雑木林と背の高い雑草の中の旧甲州街道を走って初狩宿に向かいます。
全く人気を感じない道です。
目にはみえませんが、時たまクモの糸を引きちぎる感じがしたりしましたから、人が通っていないことが判ります。
旧甲州道の初狩宿にむかう・1
旧甲州道の初狩宿にむかう・2
砂利採石場がありました。
ココも人気はないです。
下初狩宿の踏切を渡る
踏切を渡るとすぐ「聖護院道興歌碑」がありました。
聖護院道興って誰かな?
調べると、とんでもなく偉い大僧正だったみたいです。
聖護院とは、天皇護持の寺というところから付けられた名だそうで、しかも室町幕府の八代将軍足利義政お抱えの護持僧(ごじそう)も務めていたほどの人物であったようです。
ただ、応仁の乱を経て時代は戦国時代に移りつつあり、そんな世が嫌になっちゃったんでしょうか?道興は54歳(1486年)にして2年間の諸国巡歴の大冒険の旅を始めたらしいです。
若狭国から越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国の北国を経て、下総国、上総国、安房国、相模国の関東を廻り、翌年5月には武蔵国から甲斐国を廻り、奥州まで至っているとのこと。
昔ですから、お爺ちゃんだとは思うんですが、すごいですね。
今はとて かすみを分けて かえるさに おぼつかなしや はつかりの里
歌碑は六角の自然石柱と書いてありましたが、この石は中仙道の碓氷峠でみた玄武岩の柱状節理でできた石と同じですね。
あそこから持ってきたんでしょうか?
廿三夜塔と常夜灯
あたりまえだけど、小川の水は綺麗です。
道の両側には切妻2階建の古い家が所々にありました。
珍しい煉瓦造りの蔵を発見!
調べたら1903年(明治36年)のできたもので、当時の初狩村長が、明治29年に工事が始まった旧笹子トンネルに使用したレンガを使用して建てたものらしいです。
次の白野宿へ向かう途中で
道を間違えてしまいました。
スマホのアプリ(茶色の線が旧道、緑色の線はう回路)
スマホのアプリで旧甲州街道の道案内のとおりに進みましたが、案内は明らかに間違っていて、旧道は廃道になっていたんです。
写真は地図で赤く囲った分岐点
(中央自動車道の下をくぐる手前の処です。)
分岐点を曲がって急な坂を登っていきました。
中央高速下のトンネル
トンネル内は枯葉だらけ。
トンネルを抜けるとなんか怪しい雰囲気で、これって道???かなと疑ってしまいます。
それでも案内通りにトンネルを出てすぐ右折し、旧道を探しました。
右折してみた景色(道は踏まれた形跡がない?)
アプリの案内では、ちょっと歩けば旧道があるはずですが、見当たりません。
暫く、ウロウロ探してみましたが、それらしき道のようなものはありません。
案内が正しければ、なにかしらの人跡があるはずなのですが、、、。
仕方なく、高速道路から離れて急な斜面の山肌を登ってみました。
(スマホの地図アプリ間違ってるじゃん!)
それではと、先ほどの逆方向、すなわちトンネルを出口から左の沢に向かっていってみようと思い立ちました。
(スマホのアプリ間違ってるじゃん2)
沢は結構な水量で渡渉することはできますが、確実に濡れてしまうでしょう。
それに、その先に旧道があるように見えません。
仕方なく、分岐点まで戻り国道を行くことにしました。
せめてもの慰めが途中で百合の花をみつけたことですかね。
お疲れ様でした。
いままで、東海道ランも中央道ランもスマホの旧街道地図アプリが誤りだったことは有りませんでしたので、「こりゃ良くできたアプリだ」と信じていましたが、今回ばかりはアプリの誤りだと確信しました。
人によっては、無理して渡渉し、ますます道に迷ってしまうかもしれません。
(スマホのアプリの問い合わせ欄から地図情報の誤りを指摘しようと後日思いましたが、何故か、うまく発信できません???)
(つづく)
当ブログは若者の自立を支援する団体、NPO法人ネイチャーズを応援しています。
NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
当ブログはボランティア団体不登校・ひきこもりの親の会 FIRST STEPを応援しています。
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目にはみえませんが、時たまクモの糸を引きちぎる感じがしたりしましたから、人が通っていないことが判ります。
旧甲州道の初狩宿にむかう・1
旧甲州道の初狩宿にむかう・2
砂利採石場がありました。
ココも人気はないです。
下初狩宿の踏切を渡る
踏切を渡るとすぐ「聖護院道興歌碑」がありました。
聖護院道興って誰かな?
調べると、とんでもなく偉い大僧正だったみたいです。
聖護院とは、天皇護持の寺というところから付けられた名だそうで、しかも室町幕府の八代将軍足利義政お抱えの護持僧(ごじそう)も務めていたほどの人物であったようです。
ただ、応仁の乱を経て時代は戦国時代に移りつつあり、そんな世が嫌になっちゃったんでしょうか?道興は54歳(1486年)にして2年間の諸国巡歴の大冒険の旅を始めたらしいです。
若狭国から越前国、加賀国、能登国、越中国、越後国の北国を経て、下総国、上総国、安房国、相模国の関東を廻り、翌年5月には武蔵国から甲斐国を廻り、奥州まで至っているとのこと。
昔ですから、お爺ちゃんだとは思うんですが、すごいですね。
今はとて かすみを分けて かえるさに おぼつかなしや はつかりの里
歌碑は六角の自然石柱と書いてありましたが、この石は中仙道の碓氷峠でみた玄武岩の柱状節理でできた石と同じですね。
あそこから持ってきたんでしょうか?
廿三夜塔と常夜灯
あたりまえだけど、小川の水は綺麗です。
道の両側には切妻2階建の古い家が所々にありました。
珍しい煉瓦造りの蔵を発見!
調べたら1903年(明治36年)のできたもので、当時の初狩村長が、明治29年に工事が始まった旧笹子トンネルに使用したレンガを使用して建てたものらしいです。
次の白野宿へ向かう途中で
道を間違えてしまいました。
スマホのアプリ(茶色の線が旧道、緑色の線はう回路)
スマホのアプリで旧甲州街道の道案内のとおりに進みましたが、案内は明らかに間違っていて、旧道は廃道になっていたんです。
写真は地図で赤く囲った分岐点
(中央自動車道の下をくぐる手前の処です。)
分岐点を曲がって急な坂を登っていきました。
中央高速下のトンネル
トンネル内は枯葉だらけ。
トンネルを抜けるとなんか怪しい雰囲気で、これって道???かなと疑ってしまいます。
それでも案内通りにトンネルを出てすぐ右折し、旧道を探しました。
右折してみた景色(道は踏まれた形跡がない?)
アプリの案内では、ちょっと歩けば旧道があるはずですが、見当たりません。
暫く、ウロウロ探してみましたが、それらしき道のようなものはありません。
案内が正しければ、なにかしらの人跡があるはずなのですが、、、。
仕方なく、高速道路から離れて急な斜面の山肌を登ってみました。
(スマホの地図アプリ間違ってるじゃん!)
それではと、先ほどの逆方向、すなわちトンネルを出口から左の沢に向かっていってみようと思い立ちました。
(スマホのアプリ間違ってるじゃん2)
沢は結構な水量で渡渉することはできますが、確実に濡れてしまうでしょう。
それに、その先に旧道があるように見えません。
仕方なく、分岐点まで戻り国道を行くことにしました。
せめてもの慰めが途中で百合の花をみつけたことですかね。
お疲れ様でした。
いままで、東海道ランも中央道ランもスマホの旧街道地図アプリが誤りだったことは有りませんでしたので、「こりゃ良くできたアプリだ」と信じていましたが、今回ばかりはアプリの誤りだと確信しました。
人によっては、無理して渡渉し、ますます道に迷ってしまうかもしれません。
(スマホのアプリの問い合わせ欄から地図情報の誤りを指摘しようと後日思いましたが、何故か、うまく発信できません???)
(つづく)
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