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写真は浦和橋あたりの風景
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浦和駅西口交差点から走り始める。
今日は一日、幹線道路沿いに走らなければならない。
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浦和宿 英泉画
この英泉の絵の中に、馬の後を追いかけて、塵取りで馬糞をひろう子供が描かれている。
これは馬糞掻きという馬糞を拾って肥料として売る商売で、今思うと信じがたいと思うかもしれないが、俺がまだ東京の下町の小学生だったころ、トンボ取りに出かけた東京の郊外ではよく見かけたものである。(郊外といっても荒川の川向うであるが…)
まだ、舗装道路じゃなくて、凸凹の土の道路だったときだ。
よく考えてみると、日本の江戸は、100万都市のわりにはエコで清潔だったが、それは馬糞搔きという仕事が大きく貢献していたのだと思う。
でなければ、インドの街の様に糞だらけで足の踏み場に困る道路になってしまっている。
(インドは、素晴らしいところなのに、あのウシの糞の未処理で台無しになっている。)
さらに思うのだが、つい最近(俺がガキのころ)までは、東京もリサイクル文化の充実したエコ都市であったように思う。
馬糞掻き、鋳掛屋(鍋の穴を塞ぐ商売)、傘屋(傘の修理)、らおや(煙管のパイプの交換)、糞尿を処理して近郊農家に売る汲み取り屋、桶を直す商売、・・・等々、の循環型商売が結構あった。
今は、グローバル化したこともあり、使い捨てが基準の国になってしまったが、エコな文化は日本人の心の中には今でも無くならずに残っていると思いたい。
とにかく、今の浦和の道に馬は通らないが、自動車が渋滞するほど通り、糞の代わりに排気ガスが淀んでいた。
なんのエコにもならないが、そのガスを吸い込みながら俺は走っていたのだった。
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昔の家の名残がみられる
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浦和宿の中心的存在であった慈恵稲荷神社である。
写真、鳥居の右下に1842年に建てられた庚申塔があり、側面に引又道 大山道 富士山道とかいてあった。
引又道とは志木(昔は引又という地名)への道であり、大山道とは相模大山および大山石尊〈現:大山阿夫利神社〉詣への道である。
ここが、追分でもあったということかな?
今のところ、中仙道沿いには常夜灯は少なく(というか、いままで気が付かなかった?)、庚申塔、庚申塚がやたらと多い気がする。
なぜだかは解らないが・・・?
どうも、浦和は宿場というよりかは、市場の賑わいのあった場所だったらしい。
以下、ウィキペディアの浦和宿より抜粋
-----------------
宿場町としては規模の小さい浦和宿であったが、市場としては戦国時代からの歴史があり、毎月の2と7の日には「六斎市(ろくさい-いち)」が立って賑わいを見せていた(二七の市)。浦和宿上町の人々が祀った慈恵稲荷神社(じけい-いなり-じんじゃ)の鳥居を中心として南北2町(約0.2km)の範囲が市場であったといわれており、当該地はさいたま市の史跡として登録されている。市は、昭和初期までは続いていた。
-----------------
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帰ってきてから、浦和宿のことを調べていたら、ウナギのことがかいてあり、浦和宿から、しばらくの間、京に向かう街道には、ウナギがその地の名物として食べられる処が無くなってしまうらしく、よって浦和宿はウナギが名物だというのである。
しかも、うなぎの蒲焼きの発祥地?だというのだ。
確かに「蒲焼」の蒲という字には「浦和」の浦という字が付いている。
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知らなかった
東海道に続き、ウナギを食べる機会をまた失ってしまった。
ウナギの旬は冬だというのに・・・。
俺は相当、ウナギとは縁のない鰻難民なのであった。
(こりゃぁ、都電荒川線ランニング終了後に南千住の尾花でも行くしかないな。
)
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古い建物、その1
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古い建物、その2
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古い建物、その3
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浦和レッズの選手の足型手形
今の時点でレッズが元日の天皇杯に出れるかわからない。
準決勝で柏レイソルに勝てるか、否か?
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廓信寺の入り口
この寺の参道口に「紅赤発祥地解説」があった。
ウィキペディアより「紅赤」から抜粋
---------------
紅赤(べにあか)は1898年(明治31年)、埼玉県木崎村(後の浦和市、現さいたま市)の主婦山田いちが、偶然発見したサツマイモの突然変異種である 。従来のサツマイモよりも遥かに甘くて美味しく、翌年市場に出した所非常に高値で売れ、近隣の農家にたちまち広まった。この時近隣の農家の要望に応え苗の生産を請け負ったのが、山田いちの甥である吉岡三喜蔵であり、紅赤のネーミングは彼によるものである。吉岡三喜蔵は、伯母が生み出したこの品種を広める事を自らの使命とし、薄利多売で苗の生産販売を行った。
---------------
廓信寺には、山田いちの墓がある。
→主婦がみつけた不朽のサツマイモ品種
ちなみに、俺は焼き芋ならホクホク系の「紅あずま」よりも、シットリ系の「紅はるか」が好きだ。
なお、以下の動画からマラソンのレース前に摂取するカーボローディングであるが、10kmランのようなものにはジャガイモが、ウルトラマラソンにはサツマイモが適しているということを知った。
参考にしてほしい。
参考:グリセミック指数
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その廓信寺入り口にあったお地蔵さん
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庚申塔
大原陸橋東の交差点にガードレールで三角形で囲まれた小さな土地があり、そのなかに寂しくポツンとあった。
この庚申塔は、英泉の「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」の左端に描かれているものである。
この辺りから富士山が見えたことがわかる。
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木曾街道 大宮宿 冨士遠景 英泉画
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JR与野駅東口の交差点をすぎたあたり
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三菱マテリアル研究所跡地(現在、再開発中)
この写真では見えないが広大な土地が広がっている。
ただし、よくない噂がある。
この跡地には、ドラム缶約4万本分の放射性廃棄物が保管されているという噂である。
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JRさいたま新都心駅あたりに来た。
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お女郎地蔵と火の玉不動尊(近くに処刑場があった)
この祠については、心霊スポット朱い塚 下原処刑場跡を参照
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だんご屋で人が並んでいる。
ということは、近くに・・・
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関東地方の彼方此方にある氷川神社の総本社である武蔵一之宮 氷川神社があったのだ。
歴史は2000年以上でヤマトタケルが東征の折に先勝祈願した古社である。
(一の鳥居)
「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来するらしい。
本来、この参道が中仙道(古中仙道)であり、社への途中手前で左折している。
(左折してからの明確な道は消え去ってしまい、わかっていない。)
だが、寛永の時代に中仙道は新道に移転されているのだ。
その理由がこれだ。
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ウィキペディアより「大宮宿」から抜粋
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寛永5年(1628年)に、大宮宿の人々は、西の原野に新道を開き宿場をそこに移した。
往還の人を神社に参らず通過させるのが神に対して恐れ多いこと、道を直にすると便利なこと、移転の跡地を畑にすれば年貢も増えるというのが、その申請理由であった。翌寛永6年(1629年)に検地が実施され、この時に地子免許を受け、伝馬役負担が定められた。新道は、氷川神社の一の鳥居から北西方向、西寄りに分岐させて開いた。
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塩地蔵・子育て地蔵
親孝行な娘にまつわる話がある。
詳細はウィキペディアより「大宮宿」のうち「塩地蔵」参照
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ほとんど気づかれないであろう場所にある涙橋跡
刑場にまつわる話だ。
詳細はウィキペディアより「大宮宿」のうち「涙橋(中之橋」参照
そんなわけで、大宮の辺りは開発されてしまっていて、ココで説明するほどの史跡はなかった。
古そうな家が数件あったのが印象に残ったぐらいである。
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使われてないようだが、改装すれば雰囲気のあるお店になりそうだ。
三角コーンが置いてあるから、何かのお店に生まれ変わるのかもしれない。
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巨大な2本の椎の木(残念だが逆光でよく写ってない。)
中仙道の目印だった。
さて、中仙道は北大宮駅あたりでJR東北本線と東武野田線を地下道でくぐる。
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これが、地下道への下り階段だ。
倒れたら下まで落ちる急坂である。
それなのに、自転車を押して下る専用坂道があるのだ。
なんとか、降りて、地下道を通り、今度は逆に地上に上がることになる。
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見よ、この急坂!
荷物なんかのせてたら、絶対押せないよ。
もう、押しても押しても登れない蟻地獄状態になるだろう。
中仙道、北大宮のアリ地獄地下道と命名したい。
(つづく)
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浦和駅西口交差点から走り始める。
今日は一日、幹線道路沿いに走らなければならない。
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浦和宿 英泉画
この英泉の絵の中に、馬の後を追いかけて、塵取りで馬糞をひろう子供が描かれている。
これは馬糞掻きという馬糞を拾って肥料として売る商売で、今思うと信じがたいと思うかもしれないが、俺がまだ東京の下町の小学生だったころ、トンボ取りに出かけた東京の郊外ではよく見かけたものである。(郊外といっても荒川の川向うであるが…)
まだ、舗装道路じゃなくて、凸凹の土の道路だったときだ。
よく考えてみると、日本の江戸は、100万都市のわりにはエコで清潔だったが、それは馬糞搔きという仕事が大きく貢献していたのだと思う。
でなければ、インドの街の様に糞だらけで足の踏み場に困る道路になってしまっている。
(インドは、素晴らしいところなのに、あのウシの糞の未処理で台無しになっている。)
さらに思うのだが、つい最近(俺がガキのころ)までは、東京もリサイクル文化の充実したエコ都市であったように思う。
馬糞掻き、鋳掛屋(鍋の穴を塞ぐ商売)、傘屋(傘の修理)、らおや(煙管のパイプの交換)、糞尿を処理して近郊農家に売る汲み取り屋、桶を直す商売、・・・等々、の循環型商売が結構あった。
今は、グローバル化したこともあり、使い捨てが基準の国になってしまったが、エコな文化は日本人の心の中には今でも無くならずに残っていると思いたい。
とにかく、今の浦和の道に馬は通らないが、自動車が渋滞するほど通り、糞の代わりに排気ガスが淀んでいた。
なんのエコにもならないが、そのガスを吸い込みながら俺は走っていたのだった。
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昔の家の名残がみられる
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浦和宿の中心的存在であった慈恵稲荷神社である。
写真、鳥居の右下に1842年に建てられた庚申塔があり、側面に引又道 大山道 富士山道とかいてあった。
引又道とは志木(昔は引又という地名)への道であり、大山道とは相模大山および大山石尊〈現:大山阿夫利神社〉詣への道である。
ここが、追分でもあったということかな?
今のところ、中仙道沿いには常夜灯は少なく(というか、いままで気が付かなかった?)、庚申塔、庚申塚がやたらと多い気がする。
なぜだかは解らないが・・・?
どうも、浦和は宿場というよりかは、市場の賑わいのあった場所だったらしい。
以下、ウィキペディアの浦和宿より抜粋
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宿場町としては規模の小さい浦和宿であったが、市場としては戦国時代からの歴史があり、毎月の2と7の日には「六斎市(ろくさい-いち)」が立って賑わいを見せていた(二七の市)。浦和宿上町の人々が祀った慈恵稲荷神社(じけい-いなり-じんじゃ)の鳥居を中心として南北2町(約0.2km)の範囲が市場であったといわれており、当該地はさいたま市の史跡として登録されている。市は、昭和初期までは続いていた。
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帰ってきてから、浦和宿のことを調べていたら、ウナギのことがかいてあり、浦和宿から、しばらくの間、京に向かう街道には、ウナギがその地の名物として食べられる処が無くなってしまうらしく、よって浦和宿はウナギが名物だというのである。
しかも、うなぎの蒲焼きの発祥地?だというのだ。
確かに「蒲焼」の蒲という字には「浦和」の浦という字が付いている。
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知らなかった
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東海道に続き、ウナギを食べる機会をまた失ってしまった。
ウナギの旬は冬だというのに・・・。
俺は相当、ウナギとは縁のない鰻難民なのであった。
(こりゃぁ、都電荒川線ランニング終了後に南千住の尾花でも行くしかないな。
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古い建物、その1
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古い建物、その2
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古い建物、その3
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浦和レッズの選手の足型手形
今の時点でレッズが元日の天皇杯に出れるかわからない。
準決勝で柏レイソルに勝てるか、否か?
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廓信寺の入り口
この寺の参道口に「紅赤発祥地解説」があった。
ウィキペディアより「紅赤」から抜粋
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紅赤(べにあか)は1898年(明治31年)、埼玉県木崎村(後の浦和市、現さいたま市)の主婦山田いちが、偶然発見したサツマイモの突然変異種である 。従来のサツマイモよりも遥かに甘くて美味しく、翌年市場に出した所非常に高値で売れ、近隣の農家にたちまち広まった。この時近隣の農家の要望に応え苗の生産を請け負ったのが、山田いちの甥である吉岡三喜蔵であり、紅赤のネーミングは彼によるものである。吉岡三喜蔵は、伯母が生み出したこの品種を広める事を自らの使命とし、薄利多売で苗の生産販売を行った。
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廓信寺には、山田いちの墓がある。
→主婦がみつけた不朽のサツマイモ品種
ちなみに、俺は焼き芋ならホクホク系の「紅あずま」よりも、シットリ系の「紅はるか」が好きだ。
なお、以下の動画からマラソンのレース前に摂取するカーボローディングであるが、10kmランのようなものにはジャガイモが、ウルトラマラソンにはサツマイモが適しているということを知った。
参考にしてほしい。
参考:グリセミック指数
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その廓信寺入り口にあったお地蔵さん
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庚申塔
大原陸橋東の交差点にガードレールで三角形で囲まれた小さな土地があり、そのなかに寂しくポツンとあった。
この庚申塔は、英泉の「木曾街道 大宮宿 冨士遠景」の左端に描かれているものである。
この辺りから富士山が見えたことがわかる。
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木曾街道 大宮宿 冨士遠景 英泉画
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JR与野駅東口の交差点をすぎたあたり
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三菱マテリアル研究所跡地(現在、再開発中)
この写真では見えないが広大な土地が広がっている。
ただし、よくない噂がある。
この跡地には、ドラム缶約4万本分の放射性廃棄物が保管されているという噂である。
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JRさいたま新都心駅あたりに来た。
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お女郎地蔵と火の玉不動尊(近くに処刑場があった)
この祠については、心霊スポット朱い塚 下原処刑場跡を参照
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だんご屋で人が並んでいる。
ということは、近くに・・・
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関東地方の彼方此方にある氷川神社の総本社である武蔵一之宮 氷川神社があったのだ。
歴史は2000年以上でヤマトタケルが東征の折に先勝祈願した古社である。
(一の鳥居)
「大宮」の地名は、当社を「大いなる宮居」と称えたことに由来するらしい。
本来、この参道が中仙道(古中仙道)であり、社への途中手前で左折している。
(左折してからの明確な道は消え去ってしまい、わかっていない。)
だが、寛永の時代に中仙道は新道に移転されているのだ。
その理由がこれだ。
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ウィキペディアより「大宮宿」から抜粋
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寛永5年(1628年)に、大宮宿の人々は、西の原野に新道を開き宿場をそこに移した。
往還の人を神社に参らず通過させるのが神に対して恐れ多いこと、道を直にすると便利なこと、移転の跡地を畑にすれば年貢も増えるというのが、その申請理由であった。翌寛永6年(1629年)に検地が実施され、この時に地子免許を受け、伝馬役負担が定められた。新道は、氷川神社の一の鳥居から北西方向、西寄りに分岐させて開いた。
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塩地蔵・子育て地蔵
親孝行な娘にまつわる話がある。
詳細はウィキペディアより「大宮宿」のうち「塩地蔵」参照
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ほとんど気づかれないであろう場所にある涙橋跡
刑場にまつわる話だ。
詳細はウィキペディアより「大宮宿」のうち「涙橋(中之橋」参照
そんなわけで、大宮の辺りは開発されてしまっていて、ココで説明するほどの史跡はなかった。
古そうな家が数件あったのが印象に残ったぐらいである。
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使われてないようだが、改装すれば雰囲気のあるお店になりそうだ。
三角コーンが置いてあるから、何かのお店に生まれ変わるのかもしれない。
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巨大な2本の椎の木(残念だが逆光でよく写ってない。)
中仙道の目印だった。
さて、中仙道は北大宮駅あたりでJR東北本線と東武野田線を地下道でくぐる。
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これが、地下道への下り階段だ。
倒れたら下まで落ちる急坂である。
それなのに、自転車を押して下る専用坂道があるのだ。
なんとか、降りて、地下道を通り、今度は逆に地上に上がることになる。
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見よ、この急坂!
荷物なんかのせてたら、絶対押せないよ。
もう、押しても押しても登れない蟻地獄状態になるだろう。
中仙道、北大宮のアリ地獄地下道と命名したい。
(つづく)
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