この日は2020年10月18日日曜日です。
(まだ中仙道は半分までしか書いてなくて、一体全体このブログはいつ書きあがるのだろうか?)
まあ、ブーたれるのはやめにして、とにかくその時のメモをみながら書き進めたいと思います。
東京から木曽福島(道の駅 日義木曽高原バス停)まで高速バスで行くことにしました。
多分、この方法が一番早くて安上がりな行き方だと思います。
コロナの影響なのか、高速バスはガラガラでした。
というより、ほぼ個人貸し切りバス状態(私を含めて2名)でした。
ガラガラの高速バス
高速バスは途中、事故渋滞がありました。
数名のバイク集団のうち、一人が単独転倒事故を起こしたようで、他の車がぶつかったというような事故ではなかったみたいです。
バスの中から八ヶ岳
到着時間は30分ほど遅れました。
12:30頃の到着です。
バスを下車して、飲料水を道の駅で購入し、今日の目的、上松宿のねざめの寝床のそばにある『ねざめホテル』に向けて、すぐ出発しました。
木曽駒ケ岳がみえました。
この山はまだ登ったことがありません。
明るさの関係で文字が見えませんが、「石作駒石先生之墓」と書かれており、案内板がありました。
------案内板より
石作 駒石 (いしづくり くせき)
寛保元年(1741)山村代官家臣井沢喜兵衛の二男で生まれる。名前を貞(てい・貞一郎)字(あざな)は士幹(しかん)。後に姓を石作と改正し、号を駒石とした。18才の時父が亡くなり家を継ぎ、良由(たかよし・蘇門)御側役(おそばやく)となり、1才下の良由の学友となり、学問・武芸・兵法を学ぶ。
駒石は学才を認められ、尾張名古屋の山村屋敷勤めにし、伊勢の南宮大湫(なんぐうたいしゅう)のもとで学ぶことができた。
3年後木曽に帰り、良由の学問相手となり、家中の子弟を教え、多くの学者と交流を深め、漢詩で名を挙げた。
天明元年(1781)良由は九代代官となった時、一万両の借金があったため、財政建直しのため駒石を勘定役にあてた。
駒石は『倹約・節約』に勤め 、商人には実情を話し、協力を求め、この努力で借金はなくなった。
天明の飢饉では、中山道の宿と往来する旅人たちの米を確保するため、良由と共に周囲の藩、尾張藩、江戸幕府に訴え頼み木曽への米の搬入を確保し、木曽での酒造りを禁止して、食料にまわした。
さらに開田、馬産、漆器、製薬等にも力を入れ、一人も餓死者を出さなかった。
良由は駒石を連れて木曽全体を巡視して現状を把握して、困っている人たちへの援助をした。
この改善は中山道を通った老中松平定信の知る所となり、幕府の老中に良由をと尾張藩へ伝えたところ、そのように立派な人なら尾張藩で働いてもらいたいと家老に迎えられた。
駒石は現在西方寺敷地内に書斎『翠山桜』(山村代官屋敷に移築保存)を建て、学問や詩作に励み、『翠山桜詩集』をつくった。
寛政9年(1795)駒石は57才で亡くなる。
遺言により、興善寺墓地の他に駒ヶ岳見える七笑にも墓が建てられた。
碑には学者『細井平洲』の碑文が刻まれている。
------
代官の息子であった山村(良由:たかよし)蘇門と、その学友である石作駒石 (いしづくり・くせき)の功績のことが書かれていました。
「水魚の交わり」といえるような身分を越えた暖かい心の交わりがあったようで、その辺りの詳細が書かれた資料がネット上に公開されていました。
文章は平明な歴史解説が書かれていて、面白いです。
私があれこれ紹介するよりもご覧いただいた方が良いと思います。
出版:木曽福島町教育委員会 山村蘇門
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2043215100/2043215100100020/ht000060
何気なく見かけたお墓でしたが、調べてみるとなかなか面白い歴史的人物のお墓なのでした。
旧中仙道は県道267線沿いにあるのですが、左手平屋建物に掲げてあるBridgestoneの看板が見える手前辺りの右手に小さな中仙道案内の杭があります。
そこを斜め右の細い道に入っていきます。
こんな感じの道になります。
ガードレールに小さな中仙道の案内板がありますのでU-ターンするように細い草道を下ります。
行っていいのか迷うような細い道です。
ワラーチ履きで足元が草に隠れてしまうような道です。
ワラーチで気になるのはマダニで、アレにやられると色々な病原菌が体内に入る恐れがあるのでいつも気になります。
草道が延々とあるような街道ランのときはワークマンで売られているようなハイカットの五本指ソックスが必要ですね。
藪の中を走った後はいつも足元にマダニが喰らいついていないか確認してしまいます。
なにせ痛みがないみたいで、厄介な奴です。
1分で分かる!マダニの抜き方
マダニに噛まれたら病院の皮膚科に行って切開除去してもらうのが一番いいらしいですよ。
小沢村
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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(まだ中仙道は半分までしか書いてなくて、一体全体このブログはいつ書きあがるのだろうか?)
まあ、ブーたれるのはやめにして、とにかくその時のメモをみながら書き進めたいと思います。
東京から木曽福島(道の駅 日義木曽高原バス停)まで高速バスで行くことにしました。
多分、この方法が一番早くて安上がりな行き方だと思います。
コロナの影響なのか、高速バスはガラガラでした。
というより、ほぼ個人貸し切りバス状態(私を含めて2名)でした。
ガラガラの高速バス
高速バスは途中、事故渋滞がありました。
数名のバイク集団のうち、一人が単独転倒事故を起こしたようで、他の車がぶつかったというような事故ではなかったみたいです。
バスの中から八ヶ岳
到着時間は30分ほど遅れました。
12:30頃の到着です。
バスを下車して、飲料水を道の駅で購入し、今日の目的、上松宿のねざめの寝床のそばにある『ねざめホテル』に向けて、すぐ出発しました。
木曽駒ケ岳がみえました。
この山はまだ登ったことがありません。
明るさの関係で文字が見えませんが、「石作駒石先生之墓」と書かれており、案内板がありました。
------案内板より
石作 駒石 (いしづくり くせき)
寛保元年(1741)山村代官家臣井沢喜兵衛の二男で生まれる。名前を貞(てい・貞一郎)字(あざな)は士幹(しかん)。後に姓を石作と改正し、号を駒石とした。18才の時父が亡くなり家を継ぎ、良由(たかよし・蘇門)御側役(おそばやく)となり、1才下の良由の学友となり、学問・武芸・兵法を学ぶ。
駒石は学才を認められ、尾張名古屋の山村屋敷勤めにし、伊勢の南宮大湫(なんぐうたいしゅう)のもとで学ぶことができた。
3年後木曽に帰り、良由の学問相手となり、家中の子弟を教え、多くの学者と交流を深め、漢詩で名を挙げた。
天明元年(1781)良由は九代代官となった時、一万両の借金があったため、財政建直しのため駒石を勘定役にあてた。
駒石は『倹約・節約』に勤め 、商人には実情を話し、協力を求め、この努力で借金はなくなった。
天明の飢饉では、中山道の宿と往来する旅人たちの米を確保するため、良由と共に周囲の藩、尾張藩、江戸幕府に訴え頼み木曽への米の搬入を確保し、木曽での酒造りを禁止して、食料にまわした。
さらに開田、馬産、漆器、製薬等にも力を入れ、一人も餓死者を出さなかった。
良由は駒石を連れて木曽全体を巡視して現状を把握して、困っている人たちへの援助をした。
この改善は中山道を通った老中松平定信の知る所となり、幕府の老中に良由をと尾張藩へ伝えたところ、そのように立派な人なら尾張藩で働いてもらいたいと家老に迎えられた。
駒石は現在西方寺敷地内に書斎『翠山桜』(山村代官屋敷に移築保存)を建て、学問や詩作に励み、『翠山桜詩集』をつくった。
寛政9年(1795)駒石は57才で亡くなる。
遺言により、興善寺墓地の他に駒ヶ岳見える七笑にも墓が建てられた。
碑には学者『細井平洲』の碑文が刻まれている。
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代官の息子であった山村(良由:たかよし)蘇門と、その学友である石作駒石 (いしづくり・くせき)の功績のことが書かれていました。
「水魚の交わり」といえるような身分を越えた暖かい心の交わりがあったようで、その辺りの詳細が書かれた資料がネット上に公開されていました。
文章は平明な歴史解説が書かれていて、面白いです。
私があれこれ紹介するよりもご覧いただいた方が良いと思います。
出版:木曽福島町教育委員会 山村蘇門
https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/2043215100/2043215100100020/ht000060
何気なく見かけたお墓でしたが、調べてみるとなかなか面白い歴史的人物のお墓なのでした。
旧中仙道は県道267線沿いにあるのですが、左手平屋建物に掲げてあるBridgestoneの看板が見える手前辺りの右手に小さな中仙道案内の杭があります。
そこを斜め右の細い道に入っていきます。
こんな感じの道になります。
ガードレールに小さな中仙道の案内板がありますのでU-ターンするように細い草道を下ります。
行っていいのか迷うような細い道です。
ワラーチ履きで足元が草に隠れてしまうような道です。
ワラーチで気になるのはマダニで、アレにやられると色々な病原菌が体内に入る恐れがあるのでいつも気になります。
草道が延々とあるような街道ランのときはワークマンで売られているようなハイカットの五本指ソックスが必要ですね。
藪の中を走った後はいつも足元にマダニが喰らいついていないか確認してしまいます。
なにせ痛みがないみたいで、厄介な奴です。
1分で分かる!マダニの抜き方
マダニに噛まれたら病院の皮膚科に行って切開除去してもらうのが一番いいらしいですよ。
小沢村
(つづく)
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