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芸術のスペイン、オッサンの一人旅…Cordobaその2(メスキータ)

2017年04月11日 | 芸術大国スペイン、オッサン心のひとり旅
メスキータ(アラビア語のマスジドがなまったものでモスクのこと)内の円柱の森




ホテルには予定より早く着いたのでアーリーチェクインしました。

シャワーを浴び、スマホを充電(6割)したのち、
イスラム教とキリスト教の支配争奪戦によって現在の不思議な2宗教折衷の姿となったメスキータへ向かいました。

スペインで唯一のモスクである※(キリスト教徒の中には大聖堂だ、と主張する人もいる)ということもあり、周囲には小銃を持った警官がアチコチにおりました。

※キリスト教徒によるイベリア半島のレコンキスタ(領土回復)後、他のモスクはことごとく破壊されてしまった。





メスキータ入場料10€


メスキータの外壁(イスラム時代は開いていた門、キリスト教信者の改築により今は封鎖されてしまい、開かずの門である。)


メスキータ内部

この眺めには圧倒的な迫力があったと思います。


独特な赤と白の模様、2段重ねのアーチ、それが森のように連なっていて、立っている場所、光と影により様々な内部空間の姿を見せてくれました。

---参考 メスキータより一部転載---
空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものである。この転用されたために寸足らずとなった円柱の上部に10m程度の高い天井を支えるための工夫が、特徴となる2重アーチを生んだ。メリダにあるローマの水道橋を参考にしたとされるこの2重アーチは、赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっている。
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素晴らしい!


しかも、涼しくて快適!

ちょっと、お稲荷さんのドミノ状に連なる赤い千本鳥居を思い出しました。
(あまり関係ないですが…)



イスラム教は偶像崇拝禁止ですから、このモスクは、この巨大な『円柱の森』の空間と敷き詰められた絨毯だけがあったと思われます。


ミフラーブ(Mihrab):三日月と並んでイスラム教の象徴
その手前の部屋の天井が美しい!

唯一、違った構造物は上の写真のミフラーブと呼ばれているメッカの方角の壁にあるアーチ状の窪みだけです。
ウィキペディアのミフラーブによれば、ミフラーブさえあればモスクだそうです。
また、ミフラーブ自体は聖なるものではないとされるため、ムスリム自身はミフラーブの中で寝ることもある、とも書かれてありました。
だから、祭壇ではないのですね。

現地に実際に訪れてみると、イスラム時代では、この何もない列柱ホールの空間は相当広かったと想像することができます。
(地球の歩き方には、モスク完成時、2万5千人が収容できると書かれてありました。)



ただ今は、キリスト教により一部が壊されて改築され、内部に祭壇や様々な礼拝堂、聖歌隊席ができていました。


祭壇

この祭壇は迫力満点で立派です!


聖歌隊席(祭壇前の席に座ると、後ろが聖歌隊席)

ただ、この地には最初からイスラム教のモスクがあって、キリスト教が後から来たというわけでなく、モスクが建つ前に紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、また6~7世紀には聖ビセンテ教会があったという場所のようです。
その後、ヨーロッパを凌駕したイスラムがこの地を制圧し、教会の上にモスクを建てたということみたいです。


メスキータの一部床下に発掘された聖ビセンテ教会の遺跡がみられます

ローマ神殿の時代→キリスト教時代→イスラム支配時代→キリスト教時代
という複雑な覇権の歴史が、この美しいメスキータを作ったみたいですね。


幾何学的なアラベスク模様の門


アラベスク模様の天井

ここは、薄暗いので動画はとりませんでした。
メスキータ全体の感じがつかめる動画があったので、下に添付しましたのでご覧ください。



メスキータの庭は糸杉、椰子の木、オレンジが植えられています。


奥にみえる塔はイスラム時代のミナレット

---ミナレット(ウィキペディアより)---
ミナレットは、モスクやマドラサなどのイスラム教の宗教施設に付随する塔。塔の上からはイスラム教徒に礼拝を呼びかけるアザーンが流される。初期イスラーム世界では、ミナレットはイスラームの権威の象徴となっていた。 ミナレットはアラビア語で「火、光を灯す場所」を意味するマナーラ が英語に転訛した言葉である。
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ユダヤ人街

メスキータの裏手にはユダヤ人街がありますので、そこで昼食をとることにしました。


路地奥にメスキータのミナレットが見える


小さなレストラン(Taberna El Abanico)にて、軽めの食事
(ビールはもう一杯お代わりして、8.95€)

このとき、指さしスペイン語会話も地球の歩き方ももたず、スマホとホテルでもらったコルトバの地図だけでした。
(どちらかがあれば、料理の写真やイラストが描いてあるので、それを指させば済みます。)

しかも、店主の英語が訛っちゃって聞き取れず、メニューが全部スペイン語なんで困りました。

とりあえず、スマホのスペイン語翻訳をつかい、
Pescado(魚)」
といったら、店主が
そりゃあ、この辺の料理のことだ!
メニューの中断あたりを指さすんで、もう自棄のヤンパチで、
エィやっ!
とばかり適当な料理を指さしたんです。
(こんなとき、スペイン語の翻訳なんかやってられません)

そしたら、これが出てきました。

あと、グッと一気にビールを流し込みたかったんで、期待を込め、大きめの声で
Cerveza(ビール)」
といったら、予想外のコップに入った小さいやつが・・・。
(俺のジョッキ入りビールの思いは伝わらず。)

それにしてもコイツは、いったい何の魚かわかりません。
なにかの酢漬けだとは思いますが・・・?

俺は、もうちょっと身が厚くて大きい一匹まるごとの魚を期待してました。
(領収書には BOQUERONES EN VINAGRE と書いてあったが、なんだろうね?)

その時は、言いたいことが伝わらなくて

嗚呼、わからないよォ

という感じで、自分への不甲斐なさとイライラ感がわいてくるのでした。

(こんな時、スペイン人の友人がいて、いろいろ案内してくれたら…と思いましたね。)


まあ、とりあえず日西友好のため、ニコニコしながら食べ、サムアップして
「美味しいネ!」と言おうと思いました。

「ボーノ!」

でも、よくよく考えると、これはイタリア語の俗語でした。
すぐ「ブエノ!」だと思いましたが、気にせず食べ続けたのでした。

まあ、スペイン人は細かいことは気にしないのでイイですね、

あと、小さなバケツは何なんですかね?
わかりませんでした。

なお、オリーブはサービスでした。
「食べたければお代わりしてやるぞ」、と言ってたみたいです。


とにかく、シーズンオフで客が誰もいないので暇らしく、お店の人にアレコレ聞かれたんですが、その英語が全く理解できなくて困りました。
あんたが喋ってんのは英語?、それともスペイン語?

もしかして、あなたはユダヤ人?

もう、こんがらがってきました。





食事を終えて、ブラブラ街散歩をしました。


城壁の門、内側にはお店


8世紀にイスラム教徒によって作られたアルカサルの長く続く城壁と堀(写真奥に向かってドンドン水が流れてます)

(つづく)





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