早朝の甲府市(まだ薄暗いうちから出発です)
この日は3月7日(土)です。
ホテルを早朝に出発しました。
この時点で天気は曇り空で、かなり寒かったと記憶しています。
ユニクロの羽毛ジャケットを着ないと寒くて走れません。
電車に乗り、韮崎駅へ
駅前にコンビニなどはないです。
ですから、前日にオニギリなどは買っておきました。
今日の目的地は甲州街道の江戸から数えて四十二番目の宿場、蔦木宿(つたきじゅく)です。
伝説の経営者で、阪急東宝グループ「阪急・宝塚・東宝」の創始者である小林一三の生家跡がありました。
(小林家は甲州でも5本の指に数えられるほどの豪農で、かつ「布屋」と号して酒造業や絹問屋を営む豪商でもあったそうです。)
とはいっても、自分も全く知らず、その場で携帯で調べて、なんとなく理解したつもりで、その場を立ち去りました。
関係者じゃなければあまり知らないでしょうね。
生まれはボンボンですが、苦労した人のようです。
「金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。」
という名言を残したらしいですが、確かにそうかなと思います。
他にもいいこと言ってます。
「青年よ、独立せよ。大会社にあこがれるな。商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」
「世の中は変わる。非常な勢いで変わってゆくのであるから、どう変わるかを早く見通して、それに適応して行った人間が勝ちである」
なるほどですね。
今の時代に合った格言ですね。
生家跡
記念館でしょうかね。
雄大な南アルプスが甲州街道の旅する人を応援してくれます。
道端の石碑
七里岩と国道
朝が早いので人も車も少ないです。
こんな感じでザックを背負って走ってました。
下はCWXのタイツ、上はユニクロのダウン
履物はワラーチなので足先が寒そうにみえますけど、走ってると意外に大丈夫です。
延々と続く七里岩
まるで城壁の様です。
水難供養塔がありました。
釜無川は荒れたんですね。
明治40年には大水害があったみたいです。
写真では判りにくいのですが、右側の山の肩にちょこんと鳳凰三山の地蔵岳のオベリスクが肉眼ではハッキリ見えます。
参考写真:地蔵岳のオベリスク
韮崎から釜無川に沿って走る旧甲州街道沿いには海鼠壁(なまこかべ)の土蔵が続きました。
祖母石集落です。
海鼠壁は平瓦と漆喰でできているので耐火、防水などの目的・機能を持つので土蔵に最適です。
神明宮
ここで一休み
神明宮のガラス戸に向かって写真を一枚
この時はすでにダウンジャケットは脱いでいます。
薄いウィンドブレーカーが必要なくらいの気温です。
再び、海鼠壁の土蔵が続きます。
旧甲州街道と国道20号線が合流する辺りに石塔が5基ほど祀られていました。
国道に沿って一段低い位置に旧道はあります。
この小さな花が沢山咲いて、原っぱが薄赤く染まっているのですが、写真(下)に撮る全くと分かりません。
ここでショック!です。
この近くに桐沢橋という釜無川にかかる橋があって、旧街道はそこを渡り釜無川の反対側を走るのですが、間違えてそのまま真っ直ぐ国道沿いに走って、穴山橋の先の旧道との再合流まで知らずに行ってしまいました。
このブログを書きながら間違いに気づきました。
どおりで、暫くの間つまらない道が続いたのでした。
それには全く気がつかず単調な国道沿いを七里岩に沿って走りました。
甲州といえば水晶ですが、、、
国道沿いに宝石の原石を売っているのでしょうか?
飾り気のない宝石を売る店(まるで倉庫?)が2軒ありました。
七里岩を挟んで、向こう側の金峰山のほうに水晶の採れた乙女鉱山(江戸から昭和まで採掘、今は閉山)があります。
まあ、自分にはまったく興味がありませんが、、、。
神武天皇御神田入口?
神武天皇は日本神話に登場する人物だけど。存在するのかどうかもわからないですよね。
---------以下、ウィキペディアより
神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さぬ)。『日本書紀』での名は神日本磐余彦天皇。
『日本書紀』・『古事記』によれば天照大御神の五世孫であり、日向から大和国への東征を行い畝傍橿原宮(現在の奈良県)に都して日本を建国したとされる伝説上の人物。
---------
その田圃といわれても、・・・?
言い伝えがあるということですかね。
それとも、この辺りのコメがそれだけ美味しいということでしょうか?
七里岩から降りてくる道路がみえます。
韮崎駅の近くの七里岩の先端から、ずっーと、ここ(穴山橋手前)まで釜無川に降りてくる道は数本しかなかったですね。
もし、七里岩から降りてくるとしたらクリフハンガーの世界ですよ。
荒れ果てたパチンコ屋
このあたりじゃ、廃業しても仕方ない立地だと思うんですが・・・。
トラック駐車場の奥に七里岩の岩肌が見えます。
七里岩の岩肌
まったく、穴だらけですね。
約 20 万年前までは富士山より高い山ではなかったか、といわれる八ヶ岳の山体崩壊(岩石や動植物を巻き込んで流れ下った壮絶な岩屑なだれ)でできた岩ですから、所々大きな窪みやオーバーハング箇所がありますね。
たぶん、表面だけでなく、内部も水の力で洞穴が沢山開いてるんじゃないでしょうか?
七里岩に染み込んだ雨水が湧き出る美味しい泉もありそうですね。
山梨県珍百景 韮崎岩層流 七里岩 鳥居 (DJI Phantom2 空撮)
国道20号線(甲州街道)の穴山橋に到着しました。
(この時はココが誤ったルートだとは気づいていません。)
橋の上から見る景色も工事現場の様で風情がありません。
ただ、川で浸食された七里岩の岸壁が見事ですかね。
ここで漸く旧道に戻っています。
この時に気がついていなくて良かったかもしれません。
間違えたポイントまで戻ろうかどうか悩んだでしょう。
戻るまで相当な距離があります。
知らぬが仏なのでした。
(つづく)
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この日は3月7日(土)です。
ホテルを早朝に出発しました。
この時点で天気は曇り空で、かなり寒かったと記憶しています。
ユニクロの羽毛ジャケットを着ないと寒くて走れません。
電車に乗り、韮崎駅へ
駅前にコンビニなどはないです。
ですから、前日にオニギリなどは買っておきました。
今日の目的地は甲州街道の江戸から数えて四十二番目の宿場、蔦木宿(つたきじゅく)です。
伝説の経営者で、阪急東宝グループ「阪急・宝塚・東宝」の創始者である小林一三の生家跡がありました。
(小林家は甲州でも5本の指に数えられるほどの豪農で、かつ「布屋」と号して酒造業や絹問屋を営む豪商でもあったそうです。)
とはいっても、自分も全く知らず、その場で携帯で調べて、なんとなく理解したつもりで、その場を立ち去りました。
関係者じゃなければあまり知らないでしょうね。
生まれはボンボンですが、苦労した人のようです。
「金がないから何もできなという人間は、金があっても何もできない人間である。」
という名言を残したらしいですが、確かにそうかなと思います。
他にもいいこと言ってます。
「青年よ、独立せよ。大会社にあこがれるな。商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」
「世の中は変わる。非常な勢いで変わってゆくのであるから、どう変わるかを早く見通して、それに適応して行った人間が勝ちである」
なるほどですね。
今の時代に合った格言ですね。
生家跡
記念館でしょうかね。
雄大な南アルプスが甲州街道の旅する人を応援してくれます。
道端の石碑
七里岩と国道
朝が早いので人も車も少ないです。
こんな感じでザックを背負って走ってました。
下はCWXのタイツ、上はユニクロのダウン
履物はワラーチなので足先が寒そうにみえますけど、走ってると意外に大丈夫です。
延々と続く七里岩
まるで城壁の様です。
水難供養塔がありました。
釜無川は荒れたんですね。
明治40年には大水害があったみたいです。
写真では判りにくいのですが、右側の山の肩にちょこんと鳳凰三山の地蔵岳のオベリスクが肉眼ではハッキリ見えます。
参考写真:地蔵岳のオベリスク
韮崎から釜無川に沿って走る旧甲州街道沿いには海鼠壁(なまこかべ)の土蔵が続きました。
祖母石集落です。
海鼠壁は平瓦と漆喰でできているので耐火、防水などの目的・機能を持つので土蔵に最適です。
神明宮
ここで一休み
神明宮のガラス戸に向かって写真を一枚
この時はすでにダウンジャケットは脱いでいます。
薄いウィンドブレーカーが必要なくらいの気温です。
再び、海鼠壁の土蔵が続きます。
旧甲州街道と国道20号線が合流する辺りに石塔が5基ほど祀られていました。
国道に沿って一段低い位置に旧道はあります。
この小さな花が沢山咲いて、原っぱが薄赤く染まっているのですが、写真(下)に撮る全くと分かりません。
ここでショック!です。
この近くに桐沢橋という釜無川にかかる橋があって、旧街道はそこを渡り釜無川の反対側を走るのですが、間違えてそのまま真っ直ぐ国道沿いに走って、穴山橋の先の旧道との再合流まで知らずに行ってしまいました。
このブログを書きながら間違いに気づきました。
どおりで、暫くの間つまらない道が続いたのでした。
それには全く気がつかず単調な国道沿いを七里岩に沿って走りました。
甲州といえば水晶ですが、、、
国道沿いに宝石の原石を売っているのでしょうか?
飾り気のない宝石を売る店(まるで倉庫?)が2軒ありました。
七里岩を挟んで、向こう側の金峰山のほうに水晶の採れた乙女鉱山(江戸から昭和まで採掘、今は閉山)があります。
まあ、自分にはまったく興味がありませんが、、、。
神武天皇御神田入口?
神武天皇は日本神話に登場する人物だけど。存在するのかどうかもわからないですよね。
---------以下、ウィキペディアより
神武天皇(じんむてんのう)は、日本の初代天皇(在位:神武天皇元年1月1日 - 神武天皇76年3月11日)。諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さぬ)。『日本書紀』での名は神日本磐余彦天皇。
『日本書紀』・『古事記』によれば天照大御神の五世孫であり、日向から大和国への東征を行い畝傍橿原宮(現在の奈良県)に都して日本を建国したとされる伝説上の人物。
---------
その田圃といわれても、・・・?
言い伝えがあるということですかね。
それとも、この辺りのコメがそれだけ美味しいということでしょうか?
七里岩から降りてくる道路がみえます。
韮崎駅の近くの七里岩の先端から、ずっーと、ここ(穴山橋手前)まで釜無川に降りてくる道は数本しかなかったですね。
もし、七里岩から降りてくるとしたらクリフハンガーの世界ですよ。
荒れ果てたパチンコ屋
このあたりじゃ、廃業しても仕方ない立地だと思うんですが・・・。
トラック駐車場の奥に七里岩の岩肌が見えます。
七里岩の岩肌
まったく、穴だらけですね。
約 20 万年前までは富士山より高い山ではなかったか、といわれる八ヶ岳の山体崩壊(岩石や動植物を巻き込んで流れ下った壮絶な岩屑なだれ)でできた岩ですから、所々大きな窪みやオーバーハング箇所がありますね。
たぶん、表面だけでなく、内部も水の力で洞穴が沢山開いてるんじゃないでしょうか?
七里岩に染み込んだ雨水が湧き出る美味しい泉もありそうですね。
山梨県珍百景 韮崎岩層流 七里岩 鳥居 (DJI Phantom2 空撮)
国道20号線(甲州街道)の穴山橋に到着しました。
(この時はココが誤ったルートだとは気づいていません。)
橋の上から見る景色も工事現場の様で風情がありません。
ただ、川で浸食された七里岩の岸壁が見事ですかね。
ここで漸く旧道に戻っています。
この時に気がついていなくて良かったかもしれません。
間違えたポイントまで戻ろうかどうか悩んだでしょう。
戻るまで相当な距離があります。
知らぬが仏なのでした。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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