軽のデコトラを発見!
山道を下る途中で見つけました。
近くの板金工場の方が所有者らしく、エンジンをかけてキラキラデコレーションを見せていただきました。
ちゃんと車検も通っているし、相当なお金がかかっていると思いますね。
乗ってみたい気がします。
天降社の大モミジ(木祖村天然記念物)
尾州御鷹匠役所跡
この辺りに巣山に入り鷹のヒナを捕獲し飼育調教した拠点があったようです。
注:尾州とは旧国名・尾張国の別称で、木曽川流域の愛知県尾張西部地域から岐阜県西濃地域のこと。
この辺でウロウロしていたら地元の人に呼び止められ、この辺りの歴史を色々と説明してもらいました。
藪原宿は昔の名残は殆どないということで、行ってみると宿場であったと思われる面影は僅かでした。
藪原宿
防火高堀跡
元禄八年(1695年)に大火があって藪原宿は全焼したようです。
その教訓から広小路を造り防火壁を設けたとのことです。
広小路ですけど、よくよく考えてみると〇〇大通りではなく、何故、〇〇広小路なんだろう?
ウィキペディアでしらべてみたら、単なる広い道路という意味だけでないようで次のように書いてありました。
---------ウィキペディア、広小路より抜粋
元は江戸幕府が明暦3年(1657年)の明暦の大火をきっかけに推進した火除地の一種として上野や両国などに設置され、続いて3年後の万治3年(1660年)に大火にあった名古屋にも同様の通りが設置された。火災の類焼を食い止める役割を果たした。また、広小路に沿って火除土手(ひよけどて)が設けられたが、今日では失われてしまった場所も多い。
後に各地に広まって同様の趣旨をもった通りを「広小路」と称するようになった。江戸時代から昭和戦前までに名付けられた街路のため、太平洋戦争後の復興で広小路より更に広い街路を持つ都市も少なくない。
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広小路と言えば、自分にとっては上野広小路ですね。
高校時代は御徒町、上野あたりに学生服着て、たむろしてました。
上野寛永寺の門前町として発展した地区だけど、あそこでの大火はなにか?といえば、やはりウィキのいう1657年の明暦の大火(振袖火事)です。
水屋(源流の里、二又水道組合と書かれてました)
国道19号線(JRと木曽川にそっている)の道からの眺め
国道をかなり歩くと、気が付きにくいが国道が木曽川を跨ぐ橋のすぐ手前で斜め左の荒れ果てた旧国道に入ります。
荒れ果てた国道は寂しいもので、それが故に熊が出そうな雰囲気を醸し出しています。
なんとなく、熊鈴を鳴らしたくなる感じですね。
再び、国道と合流し、吉田洞門となるのですが、歩道は木曽川沿いの洞門の脇を行きます。
ちょっとウンザリ気味の国道沿い(車線反対側)に石仏石塔群がありました。
何もないより国道の景色より、あるだけマシという気持ちでしたね。
国道は山吹トンネル手前でガードレールを跨いで迂回している旧国道へ入ります。
ココも熊が出そうな感じです。
ただ、木曽川沿いの景色はなかなか素晴らしいものでした。
この旧国道から巴渕に直接至る山吹山回廊道という中仙道の旧道があるのですが、廃道のようで入り口も判りませんでした。
再び国道(トンネルの出口)と合流します。
そこには、山の中のセブンイレブン木曽町神谷入口店、現代の茶店です。
なんとなく、ホッとします。
もちろん、ここで休憩しました。
巴淵に着きました。
巴御前の巴淵
巴淵のすぐそばにJRが通ってました。
東屋の向こうに見えますね。
(つづく)
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