気まぐれ猫の徒然の日々

気楽に、時々思いついたことなどを書きつづっていきたいと思います・・・。
諸般の事情で絶賛引きこもり中。

帰って来ました・・。

2008-04-18 22:10:04 | その他

取り敢えず、帰って来た・・。

結果から言うと、地元に帰任出来る事になった。
お騒がせしました。


今回の騒動の顛末・・。

転勤してほどなく、周期的 (ほぼ二週間のサイクル) で気分が酷く落ち込むようになっていた。
今にして思えば、これが適応障害の初期症状だったのだろう。
落ち込んでいる時期は、何もする気が起きず、休みの日は一日寝ていたり・・。
そのうち、だんだん眠れなくなってきた。
たとえ眠っても眠りが浅く、何度も目が覚めるようになり、起きあがる事が酷くつらくなっていった。

そして、一月下旬のある日、会社に出社する際、会社の駐車場で突然気分が落ち込んでしまい、どうしようもなくなった。
いつもなら、落ち込んでいる時期でも、出社して人と接している間に何とかテンションが戻っていたのだが、この時は全然ダメだった。
逆に、人と話をするのが苦痛、いや、人が側にいるだけで苦痛に感じるようになってしまった。

同僚が、俺の様子がおかしい事に気付き、上司に報告してくれ、次の日、上司に付き添われて、産業医の先生と面接したところ、すぐに帰宅し、心療内科で診察を受けるようを指示された。
その日の内に、紹介された病院に行き、現状を説明した所、診断の結果は「適応障害から"鬱病"に移行しており、すぐに専門的な治療が必要な段階まで進んでおり、三ヶ月の自宅療養が必要。」との事だった。

心療内科の先生から、自宅に帰っての療養を勧められ、自宅付近での良い心療内科医の探し方を懇切丁寧に教えていただき、その指示に従って、自宅療養をしていた。
先生に教えていただいた通りに探した心療内科の先生も、非常に良い先生で、症状は徐々にだが良くなり、二ヶ月ほどで夜も何とか眠れるようになってきた。

ただ、まだ人と接するのは負担が大きく、他人が側に居る時や、夜眠る時は音楽を聴いて気を紛らわせてないと、耐えられない状態だった。
花などを見ても、"綺麗"と感じられなくなって (感じる心の余裕が無くなって) おり、写真は撮れなくなっていたし、外に出かける気力も無くしている。
それでも少しずつではあるが、音楽が無くても何とかなるようになってきた・・所で、今後の事を話さなければならない時期が来てしまったのだ。

話し合いに行く事が決まってから、また眠れなくなってきて、向こうでの話し合いの前日などは、疲れて眠いのだが眠れないという状態になっいた。
話し合い当日、会社に出向き、精神安定剤を飲んで (先生の指示があった。) 話し合いに望んだのだが、全身がこわばり、動悸が激しくなり、手は大きく震え出す始末・・。

それでも、何とか、診断書を渡し、現状と地元に帰りたい旨を伝えた。
そのまま上司と共に、産業医の先生と面談をし、同じく現状を伝えた所、最初に診察していただいた先生からも、「帰任させた方が良い。」との手紙が産業医の先生の所に来ており、二人の先生が同じ判断をしているのだから、是非もなく帰任させましょうとの話となった。
また、「不眠や動機、手の震えなどは、転勤先の職場に対する拒否反応が出ている為で、一日でも早く帰った方が良いと判断します。」と言っていただき、すぐ勤労の担当者を呼んで、その場で手続きを取っていただいた。
その後二日間でバタバタと引っ越しの荷造りと発送を済ませ、今日帰って来たのである。
まだ、帰任の辞令の発令時期も、復職の時期も決まって無いけど・・・・。


ともあれ、大きな山を越え、心の重荷が一つ取れた感じ。
多分、もう暫くすれば、復職出来る位に回復できると思う。
少しずつ、花が綺麗だと思えるようになって来ているしね。

コメント (3)
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