次の写真は都電の操車場です。
いろんな形の都電が置いてありました。
私は電車マニアではないので、よくわかりませんけど、でも都電は乗ってるだけで気持ちいいです。
あの、のんびりしたスピードと、ガタゴトゆられて家々の間を走る感覚はホッとします。
新幹線が高級レストランなら、都電は我が家の食卓でしょうか。(喩が下手でした。)
途中でトイレにいきたくなりました。
でも、このコースはあちこちに公共のWCがありますので安心して走れます。
しかも、結構、清潔で綺麗なところが多い。新宿なんかより、全然いいです。
人々の心が落ち着いているのかな?
そこで、荒川遊園地駅そばの公園のトイレに…。
荒川遊園地は子供のころ家から自転車で5~6人の友達とよく行きました。
しかし、50年ちかくも前のことなので、正面玄関から見ても記憶にありません。
結構、あれこれ乗っても安かったような気がします。
その後、荒川沿いのつぶれた何かの工場に忍び込み、天井からつり下がった無気味な滑車でぶら下がって遊んだり、放置された商品だと思いますが、飴玉の包み紙の束みたいなものをバラバラにして遊んだり、僕らの秘密の遊び場だったので時間を忘れて目一杯遊んだような思いがボヤボヤッと頭の片隅にあります。
おそらく、たいした場所ではなかったと思いますが、僕らには大切な場所のひとつでした。
そして、帰りがけに駄菓子屋でキャベツしか入っていない本物の元祖「もんじゃ」を食べて夜遅く家に帰り、母によく叱られたような…?
(子供のころは駄菓子屋には大抵、2~3畳ぐらいの鉄板が置いてある座敷があって、そこで、うどん粉にソースと刻んだキャベツを水だけでまぜて丼ぶりに入れたもの、即ち、正統派「もんじゃ」を皆で焼いて食べました。それが、もんじゃ焼の本来の姿、正道なんですよ。具が沢山入っているのは美味しいですが、僕らからいうと邪道なんです。20円ぐらいだったでしょうか?こどものころは大抵、母からもらった10円を握って遊んでましたから、高級な食べ物でした。ちなみに、1個5円の駄菓子を2個買うのが常でした。)
もんじゃ焼は今思うと子供のサロンみたいなもので、ガキ仲間とチビチビ楽しみながら食べて、ワイワイくだらない話をして、…
→これって、私たちが今、居酒屋でやってることと同じですね
あの頃から、居酒屋体質があったんだ!
ということは、駄菓子屋のおばちゃんは居酒屋のママということになりますね。
これって、映画のシーンで使われないですかね。
もんじゃ焼きをおばちゃんとともに、鉄板囲みながら食べている数人のガキのシーンがボーッとしてきて、いつかおばちゃんが居酒屋のママになり、ガキが中年サラリーマンになってもんじゃをつまみながら、酒を飲んでいる。
(う~ん、イメージが浮かんじゃいます!)
なんだか、三丁目の夕日みたいですね。
→おまけ、是非お聞きください!(ソロギター演奏 ALWAYS 続・三丁目の夕日 主題歌 BUMP OF CHICKEN「花の名」 )
遊園地の中には入らず、周りを走っていたら変なものをみつけました。
煉瓦の塀です。これが、家々に共同で作ったかのように塀が続いています。
なんだか、面白いので写真を撮っておきました。
ウチに帰って調べたら、ルーツがありました。(どこからコピペタしたのか、わからなくなりました。すみません。)
--------------------------
煉瓦塀
あらかわ遊園入園口の手前の路地を右へ入ると、煉瓦塀がどこまでもどこまでも続く。
明治・大正時代、西洋建築を模倣した煉瓦造りの建物が多く造られるようになり、荒川(現・隅田川)沿いには、舟運を利用した煉瓦工場がいくつも見られるようになった。
大正11年(1922)、煉瓦工場を閉鎖した経営者が跡地に「あらかわ遊園」を開園。その際に、この煉瓦塀が造られたという。
煉瓦塀の途中にはアーチ型の出入口らしき痕跡が見られる(防空壕の入口だったという説あり)。
--------------------------
ということで、自分でもよく気がついたなと感心しております。
さて、町屋に向かって走ると、居酒屋亀田の前を通りました。
ここは行ったことがないのですが、居酒屋道を究めるには一度は行かなければならないと考えております。
町屋についたので、セブンイレブンで腹ごしらえをしました。オニギリ2個にホットレモン。
店の前の花壇に座って軽く食事。
すぐ走るのは良くないので、ブラブラしていたら見つけました。
開運!なんでも鑑定団、で出てくる坊主頭のスポーツ関係の人、前野重雄氏のお店「流体力学」
閉まっていたので入れませんでした。
残念!
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でも何だか楽しそうです。
いろんな形の都電が置いてありました。
私は電車マニアではないので、よくわかりませんけど、でも都電は乗ってるだけで気持ちいいです。
あの、のんびりしたスピードと、ガタゴトゆられて家々の間を走る感覚はホッとします。
新幹線が高級レストランなら、都電は我が家の食卓でしょうか。(喩が下手でした。)
途中でトイレにいきたくなりました。
でも、このコースはあちこちに公共のWCがありますので安心して走れます。
しかも、結構、清潔で綺麗なところが多い。新宿なんかより、全然いいです。
人々の心が落ち着いているのかな?
そこで、荒川遊園地駅そばの公園のトイレに…。
荒川遊園地は子供のころ家から自転車で5~6人の友達とよく行きました。
しかし、50年ちかくも前のことなので、正面玄関から見ても記憶にありません。
結構、あれこれ乗っても安かったような気がします。
その後、荒川沿いのつぶれた何かの工場に忍び込み、天井からつり下がった無気味な滑車でぶら下がって遊んだり、放置された商品だと思いますが、飴玉の包み紙の束みたいなものをバラバラにして遊んだり、僕らの秘密の遊び場だったので時間を忘れて目一杯遊んだような思いがボヤボヤッと頭の片隅にあります。
おそらく、たいした場所ではなかったと思いますが、僕らには大切な場所のひとつでした。
そして、帰りがけに駄菓子屋でキャベツしか入っていない本物の元祖「もんじゃ」を食べて夜遅く家に帰り、母によく叱られたような…?
(子供のころは駄菓子屋には大抵、2~3畳ぐらいの鉄板が置いてある座敷があって、そこで、うどん粉にソースと刻んだキャベツを水だけでまぜて丼ぶりに入れたもの、即ち、正統派「もんじゃ」を皆で焼いて食べました。それが、もんじゃ焼の本来の姿、正道なんですよ。具が沢山入っているのは美味しいですが、僕らからいうと邪道なんです。20円ぐらいだったでしょうか?こどものころは大抵、母からもらった10円を握って遊んでましたから、高級な食べ物でした。ちなみに、1個5円の駄菓子を2個買うのが常でした。)
もんじゃ焼は今思うと子供のサロンみたいなもので、ガキ仲間とチビチビ楽しみながら食べて、ワイワイくだらない話をして、…
→これって、私たちが今、居酒屋でやってることと同じですね
あの頃から、居酒屋体質があったんだ!
ということは、駄菓子屋のおばちゃんは居酒屋のママということになりますね。
これって、映画のシーンで使われないですかね。
もんじゃ焼きをおばちゃんとともに、鉄板囲みながら食べている数人のガキのシーンがボーッとしてきて、いつかおばちゃんが居酒屋のママになり、ガキが中年サラリーマンになってもんじゃをつまみながら、酒を飲んでいる。
(う~ん、イメージが浮かんじゃいます!)
なんだか、三丁目の夕日みたいですね。
→おまけ、是非お聞きください!(ソロギター演奏 ALWAYS 続・三丁目の夕日 主題歌 BUMP OF CHICKEN「花の名」 )
遊園地の中には入らず、周りを走っていたら変なものをみつけました。
煉瓦の塀です。これが、家々に共同で作ったかのように塀が続いています。
なんだか、面白いので写真を撮っておきました。
ウチに帰って調べたら、ルーツがありました。(どこからコピペタしたのか、わからなくなりました。すみません。)
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煉瓦塀
あらかわ遊園入園口の手前の路地を右へ入ると、煉瓦塀がどこまでもどこまでも続く。
明治・大正時代、西洋建築を模倣した煉瓦造りの建物が多く造られるようになり、荒川(現・隅田川)沿いには、舟運を利用した煉瓦工場がいくつも見られるようになった。
大正11年(1922)、煉瓦工場を閉鎖した経営者が跡地に「あらかわ遊園」を開園。その際に、この煉瓦塀が造られたという。
煉瓦塀の途中にはアーチ型の出入口らしき痕跡が見られる(防空壕の入口だったという説あり)。
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ということで、自分でもよく気がついたなと感心しております。
さて、町屋に向かって走ると、居酒屋亀田の前を通りました。
ここは行ったことがないのですが、居酒屋道を究めるには一度は行かなければならないと考えております。
町屋についたので、セブンイレブンで腹ごしらえをしました。オニギリ2個にホットレモン。
店の前の花壇に座って軽く食事。
すぐ走るのは良くないので、ブラブラしていたら見つけました。
開運!なんでも鑑定団、で出てくる坊主頭のスポーツ関係の人、前野重雄氏のお店「流体力学」
閉まっていたので入れませんでした。
残念!
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でも何だか楽しそうです。
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