行動の方が先走りしてしまい、書き溜まってしまった旅ラン記録ですが、ようやく2020年代の記録を書けるようになりました。
この時の旅ランの日付は3月6日(金)になります。
この時期は新型コロナウィルスが問題になりはじめ、外出時には皆一様にマスクをかけ始め、しょっちゅう手を洗い始めた頃でした。
ただ、今ほどデリケートではなく、世間一般の新型コロナに対する認知度としては、それ程ではなかったかと思います。
また話は転じますが、個人的には年齢も考慮しての仕事リタイアから3か月が経っていました。
そんなこともあり、
「毎日が日曜日」
・・・という新しい状況にはなったのですが、世間では
「人との接触をなるべく避けることを意識しなければならない」
ことになっていましたから、自分好き勝手な行動はできず、隠居ジジィの正しい身の処し方は
「小さな我が家に静かに引きこもる」
という鴨長明さんのような方丈記的隠居生活パターンにならなければならない雰囲気でありました。
ですが、元来、多少ADHD的な性格をもった自分としては、その生活が息苦しく、息苦しくて、たまりません。
ついつい毎日お酒も多めに呑むようになってきており、せっかく仕事から解放されたというのに以前よりもストレスが溜まって、かえって体調を崩してしまうように思われました。
そして、このころですが、まだ新型コロナ対策としては
「県外への移動にたいする自粛のお願い」
というご公儀のお触書は出回っておりませんでした。
ですから、必然として、
一人で勝手に旅する放浪的旅ランなら非接触型旅行でまず問題はあるまい
と、自分勝手な思考にいたりました。
さて、その3月6日
人の少ない始発電車を利用して、前回の最終地点である石和温泉駅に向かい旧甲州街道ランの続きを行うことにしました。
まだまだ外気は気温が低く、ユニクロの羽毛服を羽織り、電車の隅っこでウトウトしながらが石和への旅の始まりなのでした。
駅に到着してからは、前回中断した場所に歩いて向かいます。
笛吹権三郎像が建つ橋の上で
まず
①朝飯をたべる
②旅の途中でコンビニが見つからないことを想定して水分と食料の調達する
ためにコンビニ探しから始まりました。
さすがに石和は大きな町ですから、すぐセブンの茶屋がすぐ見つかりました。
ただ、イートインコーナーはなく、笛吹権三郎像が建つ橋の上のベンチにて笛の音を想像しながら菓子パンの朝食を摂りました。
笛の音というと、どうしても宮本武蔵のお通さんを思い浮かべてしまうのは自分だけでしょうか?
創業明治42年の老舗中華料理屋のようです。
まだ朝早いですから、もちろん開いていませんが調べたら人気のあるお店でした。
11時オープンみたいです。
醤油ラーメンと馬肉の肉飯が看板のようです。
【山梨】三角屋
まだ朝早く結構な寒さでしたから、菓子パンではなく朝ラーしたかったんですがね。
大蔵経寺山(だいぞうきょうじやま)
それでも、徐々に日差しは春の様相を示してきました。
日向であれば、うららかな気持ちが良いほどの暖かさでありました。
真新しい丸石神を発見!
これは自然石ではなく、加工したものですね。
この辺りは和戸町というそうです。
標柱には次のように書いてありました。
---------
和戸町(由来)和戸町は平安期この附近を中心として栄えた表門郷(うわとのごう)の遺称である。郷とは奈良時代に五十戸をもって編成された行政村落のことであり、地名の由来から、古くから集落が発達していたことが知られる。地内には在原塚、琵琶塚、大神さん塚などの古墳が点在する。
---------
なるほどね~。
南国風のホテルと白い雪を纏った南アルプスのアンバランスさに写真を一枚!
山崎三差路
この辺りの甲府市酒折地区が青梅街道、甲州街道だけなく、様々な街道の集束点(交通の要所)になります。
室町時代以前から甲斐国と周辺諸国を結んできた9つの古道「甲斐九筋」の結節点だそうです。
その九筋とは
駿州往還(河内路)
中道往還(右左口路)
若彦路
甲斐路(御坂路)
青梅街道(萩原路)
秩父往還道(雁坂路)
穂坂路
棒道(大門嶺口)
信州往還(逸見路)
これには甲州街道は入っていませんね。
甲州街道「江戸 - 甲府」の開設は慶長7年なので、まだ新道なんですかね。
これを見て思ったことは、東京の近くでも、まだまだ走るべき古の道は沢山あるんだなということです。
甲府代官所の死刑執行場、山崎刑場跡(特に案内板のようなものはなく、巨大な石碑があるとしかわからず通り過ぎてしまいますね)
明治4年10月、幕末の侠客(駿河の清水次郎長のライバル)であり、尊王攘夷派の志士である黒駒の勝蔵が境町の牢から引き出されて、この刑場で処刑されています。
愛川欽也さん遺作 『黒駒勝蔵 明治維新に騙された男』予告編
この作品、面白そうですね。
最初に前回のブログに書いたテアトル石和(閉館)がでてきます。
2012年にテアトル石和にて上映し、舞台挨拶に愛川さんもきたそうです。
嬉しいことに巨大な三角形の岩の山である甲斐駒ヶ岳が大きく見えてきました。
美しい山ですね。
俄然、走る気がしてきました。
甲斐駒ヶ岳は学生の頃、ひとりでハードな黒戸尾根から登りました。
はじめての単独行だったこともあり、とても懐かしい山です。
(思い出ついでに記すと、そこから無人の仙丈藪沢小屋に泊り、さらに仙丈ケ岳を登り、帰りに殆ど人の通らない地蔵尾根から下ったら、途中の林道で大きな熊にバッタリ出くわしたという思い出があります。
その時、近眼の自分はコンタクトレンズの調子が悪く、それを外して歩いていて、林道先に見える黒い物が熊だと分からず、大きな犬が林道で遊んでいるのだと思いこみ、犬好きなこともあってドンドン寄っていったら、コチラをジッと見ていた熊がビックリしたんでしょうね、突然、林道脇の急な山の斜面を駆け上がっていったので、その時点でそれが犬ではなく熊だと分かり、腰を抜かすほど驚いたということがありました。
熊がいた場所から十分に通り過ぎるまで大声で「ドンガン・ドンガラガッタ!」とハリスの風を歌っておりました。(笑))
話を戻しましょう。
結局、旧甲州街道の最後の方はしばらくの間、甲斐駒ヶ岳に見守られながら走るようになりました。
なんとなく、旧甲州道旅ランの灯台のように思えました。
(つづく)
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この時の旅ランの日付は3月6日(金)になります。
この時期は新型コロナウィルスが問題になりはじめ、外出時には皆一様にマスクをかけ始め、しょっちゅう手を洗い始めた頃でした。
ただ、今ほどデリケートではなく、世間一般の新型コロナに対する認知度としては、それ程ではなかったかと思います。
また話は転じますが、個人的には年齢も考慮しての仕事リタイアから3か月が経っていました。
そんなこともあり、
「毎日が日曜日」
・・・という新しい状況にはなったのですが、世間では
「人との接触をなるべく避けることを意識しなければならない」
ことになっていましたから、自分好き勝手な行動はできず、隠居ジジィの正しい身の処し方は
「小さな我が家に静かに引きこもる」
という鴨長明さんのような方丈記的隠居生活パターンにならなければならない雰囲気でありました。
ですが、元来、多少ADHD的な性格をもった自分としては、その生活が息苦しく、息苦しくて、たまりません。
ついつい毎日お酒も多めに呑むようになってきており、せっかく仕事から解放されたというのに以前よりもストレスが溜まって、かえって体調を崩してしまうように思われました。
そして、このころですが、まだ新型コロナ対策としては
「県外への移動にたいする自粛のお願い」
というご公儀のお触書は出回っておりませんでした。
ですから、必然として、
一人で勝手に旅する放浪的旅ランなら非接触型旅行でまず問題はあるまい
と、自分勝手な思考にいたりました。
さて、その3月6日
人の少ない始発電車を利用して、前回の最終地点である石和温泉駅に向かい旧甲州街道ランの続きを行うことにしました。
まだまだ外気は気温が低く、ユニクロの羽毛服を羽織り、電車の隅っこでウトウトしながらが石和への旅の始まりなのでした。
駅に到着してからは、前回中断した場所に歩いて向かいます。
笛吹権三郎像が建つ橋の上で
まず
①朝飯をたべる
②旅の途中でコンビニが見つからないことを想定して水分と食料の調達する
ためにコンビニ探しから始まりました。
さすがに石和は大きな町ですから、すぐセブンの茶屋がすぐ見つかりました。
ただ、イートインコーナーはなく、笛吹権三郎像が建つ橋の上のベンチにて笛の音を想像しながら菓子パンの朝食を摂りました。
笛の音というと、どうしても宮本武蔵のお通さんを思い浮かべてしまうのは自分だけでしょうか?
創業明治42年の老舗中華料理屋のようです。
まだ朝早いですから、もちろん開いていませんが調べたら人気のあるお店でした。
11時オープンみたいです。
醤油ラーメンと馬肉の肉飯が看板のようです。
【山梨】三角屋
まだ朝早く結構な寒さでしたから、菓子パンではなく朝ラーしたかったんですがね。
大蔵経寺山(だいぞうきょうじやま)
それでも、徐々に日差しは春の様相を示してきました。
日向であれば、うららかな気持ちが良いほどの暖かさでありました。
真新しい丸石神を発見!
これは自然石ではなく、加工したものですね。
この辺りは和戸町というそうです。
標柱には次のように書いてありました。
---------
和戸町(由来)和戸町は平安期この附近を中心として栄えた表門郷(うわとのごう)の遺称である。郷とは奈良時代に五十戸をもって編成された行政村落のことであり、地名の由来から、古くから集落が発達していたことが知られる。地内には在原塚、琵琶塚、大神さん塚などの古墳が点在する。
---------
なるほどね~。
南国風のホテルと白い雪を纏った南アルプスのアンバランスさに写真を一枚!
山崎三差路
この辺りの甲府市酒折地区が青梅街道、甲州街道だけなく、様々な街道の集束点(交通の要所)になります。
室町時代以前から甲斐国と周辺諸国を結んできた9つの古道「甲斐九筋」の結節点だそうです。
その九筋とは
駿州往還(河内路)
中道往還(右左口路)
若彦路
甲斐路(御坂路)
青梅街道(萩原路)
秩父往還道(雁坂路)
穂坂路
棒道(大門嶺口)
信州往還(逸見路)
これには甲州街道は入っていませんね。
甲州街道「江戸 - 甲府」の開設は慶長7年なので、まだ新道なんですかね。
これを見て思ったことは、東京の近くでも、まだまだ走るべき古の道は沢山あるんだなということです。
甲府代官所の死刑執行場、山崎刑場跡(特に案内板のようなものはなく、巨大な石碑があるとしかわからず通り過ぎてしまいますね)
明治4年10月、幕末の侠客(駿河の清水次郎長のライバル)であり、尊王攘夷派の志士である黒駒の勝蔵が境町の牢から引き出されて、この刑場で処刑されています。
愛川欽也さん遺作 『黒駒勝蔵 明治維新に騙された男』予告編
この作品、面白そうですね。
最初に前回のブログに書いたテアトル石和(閉館)がでてきます。
2012年にテアトル石和にて上映し、舞台挨拶に愛川さんもきたそうです。
嬉しいことに巨大な三角形の岩の山である甲斐駒ヶ岳が大きく見えてきました。
美しい山ですね。
俄然、走る気がしてきました。
甲斐駒ヶ岳は学生の頃、ひとりでハードな黒戸尾根から登りました。
はじめての単独行だったこともあり、とても懐かしい山です。
(思い出ついでに記すと、そこから無人の仙丈藪沢小屋に泊り、さらに仙丈ケ岳を登り、帰りに殆ど人の通らない地蔵尾根から下ったら、途中の林道で大きな熊にバッタリ出くわしたという思い出があります。
その時、近眼の自分はコンタクトレンズの調子が悪く、それを外して歩いていて、林道先に見える黒い物が熊だと分からず、大きな犬が林道で遊んでいるのだと思いこみ、犬好きなこともあってドンドン寄っていったら、コチラをジッと見ていた熊がビックリしたんでしょうね、突然、林道脇の急な山の斜面を駆け上がっていったので、その時点でそれが犬ではなく熊だと分かり、腰を抜かすほど驚いたということがありました。
熊がいた場所から十分に通り過ぎるまで大声で「ドンガン・ドンガラガッタ!」とハリスの風を歌っておりました。(笑))
話を戻しましょう。
結局、旧甲州街道の最後の方はしばらくの間、甲斐駒ヶ岳に見守られながら走るようになりました。
なんとなく、旧甲州道旅ランの灯台のように思えました。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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