神田明神下のビルのステンレスのドアに写る俺。
足が短い!(汗)
--------------
東海道走膝痛シでも書いたが、寒い時期の鈴鹿峠越えはやめて、旧中仙道を走り始めることにした。
なお、このランニングは楽しい旅ランと、ウルトラマラソン練習を兼ねている。
一挙両得、一石二鳥の俺向きなランニングだ。
旅ランでないと、厭きてしまって、LSD練習ができない。
皇居をグルグル回ると2周目には厭きて走る気が失せる。
辛い練習は好きじゃない。
楽しく走って、しかも練習効果があがるのが旅ランだ、と自分だけの確信である。
地下鉄の日本橋駅でありて、日本橋にむかう。
外は霧雨だった。
ペラペラの薄いゴアテックスのウィンドブレーカーを着て、寒さと濡れを防ぐに丁度よい感じである。
今回は小雨を想定していたので、カッパ上下、傘は持参している。
雨量が激しくなったら、途中でやめて、公共交通機関で帰ればいい。
とにかく、橋の真ん中からスタートだ。
ランニングデータ記録をとるために、携帯のSNS(JogNote)を作動させる。
これで、今日の行動(ペース、地図上の行動記録、距離、時間)がすべて記録される。
とても便利だ。
なんとなく走り出す。
東海道は日本橋から南下し、中仙道は北上する。
(面白いオブジェがあったのでパチリと自撮り)
だが、なんだか変な気がした?
どこかで、まえにも見たような景色だ・・・。
京橋交差点で気が付いた。
南下していたのだ。
中仙道とは逆の方向(東海道)に走っていたのだ。
ガーン!
いきなりのミス!
よく考えてみたら、三越を横目で見ながら走るはずなのに、その三越がなかった。
京橋までおよそ1キロ!
昨日、飲みすぎたかもしれない。
もう、アルチューハイマーである。
しかたなく、逆戻りし、計2キロの道草を食んだのであった。
ヘアーサロン大野の日本橋本店である。
店の脇には理容歴史が書かれた掲示ボードがある。
イワシ頭の俺は、いつも駅ナカの1000円カットですましている。
たまに友人の床屋に行く程度で、滅多にいかないのがヘアーサロンだ。
逆に子供たちはヘアーサロンしかいかない。
そのうち、落語の浮世床でもききながら、髭剃りから耳掃除&マッサージまで、フルコースのゆとりある時間を持ちたい。
神田須田町のガード下のお店
なかなか風情のある酒場が入っていた。
昌平橋を渡る
塀の向こうは湯島聖堂である。
このあたりから、本郷追分までの間、しばらくイチョウの並木道で素晴らしい!
雨に濡れているから、イチョウの木が輝いていた。
雨の中走るのも悪くない。
江戸城の表鬼門除けに鎮座する、江戸総鎮守で、古の革命家、平将門を祭った神田明神である。
江戸城だが、たいてい太田道灌が造った思われているが、その前に秩父平氏に祖をもつ江戸氏こそが江戸城のもとになった江戸館を作っていて、その跡に大田道灌が江戸城を造ったのだ。
その江戸氏の祖先、平忠頼は将門とは従兄弟であり、将門の次女、春姫を妻にしている。
故に、将門を剛勇無双の祖神として崇めていた。
だから、江戸とは本来、平将門たち平氏一門の都市だったのである。
東京のいたるところに将門伝説があってもおかしくないのだ。
旧中山道はこの鳥居で神田明神の参道を100mほど走り、山門のところで左折する。
鳥居脇の甘酒屋
甘酒を調べてみたら意外なことを知った。
甘酒は寒い日に体が温まるから飲みたくなるものだが、実は江戸時代、夏の飲み物だった。
俳句の季語にもなっていて、夏なのだ。
あま酒の 地獄も近し 箱根山 蕪村
以下ウィキィペディア「甘酒」より抜粋
--------------
夏に飲む場合は夏バテを防ぐ意味合いもあり、栄養豊富な甘酒は体力回復に効果的ないわば「夏の栄養ドリンク」として、江戸時代には夏の風物詩だった。守貞漫稿には、「夏月専ら売り巡るもの」が「甘酒売り」と書かれており、非常に人気がある飲み物であった。当時の江戸幕府は庶民の健康を守るため、老若男女問わず購入できるよう甘酒の価格を最高で4文に制限しており、武士の内職としても甘酒造りが行われていた。
--------------
楼門(寺ではないので山門ではない)
神田明神では結婚式が行われていた。
日本の女性と、外国の男性との国際結婚式である。
参拝の仕方が英語、中国語で書かれていた。
本郷薬師
街道沿い、本郷三丁目に鳥居があるが、奥まったところにポツンとある。
ここは、地域の言い伝えでは、かつて処刑場として使用されていたとのこと。
ちょっと、怖くて奥まで行けなかった。
東大の赤門前を通過
雨がひどく降ってきた。
着替えたいが雨宿りする適当な場所がない。
見つけたのが自動販売機の隙間。
天下の東大前であるが、誰にも気兼ねせずに、雨を防げる空間は実にありがたい。
狭いから寒くないし、水分補給はいくらでもOK.
ここで、ブレーカーを脱ぎ、上だけカッパに着替た。
ザックにも中が濡れないようにザックカバーをつけた。
頭は蒸れないように手ぬぐいを剣道式に巻き付ける。
その上にカッパのフード、その上にランニングキャップをしっかり被った。
さらに、暖かいホットレモンを販売機で購入。
持参したクッキーで一休み。
ホッとするのだ。
本郷弥生の交差点にあるカバン屋さん。
創業昭和22年のカバンのお医者さんである。
いつも車で通るたびに気になっていたお店。
休みで開いてませんでした。
残念!
あの箱根駅伝で有名な東洋大学である。
その東洋大学の守衛所の脇に、閉鎖されている東洋大学専用ではないかと思われる地下鉄白山駅の出入り口らしきものがあった。
どうも使われているようには思えない感じだ。
帰ってから調べたが、白山駅には、そのような出入口はないのだった。
これは、時空の迷宮への入り口だろうか?
映画「地下鉄(メトロ)に乗って」を思い出すのだ。
雨に濡れながら、イチョウ並木の旧中山道をトロトロ走る。
ここまで、旧街道を思い起こすような家というのはないのだが、一軒だけ、それらしき家があった。
薬屋らしき看板が出ていたと思うが、ビルの間で隙間もなく、また外装は改造されていて気づきにくいが、家の形状が昔の街道沿いのそれであった。
写真を撮ればよかったが、パスしてしまった。
白山通りにでたが、これは山靴の店ゴローである。
俺はいまでもゴローのオーダーメイドの靴を履いている。
今の山靴は軽量化され、履きやすいが、ゴローの靴は重くて武骨者の靴という感じだけれど、丈夫で安心できる。
流行に左右されない名靴である。
山の靴は、その前は四谷、山友社たかはし(創業昭和2年)の靴を履いていた。
あの靴は本当に良かった!
だが、たかはしは廃業してしまった。
いまでは、ゴローは貴重なオーダーメイドのできる山靴屋である。
とげぬき地蔵である。
子供のころ、よく魚の骨が喉に引っ掛かるとお地蔵さんの姿絵のお札をよく飲んだものである。
不思議に、骨がとれたのを覚えている。
境内には、明暦の大火に由来する洗い観音という観音様(聖観世音菩薩像)があって、水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰があり、今でも写真の様に行列をなしていたのだった。
有名な巣鴨ときわ食堂である。
いつも行列ができる。
浅草ときわ食堂から、のれん分けされた食堂のひとつである。
そのHPから、ルーツは明治・大正と浅草・上野近辺で隆盛を誇った料亭である常盤花壇から出た食堂とのこと。
労働者向けの安い食堂として大正11年に浅草ときわ食堂はオープンしている。
(写真はFOLDING BIKES TRIPよりお借りしました。)
ときわ系の暖簾分けには、大勝軒の山岸一雄さんの理想としていた「チェーン店のような強い縛りがない暖簾分け」なのである。
だからかもしれないが、ときわ食堂はどこへいっても、安くて旨い、楽しい食堂だ。
もし、俺の家の前に、ときわ食堂があったら、幸せだと思う。
俺は個人的には町屋のときわ食堂が大好きである。
ここに行くと、つい飲みすぎてしまうが、知らない人とすぐ友達になってしまう和やかな雰囲気のある下町情緒たっぷりの店である。
関係ないけど、これが「町屋ときわ食堂」だ。
これが、有名な巣鴨の赤パンツの店。
庚申塚だ。
以前、母の介護をするため、実家まで都電荒川線沿いにランニングで帰っていたとき、この庚申塚の階段でよく休ませてもらった。
猿田彦大神には感謝である。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
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足が短い!(汗)
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東海道走膝痛シでも書いたが、寒い時期の鈴鹿峠越えはやめて、旧中仙道を走り始めることにした。
なお、このランニングは楽しい旅ランと、ウルトラマラソン練習を兼ねている。
一挙両得、一石二鳥の俺向きなランニングだ。
旅ランでないと、厭きてしまって、LSD練習ができない。
皇居をグルグル回ると2周目には厭きて走る気が失せる。
辛い練習は好きじゃない。
楽しく走って、しかも練習効果があがるのが旅ランだ、と自分だけの確信である。
地下鉄の日本橋駅でありて、日本橋にむかう。
外は霧雨だった。
ペラペラの薄いゴアテックスのウィンドブレーカーを着て、寒さと濡れを防ぐに丁度よい感じである。
今回は小雨を想定していたので、カッパ上下、傘は持参している。
雨量が激しくなったら、途中でやめて、公共交通機関で帰ればいい。
とにかく、橋の真ん中からスタートだ。
ランニングデータ記録をとるために、携帯のSNS(JogNote)を作動させる。
これで、今日の行動(ペース、地図上の行動記録、距離、時間)がすべて記録される。
とても便利だ。
なんとなく走り出す。
東海道は日本橋から南下し、中仙道は北上する。
(面白いオブジェがあったのでパチリと自撮り)
だが、なんだか変な気がした?
どこかで、まえにも見たような景色だ・・・。
京橋交差点で気が付いた。
南下していたのだ。
中仙道とは逆の方向(東海道)に走っていたのだ。
ガーン!
いきなりのミス!
よく考えてみたら、三越を横目で見ながら走るはずなのに、その三越がなかった。
京橋までおよそ1キロ!
昨日、飲みすぎたかもしれない。
もう、アルチューハイマーである。
しかたなく、逆戻りし、計2キロの道草を食んだのであった。
ヘアーサロン大野の日本橋本店である。
店の脇には理容歴史が書かれた掲示ボードがある。
イワシ頭の俺は、いつも駅ナカの1000円カットですましている。
たまに友人の床屋に行く程度で、滅多にいかないのがヘアーサロンだ。
逆に子供たちはヘアーサロンしかいかない。
そのうち、落語の浮世床でもききながら、髭剃りから耳掃除&マッサージまで、フルコースのゆとりある時間を持ちたい。
神田須田町のガード下のお店
なかなか風情のある酒場が入っていた。
昌平橋を渡る
塀の向こうは湯島聖堂である。
このあたりから、本郷追分までの間、しばらくイチョウの並木道で素晴らしい!
雨に濡れているから、イチョウの木が輝いていた。
雨の中走るのも悪くない。
江戸城の表鬼門除けに鎮座する、江戸総鎮守で、古の革命家、平将門を祭った神田明神である。
江戸城だが、たいてい太田道灌が造った思われているが、その前に秩父平氏に祖をもつ江戸氏こそが江戸城のもとになった江戸館を作っていて、その跡に大田道灌が江戸城を造ったのだ。
その江戸氏の祖先、平忠頼は将門とは従兄弟であり、将門の次女、春姫を妻にしている。
故に、将門を剛勇無双の祖神として崇めていた。
だから、江戸とは本来、平将門たち平氏一門の都市だったのである。
東京のいたるところに将門伝説があってもおかしくないのだ。
旧中山道はこの鳥居で神田明神の参道を100mほど走り、山門のところで左折する。
鳥居脇の甘酒屋
甘酒を調べてみたら意外なことを知った。
甘酒は寒い日に体が温まるから飲みたくなるものだが、実は江戸時代、夏の飲み物だった。
俳句の季語にもなっていて、夏なのだ。
あま酒の 地獄も近し 箱根山 蕪村
以下ウィキィペディア「甘酒」より抜粋
--------------
夏に飲む場合は夏バテを防ぐ意味合いもあり、栄養豊富な甘酒は体力回復に効果的ないわば「夏の栄養ドリンク」として、江戸時代には夏の風物詩だった。守貞漫稿には、「夏月専ら売り巡るもの」が「甘酒売り」と書かれており、非常に人気がある飲み物であった。当時の江戸幕府は庶民の健康を守るため、老若男女問わず購入できるよう甘酒の価格を最高で4文に制限しており、武士の内職としても甘酒造りが行われていた。
--------------
楼門(寺ではないので山門ではない)
神田明神では結婚式が行われていた。
日本の女性と、外国の男性との国際結婚式である。
参拝の仕方が英語、中国語で書かれていた。
本郷薬師
街道沿い、本郷三丁目に鳥居があるが、奥まったところにポツンとある。
ここは、地域の言い伝えでは、かつて処刑場として使用されていたとのこと。
ちょっと、怖くて奥まで行けなかった。
東大の赤門前を通過
雨がひどく降ってきた。
着替えたいが雨宿りする適当な場所がない。
見つけたのが自動販売機の隙間。
天下の東大前であるが、誰にも気兼ねせずに、雨を防げる空間は実にありがたい。
狭いから寒くないし、水分補給はいくらでもOK.
ここで、ブレーカーを脱ぎ、上だけカッパに着替た。
ザックにも中が濡れないようにザックカバーをつけた。
頭は蒸れないように手ぬぐいを剣道式に巻き付ける。
その上にカッパのフード、その上にランニングキャップをしっかり被った。
さらに、暖かいホットレモンを販売機で購入。
持参したクッキーで一休み。
ホッとするのだ。
本郷弥生の交差点にあるカバン屋さん。
創業昭和22年のカバンのお医者さんである。
いつも車で通るたびに気になっていたお店。
休みで開いてませんでした。
残念!
あの箱根駅伝で有名な東洋大学である。
その東洋大学の守衛所の脇に、閉鎖されている東洋大学専用ではないかと思われる地下鉄白山駅の出入り口らしきものがあった。
どうも使われているようには思えない感じだ。
帰ってから調べたが、白山駅には、そのような出入口はないのだった。
これは、時空の迷宮への入り口だろうか?
映画「地下鉄(メトロ)に乗って」を思い出すのだ。
雨に濡れながら、イチョウ並木の旧中山道をトロトロ走る。
ここまで、旧街道を思い起こすような家というのはないのだが、一軒だけ、それらしき家があった。
薬屋らしき看板が出ていたと思うが、ビルの間で隙間もなく、また外装は改造されていて気づきにくいが、家の形状が昔の街道沿いのそれであった。
写真を撮ればよかったが、パスしてしまった。
白山通りにでたが、これは山靴の店ゴローである。
俺はいまでもゴローのオーダーメイドの靴を履いている。
今の山靴は軽量化され、履きやすいが、ゴローの靴は重くて武骨者の靴という感じだけれど、丈夫で安心できる。
流行に左右されない名靴である。
山の靴は、その前は四谷、山友社たかはし(創業昭和2年)の靴を履いていた。
あの靴は本当に良かった!
だが、たかはしは廃業してしまった。
いまでは、ゴローは貴重なオーダーメイドのできる山靴屋である。
とげぬき地蔵である。
子供のころ、よく魚の骨が喉に引っ掛かるとお地蔵さんの姿絵のお札をよく飲んだものである。
不思議に、骨がとれたのを覚えている。
境内には、明暦の大火に由来する洗い観音という観音様(聖観世音菩薩像)があって、水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るという信仰があり、今でも写真の様に行列をなしていたのだった。
有名な巣鴨ときわ食堂である。
いつも行列ができる。
浅草ときわ食堂から、のれん分けされた食堂のひとつである。
そのHPから、ルーツは明治・大正と浅草・上野近辺で隆盛を誇った料亭である常盤花壇から出た食堂とのこと。
労働者向けの安い食堂として大正11年に浅草ときわ食堂はオープンしている。
(写真はFOLDING BIKES TRIPよりお借りしました。)
ときわ系の暖簾分けには、大勝軒の山岸一雄さんの理想としていた「チェーン店のような強い縛りがない暖簾分け」なのである。
だからかもしれないが、ときわ食堂はどこへいっても、安くて旨い、楽しい食堂だ。
もし、俺の家の前に、ときわ食堂があったら、幸せだと思う。
俺は個人的には町屋のときわ食堂が大好きである。
ここに行くと、つい飲みすぎてしまうが、知らない人とすぐ友達になってしまう和やかな雰囲気のある下町情緒たっぷりの店である。
関係ないけど、これが「町屋ときわ食堂」だ。
これが、有名な巣鴨の赤パンツの店。
庚申塚だ。
以前、母の介護をするため、実家まで都電荒川線沿いにランニングで帰っていたとき、この庚申塚の階段でよく休ませてもらった。
猿田彦大神には感謝である。
(つづく)
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NPO法人ネイチャーズは、走Run会名誉会長、ウィンドサーフィンの師匠の山下光哉さんが運営する若者のためのNPO。
悩める若者や親御さん、是非お御問合せください。丁寧に対応してくれると思いますよ。
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