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旅ラン「中仙道走膝痛シ」・・・和田峠越え、その1(和田峠口まで)

2021年07月06日 | 中山道走膝痛シ(旧中山道ランニング)
民宿みやの朝ご飯は豪華でした。

もう、新鮮な野菜が美味しくて美味しくて沢山食べました。
作る料理に美味しいい野菜を是非味わってほしい、そういう気持ちが込められていました。
再び、この辺りに来ることがあるなら、またここに泊ると思います。

御主人も気さくな方で、
夕食時には一人寂しくビールを飲みながらの私に
積極的に声をかけてくれました。

それらを含めて、幸せな時間をくれた民宿みやに
心を込めて感謝の念を告げ出発しました。



さて、大門道を歩いて10分、落合橋まで戻り、旧中山道ランの再開です。
和田宿に向かいます。



天気は青い空がいっぱいに広がり
軽快な水音を奏で流れる依田川に
己が気分は
最高!でした。

ただし、気温は低くて、寒さ対策にカッパを着ました。




上深山口バス停

見たところ、まるで鬼太郎ハウスのような茅葺き屋根のバス停ですが、
鬼太郎や目玉オヤジがでてくる雰囲気ではなく
トトロに出てくる猫バスを待つようなメルヘンチックな雰囲気のバス停でした。

この後にも出てきますが、
この辺りの和田宿にはユニークで面白いバス停が多いです。


バス停




ミミズの碑
良質な土壌を作るミミズに感謝したものということですが、2匹の
どう見てもオスとメスのミミズの夫婦道祖神にみえます。

このミミズの夫婦?を調べてみたら、
面白い雑学知識を得ることができました。

・・・

ミミズには雄雌の区別がないのを知ってますでしょうか?

なんとなく、そうかもしれないと思いますよね。

そう、一匹のミミズの体に雄・雌両方の生殖器があるみたいです。

ビックリなのは、次の事です。

その二匹のミミズが
お互いに逆さまになって抱き合って69の形で
交尾するんですよ。

Earthworm mating


全く知らないトリビアな話でした。




三千僧接待碑

----------説明版より
「信定寺(しんじょうじ、和田宿にある)別院慈眼寺境内に建立されていたものが、
寛政七年(1795)この地に移された。
諸国遍歴の僧侶への接待碑で
一千人の僧侶への供養接待を発願して見事結願し、一躍二千を増やした。
三千の僧侶への供養接待を発願したと碑文に刻まれている。
碑を見れば誰の目にもわかるように
一千僧の「一」の字を三千僧の「三」の字に改刻した痕が歴然としている。
当時三千という僧侶への接待用の食べ物は米飯ばかりでは到底賄いきれないところから
麦飯、麺類、粟飯、ひえ飯等雑穀にても賄い、
更に天保年間の六年に渡る凶作続きの際にはジャガイモの粥などで
賄ったことがあると言われている。」(和田村・長野県・文化庁)
----------


今の時代、「供養接待」なるものが残っているのは
1200年の歴史がある四国お遍路だけですね。

四国お遍路自体は世界遺産として、
これからも残っていくかもしれませんが、

仏教がまさに生きている証である
「四国お遍路の供養接待」という文化は、
お金の毒に侵された物欲金銭主義の今という時代を経て
いつかは無くなっていく運命なのでしょうか?

ですから、自分が生きているうちに、
まだ見返りを求めずに人を援助する心が人々に残っているうちに
いつかは謙虚な気持ちで挑戦したいですね。

もちろん、ワラーチで…。



バス停


招き猫ですね。


左端の石碑に何かの絵が浮彫で描かれていました。

写真を拡大してみると・・・



神社の鳥居に前で獅子舞を見る子供達でしょうか?


バス停


若宮八幡神社
境内に信玄と合戦した和田城主、大井信定父子の首級が埋葬された墓がありました。
(写真は撮りませんでした。)

和田城はこの先の中仙道を行って和田宿本陣左に見た街道右手の山中にありました。


芭蕉句碑らしいが、なんてかいてあるのかわかりません。

「安能雲ハ稲妻越待つ
たよ里可南 」
(あのくもは いたずまをまつ
たよりかな )

と刻まれているらしいです。

そういう雲は今日はありません。


何も残っていない上組(かみぐみ)の一里塚跡(日本橋より49里目)

道路改修で取り壊されたそうです。
悲しいね。


急に趣向が変わり乙女チックな芹沢バス停

昔は殆どが茅葺き屋根のバス停だったそうです。
自分的にはその方が良かったなぁ。


和田学校前バス停
このバス停もなかなかいいですね。


モダンな和田中学校


和田神社鳥居前を過ぎる(左手階段上は和田小学校)


和田の原バス停

和田宿はみるところが多い宿場です。
だが、何故か写真があまりないのです。

この時は、ただ淡々と
目指せ和田峠!
に向かって走っていて
無我のゾーンに入っていたかもしれないですね。

本陣、他、色々な建物があったのにボーっと通過していました。


山木屋(下の問屋)
その向こうに一段低い建物がみえるが、旧旅籠の大黒屋


問屋跡かな? 


なんだか、よくわかりません。


なが井(旧本亭旅館、庄屋)


質屋と両替商の萬屋(見事な白い卯建と白壁土蔵)
今は酒屋でした。


鍛冶足バス停


鍛冶足の一里塚跡(50里目)


大出バス停


旧道らしい道幅の中仙道


左は清らかな水が流れる佐田川

しばらく川沿いの旧道をJOGすると国道142号線にでました。
そこから、しばらく国道沿いをJOGします。
ただし、歩道なんてものはありません。

脇を通り過ぎるトラックが怖いです。


国道脇の、ゴミ無し童地蔵がゴミ捨て場になってました。

どうして、こんなことするのか(怒)

こういう時は自らすすんで大きなゴミ袋をもって、
ゴミを拾って、
担いで、
厳しい和田峠を越えて
下諏訪まで
もって走れば良いのですが、
・・・

俺には、そこまでの根性はありません。
野口健ならそうしたかな?


国道沿いの巨大な石灯篭

この地点で旧中仙道は
石灯篭とは道路を挟んで反対側にある
古中仙道(1831年以前のもの)とわかれるのですが、



この時は古中仙道が草が生い茂っていて荒れていたように見え
ワラーチで剥き出しの脚が蚊に刺されるのを恐れ、
なんとなく旧中仙道方向にある羽田茶屋本陣に向かいました。

ですが、古中仙道だと山中の美しい唐沢の一里塚が見られたようです。
その唐沢の一里塚は両塚を残していて、旧中山道が出来た時に
山中に取り残されたものだそうです。

それが、これ!


写真は和田宿~和田峠|日本の街道を歩く旅よりお借りしました。

ホエっ―!
コチラの古中仙道を行けば良かった。


美しいですね。


羽田茶屋本陣跡

旧道を行った自分がみたのは
何にもない本陣跡でした。
(;´д`)トホホ


和田峠口

峠への入り口に着きました。
ここで、座り込んでコンビニで買った行動食を食べ、
水分をタップリ体内補給し、
ワラーチからシューズに履き替えました。

というのも、
座った場所の目の前の
クマ出没の看板
にビビリ
いつでも素早く逃げる体制づくりの為
履き替えたのでした。



ちなみに、ここまで中仙道の旅人は
全くみかけておりません。
おそらく、和田峠越えも誰もいないでしょう。

(つづく)




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