千駄塚古墳の頂上にある浅間神社にて
現在、間々田宿のあたりです。
小川家住宅からすぐの場所に逢いの榎という2本の大木があった場所に記念碑がありました。
江戸に18里、日光に18里の日光街道のちょうど中間点だったから間の榎、そして相思相愛の男女が結ばれるという俗信から「逢いの榎」と呼ばれるようになったようですが、板橋宿の縁切り榎の逆バージョンですね。
どちらも榎ですが、縁の樹ということでしょうか?
ウィキペディアによると、榎の和名は「エ」なんだそうで、だから「エの木」。
枝ぶりが良く、広く枝を広げる榎は夏には涼しい日景をつくる姿から榎という字があてられた和製漢字だそうです。
一里塚で最も多く植えられた榎は、大木になって目立つのが主な理由でしょうが、旅人がその木陰で一休みするために植えられた癒しの旅人の樹でもあったのでしょね。
さらに言えば、因みに実は甘くて食べられるそうです。
ただし、ほとんど種のようですが、…。
それでも、旅人に癒しの甘みを与えたとも思われます。
なんとなく、昭和レトロを感じ惹かれてしまうのは何故なんでしょうかね。
この家屋、売り物件の立て札がありました。
間口はこれだけですが、奥がとても広いです。
前の敷地も広いし、いいなぁ!
間々田宿の説明です。
なんだか、変わった建物を発見。
広い駐車場があるので、なにかしらの商業施設だと思いますが、なんでしょうかね?
真言宗豊山派浄光院
間々田宿の北の境にあるのですが、宿場を守る砦の役割をしていました。
この山門はいかにも砦の門という感じです。
広い境内
大きな地震が来たら潰れてしまいそうです。
でも、人が暮らしてますね。
意外に丈夫なのかもしれません。
古民家はなるべく必要以上の改修をかけず、直し過ぎないように再生させると3000万~4000万円ぐらいかかると聞いたことがあります。
それだけのお金をかけても再生させようとする方は少ないでしょう。
よくあるレストランや宿に再生させるとしても、それに見合うだけの収益が得られる地域は限られているでしょうから、古民家はどんどんなくなっていくでしょう。
(スペインに行ったとき見かけたのですが、パラドールといって半官半民の施設なのですが、古城などを改修して高級ホテルとして利用していました。日本じゃそういうことはできないんでしょうかね?)
素晴らしく立派な古民家でもデューデリジェンスにかけると再生できない古民家も沢山あるかと思います。
そういう古民家は、営利を求めない田舎暮らしが大好きな人たちに期待するしかありません。
自分も田舎暮らし大好き人間ですが、肝心の元手がありません。
(古墳前の大木が邪魔して全貌が見えませんが、たぶんこんな形だと白線で描いてみました)
街道から100mほど外れたところに、お椀を伏せたような森があり、「東日本最大級の大形円墳」である千駄塚古墳がありました。
別の角度から見ると綺麗な円墳だと判ります。
(写真は借りました)
頂上までは立派な石の階段があり、改修中の浅間神社がありました。
しかし、何故、古墳の上に神社があるんでしょうか?
昔の人は、この綺麗にこんもりとした丘を墓であると知らなかったのでしょうか?
帰ってきてから、アレコレ調べていたら、この古墳には昔話があると知りました。
----千駄塚(むかしがたりよりコピペ)------
むかしむかし、下野(しもつけ)の小山(おやま)の町の近くに、牧の長者というお金持ちの長者が住んでいました。
ある日のこと、長者の屋敷に遠くの陸奥(むつ)から商人がやって来ました。商人は千頭もの馬を引き連れて、その背中にはロウソクの材料になるたくさんの蜜蝋(みつろう)を積んでいました。商人はこの蜜蝋を売りに行く途中だったのです。
日が暮れてしまいそうだったので、長者の家に泊めてもらった商人でしたが、長者と一緒に夕食を食べているときに、長者から不思議なことを聞かされました。
「わしの家にはな、それはそれは珍しい掛け軸があってな」
「名のある人が描いた掛け軸ですかな」
「いや、もちろんそうなのじゃが、ただ有名な人が描いたというだけではないんじゃ」
「ほほう。ではどんな掛け軸なのですかい」
「うむ。それはな、ニワトリの絵が描いてあってな。朝になるとコケコッコーと鳴くんじゃよ」
商人は大笑い。
そんなバカなことがあるはずない。
人をだましてはいけないと文句を言いました。
しかし長者は真面目な顔のまま。嘘だ、いや嘘じゃないと問答を繰り返した結果、商人は賭けをひとつ提案しました。
「そこまで言うなら、もしも掛け軸が鳴いたら、おいらの千頭の馬に積んだ貴重な荷物を全部お前さんにくれてやろうじゃないか」
「よかろう」
伊藤若冲(ウィキペディア動植綵絵よりお借りしました)
こうして賭けを始めてしまった二人は、掛け軸がある部屋に布団を敷いて寝ることにしました。
そして朝。果たしてどうなったことか。
それはもうびっくりするほどの大きな声で、コケコッコーと掛け軸が鳴いたのです。商人はぶったまげてしまいました。
「まさか、絵が鳴くなんて…」
賭けに負けてしまった商人はがっかりして、千頭分の荷物を全部置いて、とぼとぼと帰って行きました。
一年が経ちました。
あの商人が、再び長者の屋敷にやって来ました。昨年と同じように、千頭の馬の背中にたくさんの荷物を載せて。そして夕食を食べているとき、商人が長者にまたも賭けを言い出したのです。
「あのニワトリの掛け軸のことじゃが、やはり信じられん。本当に鳴くのかどうか、もう一度聞かせてくれないかい。もしも鳴いたら、また馬に積んだ大事な荷物を全部あげようじゃないか。でも鳴かなければ、去年あげた荷物を全部返してもらいたい」
長者は深く考えず、
「よかろう、よかろう」
と、その賭けに乗りました。
夜は更け、そして朝になりました。
どうしたことでしょう。いつもなら元気よく大声で鳴く掛け軸が、今朝に限っては全く鳴きません。首をかしげる長者をよそに、商人は高笑い。
「ほれ、やっぱり掛け軸が鳴くなんてことが、あるはずがないじゃないか。約束通り、荷物は全部返してもらうでな」
こう言い放った商人は、馬に積んできた荷物と去年の荷物を載せ替えて、意気揚々と帰って行きました。
「どうしたことじゃろう…」
毎日毎朝必ず鳴いていたのに、今日に限って鳴かないなんて。長者は悔しい目で、掛け軸をジロリと睨みつけました。
「はっ」
よくよく見てみると、掛け軸の絵のニワトリの首のところに、針を刺したような小さな穴が開いているではありませんか。
「まんまとやられた!」
長者は商人に騙されたことを悔しがりました。けれどもどうしようもありません。
しかたなく商人が置いて行った荷物を開けてみたところ、中身は大量のゴミ。
貴重な掛け軸を駄目にされて、ゴミまで押し付けられた長者は、その場の勢いでつまらない賭けなどしなければ良かったと、うんと反省しました。
長者は大きな穴を掘り、商人のゴミを全部そこに捨てました。そして土をかぶせて小さな山を作り、できあがった山を見ては、自分への戒めにしたのだそうな。
(備考) 商人が刺した針は、山佐知毘古という神様が海で無くしたという釣り針。
---------
若盛、門外不出という日本酒を造っている西堀酒造がありました。
西堀酒造
今まで、街道ランで造り酒屋を何回も見ていますが、「ちょっと一杯!」は一度もありません。
ビールぐらいなら、軽く一杯コップ飲んでも、そのあとも走れますが、日本酒はダメですね。
もう、その時点でジ・エンドで、確実にラン中止になるかと思います。
中仙道ランは、東海道との追分のある草津宿でゴールとするつもりなのですが、造り酒屋があるので、そこではゴールの美酒を堪能するつもりでいます。
多分、来年の秋ごろでしょうか?
(つづく)
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現在、間々田宿のあたりです。
小川家住宅からすぐの場所に逢いの榎という2本の大木があった場所に記念碑がありました。
江戸に18里、日光に18里の日光街道のちょうど中間点だったから間の榎、そして相思相愛の男女が結ばれるという俗信から「逢いの榎」と呼ばれるようになったようですが、板橋宿の縁切り榎の逆バージョンですね。
どちらも榎ですが、縁の樹ということでしょうか?
ウィキペディアによると、榎の和名は「エ」なんだそうで、だから「エの木」。
枝ぶりが良く、広く枝を広げる榎は夏には涼しい日景をつくる姿から榎という字があてられた和製漢字だそうです。
一里塚で最も多く植えられた榎は、大木になって目立つのが主な理由でしょうが、旅人がその木陰で一休みするために植えられた癒しの旅人の樹でもあったのでしょね。
さらに言えば、因みに実は甘くて食べられるそうです。
ただし、ほとんど種のようですが、…。
それでも、旅人に癒しの甘みを与えたとも思われます。
なんとなく、昭和レトロを感じ惹かれてしまうのは何故なんでしょうかね。
この家屋、売り物件の立て札がありました。
間口はこれだけですが、奥がとても広いです。
前の敷地も広いし、いいなぁ!
間々田宿の説明です。
なんだか、変わった建物を発見。
広い駐車場があるので、なにかしらの商業施設だと思いますが、なんでしょうかね?
真言宗豊山派浄光院
間々田宿の北の境にあるのですが、宿場を守る砦の役割をしていました。
この山門はいかにも砦の門という感じです。
広い境内
大きな地震が来たら潰れてしまいそうです。
でも、人が暮らしてますね。
意外に丈夫なのかもしれません。
古民家はなるべく必要以上の改修をかけず、直し過ぎないように再生させると3000万~4000万円ぐらいかかると聞いたことがあります。
それだけのお金をかけても再生させようとする方は少ないでしょう。
よくあるレストランや宿に再生させるとしても、それに見合うだけの収益が得られる地域は限られているでしょうから、古民家はどんどんなくなっていくでしょう。
(スペインに行ったとき見かけたのですが、パラドールといって半官半民の施設なのですが、古城などを改修して高級ホテルとして利用していました。日本じゃそういうことはできないんでしょうかね?)
素晴らしく立派な古民家でもデューデリジェンスにかけると再生できない古民家も沢山あるかと思います。
そういう古民家は、営利を求めない田舎暮らしが大好きな人たちに期待するしかありません。
自分も田舎暮らし大好き人間ですが、肝心の元手がありません。
(古墳前の大木が邪魔して全貌が見えませんが、たぶんこんな形だと白線で描いてみました)
街道から100mほど外れたところに、お椀を伏せたような森があり、「東日本最大級の大形円墳」である千駄塚古墳がありました。
別の角度から見ると綺麗な円墳だと判ります。
(写真は借りました)
頂上までは立派な石の階段があり、改修中の浅間神社がありました。
しかし、何故、古墳の上に神社があるんでしょうか?
昔の人は、この綺麗にこんもりとした丘を墓であると知らなかったのでしょうか?
帰ってきてから、アレコレ調べていたら、この古墳には昔話があると知りました。
----千駄塚(むかしがたりよりコピペ)------
むかしむかし、下野(しもつけ)の小山(おやま)の町の近くに、牧の長者というお金持ちの長者が住んでいました。
ある日のこと、長者の屋敷に遠くの陸奥(むつ)から商人がやって来ました。商人は千頭もの馬を引き連れて、その背中にはロウソクの材料になるたくさんの蜜蝋(みつろう)を積んでいました。商人はこの蜜蝋を売りに行く途中だったのです。
日が暮れてしまいそうだったので、長者の家に泊めてもらった商人でしたが、長者と一緒に夕食を食べているときに、長者から不思議なことを聞かされました。
「わしの家にはな、それはそれは珍しい掛け軸があってな」
「名のある人が描いた掛け軸ですかな」
「いや、もちろんそうなのじゃが、ただ有名な人が描いたというだけではないんじゃ」
「ほほう。ではどんな掛け軸なのですかい」
「うむ。それはな、ニワトリの絵が描いてあってな。朝になるとコケコッコーと鳴くんじゃよ」
商人は大笑い。
そんなバカなことがあるはずない。
人をだましてはいけないと文句を言いました。
しかし長者は真面目な顔のまま。嘘だ、いや嘘じゃないと問答を繰り返した結果、商人は賭けをひとつ提案しました。
「そこまで言うなら、もしも掛け軸が鳴いたら、おいらの千頭の馬に積んだ貴重な荷物を全部お前さんにくれてやろうじゃないか」
「よかろう」
伊藤若冲(ウィキペディア動植綵絵よりお借りしました)
こうして賭けを始めてしまった二人は、掛け軸がある部屋に布団を敷いて寝ることにしました。
そして朝。果たしてどうなったことか。
それはもうびっくりするほどの大きな声で、コケコッコーと掛け軸が鳴いたのです。商人はぶったまげてしまいました。
「まさか、絵が鳴くなんて…」
賭けに負けてしまった商人はがっかりして、千頭分の荷物を全部置いて、とぼとぼと帰って行きました。
一年が経ちました。
あの商人が、再び長者の屋敷にやって来ました。昨年と同じように、千頭の馬の背中にたくさんの荷物を載せて。そして夕食を食べているとき、商人が長者にまたも賭けを言い出したのです。
「あのニワトリの掛け軸のことじゃが、やはり信じられん。本当に鳴くのかどうか、もう一度聞かせてくれないかい。もしも鳴いたら、また馬に積んだ大事な荷物を全部あげようじゃないか。でも鳴かなければ、去年あげた荷物を全部返してもらいたい」
長者は深く考えず、
「よかろう、よかろう」
と、その賭けに乗りました。
夜は更け、そして朝になりました。
どうしたことでしょう。いつもなら元気よく大声で鳴く掛け軸が、今朝に限っては全く鳴きません。首をかしげる長者をよそに、商人は高笑い。
「ほれ、やっぱり掛け軸が鳴くなんてことが、あるはずがないじゃないか。約束通り、荷物は全部返してもらうでな」
こう言い放った商人は、馬に積んできた荷物と去年の荷物を載せ替えて、意気揚々と帰って行きました。
「どうしたことじゃろう…」
毎日毎朝必ず鳴いていたのに、今日に限って鳴かないなんて。長者は悔しい目で、掛け軸をジロリと睨みつけました。
「はっ」
よくよく見てみると、掛け軸の絵のニワトリの首のところに、針を刺したような小さな穴が開いているではありませんか。
「まんまとやられた!」
長者は商人に騙されたことを悔しがりました。けれどもどうしようもありません。
しかたなく商人が置いて行った荷物を開けてみたところ、中身は大量のゴミ。
貴重な掛け軸を駄目にされて、ゴミまで押し付けられた長者は、その場の勢いでつまらない賭けなどしなければ良かったと、うんと反省しました。
長者は大きな穴を掘り、商人のゴミを全部そこに捨てました。そして土をかぶせて小さな山を作り、できあがった山を見ては、自分への戒めにしたのだそうな。
(備考) 商人が刺した針は、山佐知毘古という神様が海で無くしたという釣り針。
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若盛、門外不出という日本酒を造っている西堀酒造がありました。
西堀酒造
今まで、街道ランで造り酒屋を何回も見ていますが、「ちょっと一杯!」は一度もありません。
ビールぐらいなら、軽く一杯コップ飲んでも、そのあとも走れますが、日本酒はダメですね。
もう、その時点でジ・エンドで、確実にラン中止になるかと思います。
中仙道ランは、東海道との追分のある草津宿でゴールとするつもりなのですが、造り酒屋があるので、そこではゴールの美酒を堪能するつもりでいます。
多分、来年の秋ごろでしょうか?
(つづく)
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