若宮八幡宮なる神社があったので入ってみました。
若宮というぐらいだから本宮の祭神の子(御子神)を祀った神社のことみたいです。
八幡神が第15代天皇の応神天皇が神格化されたものになり、従って、その子である第16代天皇の仁徳天皇を祀っているということになります。
その境内に大日如来がありました。
神社なんだけども仏教(密教)の本尊があるのでした。
以前は野晒しのため「濡れ仏様」と呼ばれ親しまれていたそうです。
大日如来坐像(1709年(宝永6年)に鋳造)
300年以上前の仏像に見えないほど綺麗ですね。
よほど手入れがなされているのでしょう。
厚い信仰の様子がうかがわれます。
よく印を結ぶといいますが、手をみると忍者のような感じの印ですね。
調べたら智拳印(ちけんいん)というらしく、「仏の智慧(ちえ)の境地に入る」ことを表しているそうです。
知恵じゃなく、智慧なんですね。
なんのこっちゃ?
同じく境内の仏塔、仏像群
これが小さな若宮八幡宮の本殿です。
またまた十九夜塔です。
十九という数字に意味があるのでしょうか?
十九夜の月を寝待月、臥待月(ふしまちづき)というらしいのですが、素敵な呼び方ですね。
横になって待たないとならないくらい月の出は遅いという意味のようです。
月の出を待って眺めるなんて、時間のゆとりと精神的優雅さを感じますね。
風流というやつでしょうか?
自分が高校の時、強烈な個性の持ち主だった漢文の○田先生が「俺は酒が飲めねぇが…」と言いながら、李白の月の詩を黒板に書いたのを思い出し、ネットで李白、月と調べたらすぐ出てきました。
月下独酌 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢
なんちゃって李白・月下独酌・Li Bai ・Drinking alone beneath the moon
今度、静かな山に登ったら、月と、盃の中の映る月をみながら、酒を呑むなんてことをやってみようと思いました。
山に限らず、家の物干し場にあがって月見酒でもいいですね。
そういえば、その昔、大学のワンゲルの合宿で北八ヶ岳の双子池で月夜の晩に月に向かって吠えたことがありました。
大きな月を見ると吠えたくなるのはオオカミばかりではありません。
(前にもこの話したような???)
BROTHER WOLF(ジム・ブランデンバーグ)を今読んでます。
今、考えてみると、それも風流だなぁ、と思いました。
乙女八幡宮への参道
とても立派な参道なんで行ってみました。
参道をさらに進むと二の鳥居があって、その奥に本殿が見えました。
ですが、やぶ蚊がすごい!
本殿まで残り20mほどなんですが、その間をなにかがモヤモヤ飛んでいます。
本殿までの参道の並木が密なんで薄暗く、やぶ蚊が群れを成してグルグル飛び回っていました。
日当たりの良いところは全く飛んでないのですが、…。
そこで、刺されないよう手ぬぐいで泥棒のように顔を覆い、さらに蚊が口に入らないように、しっかりと口を結び、やぶ蚊を払いのけながら本殿までサッと走り、拝殿前に着くやいなやパンパンと柏手をうって参拝し、クルリと踵を返して戻り、やぶ蚊から逃げました。
それでも、剥き出しの脚は何か所か刺され、痒くて痒くて、水をかけてみたり、脚の表面をバシバシ叩きながら街道まで戻りました。
傍から見たら、あの人何してんだろうと思ったでしょうね。
誰もみてなかったからよかった(笑)
店は日曜日だからでしょうか、開いてませんでした。
なんでもありそうな昔ながらのスーパーマーケットですね。
30数年くらい前、子供が小さいころに練馬区の土支田という東京のチベット的なところに住んでいました。(今は、光が丘ができたりして、今風の町になりました。)
家の周りは大草原のようなキャベツ畑とキュウイの畑で、まるで「大草原の小さな家」的生活でしたが、こんな感じのスーパーがありました。
あまり品数もありませんから、肉も魚も、その日、店に置いてあるもので今晩の食事は決まります。
ですから、晩御飯のメニューもアレコレ考える必要がなく、またお金も使うことがなく、貯金が自然と貯まっていくというシンプルライフ。
質素でしたが、楽しかった思い出です。
街道右手に途轍もなく大きな家が現れました。
肥料問屋、小川家住宅でした。
国の登録有形文化財です。
その一部(米蔵、肥料蔵)が車屋美術館(車屋は屋号)となっていました。
小川家住宅主屋
堂々とした2階建てですね。
観覧料が100円でしたので、払って内部を見学してきました。
内部は撮影禁止でしたので載せることはできませんでしたが、素晴らしく贅沢な住宅でした。
外部な純和風造りで座敷が主ですが、2階に洋室があり、それもまた素晴らしい洋風装飾になっていました。
ただ、意外にも表門が実に地味なのでありました。
小川家住宅表門
石造りでしっかりとはできてますが、小さくて、地味ですよね。
裏門の、間違いじゃないかと思うぐらいです。
なんとなく、ほんまもんの資産家だと思うのでした。
(つづく)
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悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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若宮というぐらいだから本宮の祭神の子(御子神)を祀った神社のことみたいです。
八幡神が第15代天皇の応神天皇が神格化されたものになり、従って、その子である第16代天皇の仁徳天皇を祀っているということになります。
その境内に大日如来がありました。
神社なんだけども仏教(密教)の本尊があるのでした。
以前は野晒しのため「濡れ仏様」と呼ばれ親しまれていたそうです。
大日如来坐像(1709年(宝永6年)に鋳造)
300年以上前の仏像に見えないほど綺麗ですね。
よほど手入れがなされているのでしょう。
厚い信仰の様子がうかがわれます。
よく印を結ぶといいますが、手をみると忍者のような感じの印ですね。
調べたら智拳印(ちけんいん)というらしく、「仏の智慧(ちえ)の境地に入る」ことを表しているそうです。
知恵じゃなく、智慧なんですね。
なんのこっちゃ?
同じく境内の仏塔、仏像群
これが小さな若宮八幡宮の本殿です。
またまた十九夜塔です。
十九という数字に意味があるのでしょうか?
十九夜の月を寝待月、臥待月(ふしまちづき)というらしいのですが、素敵な呼び方ですね。
横になって待たないとならないくらい月の出は遅いという意味のようです。
月の出を待って眺めるなんて、時間のゆとりと精神的優雅さを感じますね。
風流というやつでしょうか?
自分が高校の時、強烈な個性の持ち主だった漢文の○田先生が「俺は酒が飲めねぇが…」と言いながら、李白の月の詩を黒板に書いたのを思い出し、ネットで李白、月と調べたらすぐ出てきました。
月下独酌 李白
花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢
なんちゃって李白・月下独酌・Li Bai ・Drinking alone beneath the moon
今度、静かな山に登ったら、月と、盃の中の映る月をみながら、酒を呑むなんてことをやってみようと思いました。
山に限らず、家の物干し場にあがって月見酒でもいいですね。
そういえば、その昔、大学のワンゲルの合宿で北八ヶ岳の双子池で月夜の晩に月に向かって吠えたことがありました。
大きな月を見ると吠えたくなるのはオオカミばかりではありません。
(前にもこの話したような???)
BROTHER WOLF(ジム・ブランデンバーグ)を今読んでます。
今、考えてみると、それも風流だなぁ、と思いました。
乙女八幡宮への参道
とても立派な参道なんで行ってみました。
参道をさらに進むと二の鳥居があって、その奥に本殿が見えました。
ですが、やぶ蚊がすごい!
本殿まで残り20mほどなんですが、その間をなにかがモヤモヤ飛んでいます。
本殿までの参道の並木が密なんで薄暗く、やぶ蚊が群れを成してグルグル飛び回っていました。
日当たりの良いところは全く飛んでないのですが、…。
そこで、刺されないよう手ぬぐいで泥棒のように顔を覆い、さらに蚊が口に入らないように、しっかりと口を結び、やぶ蚊を払いのけながら本殿までサッと走り、拝殿前に着くやいなやパンパンと柏手をうって参拝し、クルリと踵を返して戻り、やぶ蚊から逃げました。
それでも、剥き出しの脚は何か所か刺され、痒くて痒くて、水をかけてみたり、脚の表面をバシバシ叩きながら街道まで戻りました。
傍から見たら、あの人何してんだろうと思ったでしょうね。
誰もみてなかったからよかった(笑)
店は日曜日だからでしょうか、開いてませんでした。
なんでもありそうな昔ながらのスーパーマーケットですね。
30数年くらい前、子供が小さいころに練馬区の土支田という東京のチベット的なところに住んでいました。(今は、光が丘ができたりして、今風の町になりました。)
家の周りは大草原のようなキャベツ畑とキュウイの畑で、まるで「大草原の小さな家」的生活でしたが、こんな感じのスーパーがありました。
あまり品数もありませんから、肉も魚も、その日、店に置いてあるもので今晩の食事は決まります。
ですから、晩御飯のメニューもアレコレ考える必要がなく、またお金も使うことがなく、貯金が自然と貯まっていくというシンプルライフ。
質素でしたが、楽しかった思い出です。
街道右手に途轍もなく大きな家が現れました。
肥料問屋、小川家住宅でした。
国の登録有形文化財です。
その一部(米蔵、肥料蔵)が車屋美術館(車屋は屋号)となっていました。
小川家住宅主屋
堂々とした2階建てですね。
観覧料が100円でしたので、払って内部を見学してきました。
内部は撮影禁止でしたので載せることはできませんでしたが、素晴らしく贅沢な住宅でした。
外部な純和風造りで座敷が主ですが、2階に洋室があり、それもまた素晴らしい洋風装飾になっていました。
ただ、意外にも表門が実に地味なのでありました。
小川家住宅表門
石造りでしっかりとはできてますが、小さくて、地味ですよね。
裏門の、間違いじゃないかと思うぐらいです。
なんとなく、ほんまもんの資産家だと思うのでした。
(つづく)
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