投げるんです。
そして、目一杯投げてきたやつをガシッと受け止めるときの快感!
そして、その球を投げてきた奴に敢えて投げかえす快感!
最高に楽しかったなぁ…。
???
話は完全にコースアウトしてしまいました。
まあ、私自身が「人生色々、常に七転八倒、しばしばコースアウト!」なので仕方ないかぁ。
そうこうするうちに。最終地点の三ノ輪についてしまいました。
ここでランニングは終了です。
自宅から学習院下を経て三ノ輪まで、正味で18.5km、2時間22分でした。
なんだか、終わってしまうのは寂しい感じがしましたね。
次回走る時は、ここから浅草の方まで足を延ばしてもいいかなと思います。
元浅草には僕の卒業した高校がありますから、そこへ寄って最後はやはりアメ横により、居酒屋大統領によって御徒町から電車で帰るというプランにしようと思います。
そこまで走れば30kmに近ずくでしょう。
上の左の写真は貸切の都電です。なんか、結婚式の2次会?みたいなことを都電の中でやるみたいでした。
三ノ輪にはジョイフル三ノ輪という古いアーケード商店街があります。
その中で絶対に行こうと思っていたのがコレ
ここで手作りのコロッケパン(130円)を食べたかった。
ですが、とても人気があるので、手作りパンはすべて売り切れ完売、何もありません。
それでも、何か残ってないか店のおばちゃんに聞いている人の写真です。
おまけですが、そのパン屋のすぐそばにある、これまた有名な蕎麦屋がコレ砂場総本家
味は食べてみなければ判らないのが当然ですが、歴史は古いらしいです。
全国に約150店舗ある砂場の総本家で1804年に麹町で創業し、大正元年にこの地に移転してきたとのこと。
この建物は、大正当時そのままなんだそうですが、私が外観をみたところ、老舗らしく綺麗に掃除した方がいいと感じました。
何故かというと、玄関横のシューウィンドウ。(上の写真右)
品書きの周りを鉄道模型が走ってるんですが、中が掃除されてないのがわかってしまう。
古いものの良さを売りに出すなら、清潔でないといけません。
これを見たら、老舗じゃないと思ってしまいます。
さらに言えば、都電の街だし、ご主人の趣味もあるんでしょうが、老舗に似合わないように思いました。
正直な意見です。
でも、総本家なんだから味は最高なんだろうね。
さて、汗はかいたし、腹は減ったので、まずは近くの泪橋のほうにあるお風呂屋さんへ行きました。
泪橋って、僕らが夢中になって読んだ漫画「あしたのジョー」の泪橋です。
矢吹 丈、マンモス西、丹下 段平がいた、そう、丹下拳闘クラブは泪橋の下にある粗末な木造小屋でした。→あしたのジョーの曲はクリック
日の出湯です。ところが、オープンが3時からとのこと。時間はまだ2時半。
待っていたら身体が冷え切ってしまいます。そこで、今回の真の最終目的地、日本堤1丁目の居酒屋丸千葉まで歩いて場所確認に行きました。
もちろん、徒歩ですよ。
日本堤というのは、要するに山谷(ドヤ街)のことです。
明日のジョーの舞台だった場所。
僕が高校生だった頃とは全く変わってしまいました。今は近代的な街になりました。
すぐ近くは千束といって昔の廓(くるわ)の吉原があったところです。
丸千葉さがしたんですが、吉原大門のあたりで曲がるべき道をまっすぐ行ってしまい、東浅草まで行ってから間違いに気がつき、バックしました。
またまた、人生コースアウト!
ようやく、丸千葉に着いた時、時間は軽く3時過ぎでした。
なんだか、また風呂屋まで戻るのも面倒で、ちかくのオジイサンに「この近くに風呂屋ないですか?」と聞いたら、笑って「おめぇ、目ん玉ひんむいてそこを良く見てみろよ!目の前にあるじゃねえか?」といわれ、よくみたら確かにコインランドリーが丸千葉の前にデーンと鎮座しておりました。
しかも、ガラスに風呂屋の文字が…。
なんと、風呂屋の入り口はその裏にありました。風呂屋の名前は忘れましたが、とりあえず、そこへ入りました。
場所柄だと思いますが、入っている人は老若を問わず、刺青の方が多いです。
しかも、タトゥーなんてもんでなく、本物の正統派の刺青です。
オジイサンでも龍は萎びてますが、もとは相当立派なお姿だったと思われ、僕は久しぶりに下町の風呂屋に入った気がしました。
丸千葉は行ってみたかった居酒屋です。
満員で常連ばかりの様でしたが、偶然1席だけ空いていて、そこに入ることができました。
生ビール、ホッピー、中、揚げニンニク、煮込み、ジャンボメンチカツ
すべて、大きいです。そして、真面目に作ってある。ごまかしがないです。
感心したのが若主人のお客への対応ですね。
私は一見の客ですけど、誠意が感じられました。
呑んでいて気持ちがいい。
客商売の基本、「真面目で誠実」。
これが丸千葉が大人気な理由だと思いました。
呑み終わって三ノ輪まで戻る途中、間違えた吉原大門で桜肉専門の肉屋みつけました。
そして、よくみたら、その店続きに桜肉をだす料理屋が続いていました。
何故、このあたりに集中して桜肉関係の店があるんでしょうか?
その店の前で後ろを振り向いたら、スカイツリーが大きくそびえていましたので写真を1枚撮りました。
ウチに帰ってから写真みていたら、どこかでみたような?
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→そうだ、あれだっ!
そう3丁目の夕日のシーン(写真右)です。
現代版、3丁目の夕日、否、山谷泪橋の夕日です。
大発見した気分でした。
誰かに喋りたくなって、女房にそう話したら「ああ、そうかな?」だって
おまけです。
曲聞きながら上の写真見比べてください。
それなりの感じがしますよ。→ALWAYS 三丁目の夕日(オープニングテーマ) Classical Guitar Solo
終
馬を喰って精をつけて、吉原に繰り出す、って事だと思います。
鰻の尾花も同じじゃないかな。どちらも私の想像ですが。
ちなみに中江の前から見える、泪橋交差点の柳が見返り柳です。
中江の前の道は地下に音無川という川が流れていて、これにかかった橋が泪橋や三ノ輪橋です。
中江は高いですが、歴史ある店ですし、ユッケなど牛より美味しいと思います。
とても歴史あるんですね。
一度、女房連れて行こうと思います。
そのHPから、リンクしてある別館金村のHPをみたのですが、画像みて思いだしました。
私も一度行ったことがあります。
更にいえば、そのHP中の写ってる写真の人達は我々の業界の仲間でした。後ろ姿しか写っていませんが、まちがいないです。
ビックリ!