ホテルへ帰る途中のホイアンの通り、まるで昭和初期の映画のワンシーンのようである。
(つづきの始まり)
ホイアンの夜は今夜も賑やかだった。
ひとりユックリと2階のテラス席で食事をした。
小さなバカチョンカメラでは美しい夕闇が撮れなかったのは残念である。
全てがピンボケのような感じになり、まともなのは下の写真と動画だけだ。
食事を終え、賑やかな夜の町をぶらついた。
ひとりで歩くのがもったいないくらい、様々な色彩の提灯の灯りが美しく、暑すぎず寒すぎず、家の灯りがゆらぐ川面を渡る夜風は爽やかで、町自体が一昔前の昭和の日本に戻ったような、なんだか懐かしいようなホイアンは、ただのブラブラ歩きでも自分が映画の中の俳優になっているような錯覚を覚えるのだ。
なかでも俺は映画「地下鉄に乗って」の曲と映画のシーンを思い出していた。
俺もその時だけは、昭和の時代にタイムスリップしたような気持ちだった。
次回来るときは、是非、女房や仲間たちと遊びに来たい。
書き忘れたが、食事する前ブラブラしている途中でホイアンのツアー会社に寄った。
ビーチでの一件で明日の予定が前倒しになったいた。
そこで半日以上のブランクができたから、予定にはなかった世界遺産で有名なチャンパ王国の聖地ミーソン遺跡の半日ツアーにでも行こうと思ったからである。
(チャンパ王国:現在のベトナム中南部にあった海洋国家のこと。チャンパとは占婆花即ち黄花・プルメリアの意である)
ツアー会社の話を聞くと日本人だけのツアー(日本語ガイドツアー付)と欧米人との混載ツアーがあった。
ただし、日本人だけのツアーは1人だけだと倍の値段(2人分)であった?
多分、客一人にガイド一人の個人ツアーでは採算が合わないのだろう。
その時点では、日本人だけのツアーならば日本語ガイドで、格安欧米人混載ツアーは英語ガイドオンリーなのだと俺は勘違いしていた。
だが、あえて欧米人ツアーを選ぶことにした。
頭脳をフル回転させて耳をすませ、英語ガイドを聞くことで英会話の勉強になるとおもったからだ。
ベトナムに来て数日が経ち、多少英語脳が働きだすようになっていたから、なんとかなるだろう、そう思っていた。
ツアーは整地ミーソンまで大型バスに乗るのだが、明日は日本人はたったひとり、俺だけらしかった。
(ところが、実際は1台のバスに英語、日本語の両方が喋れるガイドと英語オンリーのガイドの2名が乗るのだ。
欧米人と一緒の国際友好バスツアーを選ぶか、欧米人とは一緒に乗りたくない日本人だけの過保護ツアーを選ぶかということだけである。)
翌朝も天気は晴だった。
今のところ、ベトナムに来て一度も雨に降られたことはなく、完全に晴である。
ただ、徐々に天気は悪くなる方向に向かっていた。
今日は遺跡めぐりをし、昼過ぎに戻ったら夕方までホイアンをぶらつき、その後シャトルバスに乗ってダナン空港へいき、3番目の目的地ハノイへ向かう予定である。
ホテルのバイキング朝食をとった。
ホテルは部屋もサービスもいいし、朝食も豪華だし、本当にCPの良いホテルだ。
難点はホテル内では日本語は全く通じないというだけである。
日本なら3500円程度じゃ、カプセルホテルも泊まれるかどうか。
決められた場所に8時に集合して大型観光バスに乗るのだが、たしかに欧米人だけだった。
英会話に備えて電子辞書を持参していた。
ガイドは男女2人いて、女性ガイドと俺が相席である。
その女性が英語、日本語両方できるガイドだった。
彼女いわく日本語は十分ではないとのことだったが、英語を交えれば、ほぼ完全に意思疎通ができた。
彼女はベトナムの54ある民族のうち90%を占める種族のキン族のベトナム人女性である。
車内の英語ガイドは全部同時通訳してくれた。
しかも、ツアー中はずっと日本人の俺だけのために付き添って案内してくれたのである。
これなら、俺だけの完全な個人ガイドを雇ったのとかわらなかった。
バスツアーでありながら、バスの外の景色をみるより、ほとんど彼女と話をしていた。
それが実に面白かったのだ。
今回のベトナムで彼女から色々教わった知識は多かった。
インドでは青年からインドのことを色々教わったが、ベトナムでは女性からベトナムを知ることになった。
ベトナムの女性の考えていること、男性観、結婚の話、日々の暮らし、趣味、料理の話、etc
このブログで書いているベトナム人に対する知識はほぼ彼女から聞いた話である。
(だから、知識が偏っている可能性?は十分あり)
彼女は独身で普段はホイアンにあるお母さんの料理店を手伝っていて、頼まれると臨時ガイドの仕事をしているらしく、しっかりした知的な女性だった。
日本語を勉強していて、将来は日本へいくつもりだという。
(俺には彼女が『日本に行くと生活が豊かになる』と勘違いしているようにも思われた。)
もうすぐミーソンに着くというころ、彼女はツアーガイドでありながら、前のシートにうつぶしてバス酔い状態になった。
サイゴンの市民バス中で女性が酔っていたのと同じである。
ベトナム女性は、とても乗り物酔いをする人が不思議に多いのだ。
何故なのかはわからない。
人種的にそうなんだろうか?
とにかく、「大丈夫?」と声をかけたのだが、
「心配しないで!いつものことです。貴方は優しいです。」
と驚きのドキドキ発言をするのだった。
『貴方は優しい人』などとは、いまだかつて女房にも言われたことが無いような・・・?
それが、自分の娘みたいな年頃の女性からお世辞にも言われたら貴方もパルピテーション状態になるだろう。
この後のハノイでもそうだったのだが、ベトナムでは女性から「俺は好かれている」と勘違いしてしまいがちなことが良く発生するのだ。
色々話を聞いてみると、例外はあるとしてもベトナムの男性は大抵が亭主関白なのだそうだ。
俺などは当たり前のように常日頃やらされている料理の支度は、まず100%しないそうである。
家では何もしないというのである。
あれだけ、熱々のベトナム人カップルが結婚したとたん、男は変身し関白宣言するわけだ。
というか、女性が男に尽くし過ぎるのでグウタラ亭主になると俺は思う。
(これは前も書いたかと思うが、ベトナム戦争で多くの若い男が次々に減ったことと関係している。)
にもかかわらず、ベトナムでは専業主婦は非常に少なく、妻は仕事を持っているのが普通であり、且つ完璧に主婦をこなし、母親としても頑張らなければならない。
戦争の教訓から、男がいなくてもひとりで強く生きていける様に育ってきているのである。
浮気男のナニもちょん切るぐらいの強さがあり、離婚率も高いらしい。
だから、男に対しても褒め上手で、男より何枚も上手である。
あの魅力的な笑顔も褒め殺しの道具かもしれない。
俺もベトナムでは褒め殺しに遭っていたのだと思う。
とにかく、もう、本当に彼女たちは大変なのだ。
本音は夫に対し、
「やれることは自分でやって頂戴ね!」
という気持なのである。
だから、女房を手伝い、そして敬い、崇め祀り、まるでロボットのように女房の指示に従うカカア天下体制下にあるウブな日本人野郎はベトナムじゃ滅茶苦茶、手玉?に取りやすい理想の男なのだ。
(もちろん、お金持ちの国、ビジネスで成功した国、戦後の焼け野原から復活した国からきた男性であるということも要素として当然ある。)
でも、理想だというのは日本人への褒め言葉だったかもしれない。
察するに彼女も多分、日本人の男性と結婚したいと思っているようだった。
そして、彼女の話によるとだが、ベトナムの一般女性はミテクレ、外見よりも、中身を大事にするようで、さらにいえば、頭が良いと思われている日本人は憧れに近いものがあるのである。
(彼女には、日本の男も色々な人がいるよと注意だけはしておいた。)
そんなわけで、ミーソン遺跡の写真はとったが、おしゃべりばかりしていて、動画は撮り忘れてしまった。
そこで、雰囲気だけでもと思い、まずはHISの紹介動画があったので、転載する。
ミーソン遺跡(空模様が多少怪しい)
(つづく)
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ホイアンの夜は今夜も賑やかだった。
ひとりユックリと2階のテラス席で食事をした。
小さなバカチョンカメラでは美しい夕闇が撮れなかったのは残念である。
全てがピンボケのような感じになり、まともなのは下の写真と動画だけだ。
食事を終え、賑やかな夜の町をぶらついた。
ひとりで歩くのがもったいないくらい、様々な色彩の提灯の灯りが美しく、暑すぎず寒すぎず、家の灯りがゆらぐ川面を渡る夜風は爽やかで、町自体が一昔前の昭和の日本に戻ったような、なんだか懐かしいようなホイアンは、ただのブラブラ歩きでも自分が映画の中の俳優になっているような錯覚を覚えるのだ。
なかでも俺は映画「地下鉄に乗って」の曲と映画のシーンを思い出していた。
俺もその時だけは、昭和の時代にタイムスリップしたような気持ちだった。
次回来るときは、是非、女房や仲間たちと遊びに来たい。
書き忘れたが、食事する前ブラブラしている途中でホイアンのツアー会社に寄った。
ビーチでの一件で明日の予定が前倒しになったいた。
そこで半日以上のブランクができたから、予定にはなかった世界遺産で有名なチャンパ王国の聖地ミーソン遺跡の半日ツアーにでも行こうと思ったからである。
(チャンパ王国:現在のベトナム中南部にあった海洋国家のこと。チャンパとは占婆花即ち黄花・プルメリアの意である)
ツアー会社の話を聞くと日本人だけのツアー(日本語ガイドツアー付)と欧米人との混載ツアーがあった。
ただし、日本人だけのツアーは1人だけだと倍の値段(2人分)であった?
多分、客一人にガイド一人の個人ツアーでは採算が合わないのだろう。
その時点では、日本人だけのツアーならば日本語ガイドで、格安欧米人混載ツアーは英語ガイドオンリーなのだと俺は勘違いしていた。
だが、あえて欧米人ツアーを選ぶことにした。
頭脳をフル回転させて耳をすませ、英語ガイドを聞くことで英会話の勉強になるとおもったからだ。
ベトナムに来て数日が経ち、多少英語脳が働きだすようになっていたから、なんとかなるだろう、そう思っていた。
ツアーは整地ミーソンまで大型バスに乗るのだが、明日は日本人はたったひとり、俺だけらしかった。
(ところが、実際は1台のバスに英語、日本語の両方が喋れるガイドと英語オンリーのガイドの2名が乗るのだ。
欧米人と一緒の国際友好バスツアーを選ぶか、欧米人とは一緒に乗りたくない日本人だけの過保護ツアーを選ぶかということだけである。)
翌朝も天気は晴だった。
今のところ、ベトナムに来て一度も雨に降られたことはなく、完全に晴である。
ただ、徐々に天気は悪くなる方向に向かっていた。
今日は遺跡めぐりをし、昼過ぎに戻ったら夕方までホイアンをぶらつき、その後シャトルバスに乗ってダナン空港へいき、3番目の目的地ハノイへ向かう予定である。
ホテルのバイキング朝食をとった。
ホテルは部屋もサービスもいいし、朝食も豪華だし、本当にCPの良いホテルだ。
難点はホテル内では日本語は全く通じないというだけである。
日本なら3500円程度じゃ、カプセルホテルも泊まれるかどうか。
決められた場所に8時に集合して大型観光バスに乗るのだが、たしかに欧米人だけだった。
英会話に備えて電子辞書を持参していた。
ガイドは男女2人いて、女性ガイドと俺が相席である。
その女性が英語、日本語両方できるガイドだった。
彼女いわく日本語は十分ではないとのことだったが、英語を交えれば、ほぼ完全に意思疎通ができた。
彼女はベトナムの54ある民族のうち90%を占める種族のキン族のベトナム人女性である。
車内の英語ガイドは全部同時通訳してくれた。
しかも、ツアー中はずっと日本人の俺だけのために付き添って案内してくれたのである。
これなら、俺だけの完全な個人ガイドを雇ったのとかわらなかった。
バスツアーでありながら、バスの外の景色をみるより、ほとんど彼女と話をしていた。
それが実に面白かったのだ。
今回のベトナムで彼女から色々教わった知識は多かった。
インドでは青年からインドのことを色々教わったが、ベトナムでは女性からベトナムを知ることになった。
ベトナムの女性の考えていること、男性観、結婚の話、日々の暮らし、趣味、料理の話、etc
このブログで書いているベトナム人に対する知識はほぼ彼女から聞いた話である。
(だから、知識が偏っている可能性?は十分あり)
彼女は独身で普段はホイアンにあるお母さんの料理店を手伝っていて、頼まれると臨時ガイドの仕事をしているらしく、しっかりした知的な女性だった。
日本語を勉強していて、将来は日本へいくつもりだという。
(俺には彼女が『日本に行くと生活が豊かになる』と勘違いしているようにも思われた。)
もうすぐミーソンに着くというころ、彼女はツアーガイドでありながら、前のシートにうつぶしてバス酔い状態になった。
サイゴンの市民バス中で女性が酔っていたのと同じである。
ベトナム女性は、とても乗り物酔いをする人が不思議に多いのだ。
何故なのかはわからない。
人種的にそうなんだろうか?
とにかく、「大丈夫?」と声をかけたのだが、
「心配しないで!いつものことです。貴方は優しいです。」
と驚きのドキドキ発言をするのだった。
『貴方は優しい人』などとは、いまだかつて女房にも言われたことが無いような・・・?
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この後のハノイでもそうだったのだが、ベトナムでは女性から「俺は好かれている」と勘違いしてしまいがちなことが良く発生するのだ。
色々話を聞いてみると、例外はあるとしてもベトナムの男性は大抵が亭主関白なのだそうだ。
俺などは当たり前のように常日頃やらされている料理の支度は、まず100%しないそうである。
家では何もしないというのである。
あれだけ、熱々のベトナム人カップルが結婚したとたん、男は変身し関白宣言するわけだ。
というか、女性が男に尽くし過ぎるのでグウタラ亭主になると俺は思う。
(これは前も書いたかと思うが、ベトナム戦争で多くの若い男が次々に減ったことと関係している。)
にもかかわらず、ベトナムでは専業主婦は非常に少なく、妻は仕事を持っているのが普通であり、且つ完璧に主婦をこなし、母親としても頑張らなければならない。
戦争の教訓から、男がいなくてもひとりで強く生きていける様に育ってきているのである。
浮気男のナニもちょん切るぐらいの強さがあり、離婚率も高いらしい。
だから、男に対しても褒め上手で、男より何枚も上手である。
あの魅力的な笑顔も褒め殺しの道具かもしれない。
俺もベトナムでは褒め殺しに遭っていたのだと思う。
とにかく、もう、本当に彼女たちは大変なのだ。
本音は夫に対し、
「やれることは自分でやって頂戴ね!」
という気持なのである。
だから、女房を手伝い、そして敬い、崇め祀り、まるでロボットのように女房の指示に従うカカア天下体制下にあるウブな日本人野郎はベトナムじゃ滅茶苦茶、手玉?に取りやすい理想の男なのだ。
(もちろん、お金持ちの国、ビジネスで成功した国、戦後の焼け野原から復活した国からきた男性であるということも要素として当然ある。)
でも、理想だというのは日本人への褒め言葉だったかもしれない。
察するに彼女も多分、日本人の男性と結婚したいと思っているようだった。
そして、彼女の話によるとだが、ベトナムの一般女性はミテクレ、外見よりも、中身を大事にするようで、さらにいえば、頭が良いと思われている日本人は憧れに近いものがあるのである。
(彼女には、日本の男も色々な人がいるよと注意だけはしておいた。)
そんなわけで、ミーソン遺跡の写真はとったが、おしゃべりばかりしていて、動画は撮り忘れてしまった。
そこで、雰囲気だけでもと思い、まずはHISの紹介動画があったので、転載する。
ミーソン遺跡(空模様が多少怪しい)
(つづく)
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