ネットで見かけて読んでみた本、
「母という呪縛、娘という牢獄」齋藤彩著(2022年 講談社)
が凄かったので紹介したいと思います。
2018年に起きたバラバラ殺人事件の犯人高崎あかり(仮名)に関するノンフィクションです。
これがすさまじい本でね。下手なミステリーよりずっと面白い、というと語弊があるのだけど、もう読み始めたら止められなくなって一気読みでした。
2022年暮れに出版され、現在7刷で5万部売れているというのも頷ける。本の購入者は高崎あかりと同世代の女性たちでしょう。
家族というのは牢獄でもある、というのは私自身経験済みで、だからこそ21歳の時にスーツケース一つで家を出て、二度と戻らなかったのですが、幸いなことに私は連れ戻されることはなかった。
でも、高崎あかりは何度家出をしても母に連れ戻されてしまいます。探偵まで雇って。就職も決まり、これで自立できたと思った矢先に母から職場に電話が行き・・とにかく邪魔され続けた。
牢獄のような家に閉じ込められ、母から医者になるよう強要され、医学部の受験を強いられ、9年もの浪人生活を強いられたのです。
それだけでもすさまじいのに、彼女の日常は更にさらにすさまじく常軌を逸したものでした。
母の暴力も酷く、殴打はもとより熱湯を浴びせかけられたりと、一つだけでも犯罪なのに、それが日常茶飯事となって、しまいに慣れていく恐ろしさ。
不思議なことに、虐待の加害者はきまって自分を被害者だといいます。
あなたのことをこんなに思っているのに、なぜこんな思いをさせるのか、あなたのためにしているのに、なぜ私の気持ちをわかってくれないのかと。
私の母もそうでした(手を上げることはなかったけど)。
スティーブン・キング原作の映画「ミザリー」を彷彿とさせます。
あの映画では、ミザリーは頭の狂った他人でしたが、それが実の母親だとしたら・・
よくぞこんな地獄を耐えて生き延びてきたものだと、そう思わずにはいられません。
母親の心情が描かれていないとか、客観的でないとか、犯人に寄り添いすぎるという批判もあるようですが、
この世には狂った人が一定数いるのだ、と私は思っています。
自然界にも異端がいるように、人間社会にも、適応しないしできない、あるいは害を及ぼす人たちが一定数いる。
いいとか悪いとかの判断抜きでそういうものだと思うのです。
距離を置くしかないのですが、それが実の親だとしたら離れることさえ容易ではない。離れたとしても、罪悪感に押しつぶされそうになったり・・
なので、第三者の介入が必要なのですが、日本の社会ではまだ家族は絶対視されていて、母親なんだから子どもを愛しているはずだという固定観念が強固にまかり通っているのが残念です。
子どもを虐待する親なんて全然珍しくないのに。
それが愛だと勘違いしている親もけっこう多いし。
殺人事件が一番多いのは家族内である、というのも当然でしょう。
(これを書いている最中にも、遺体で発見された6歳児を巡って家族内に確執があったようだという報道がされています)
そういう家族とは無縁だった人には想像できないと思いますが。でも、これほどではなくとも、母子密着型や価値観が全く違って折り合いが悪い、という家族はかなり多いのではないでしょうか。
風通しの悪い家、他人が入らず家族内だけでいろんなことが決定される家、
家族はある意味で最小単位のカルトであるといえるかもしれない。
生まれてからずっと洗脳され続けているので、異常さに気づかない。
気付いたとしても逃げ出すのは容易ではない。
そういう家族が一定数いるのだと思います。
(私自身、娘にとっていい母親だったかどうか定かではありません。もしもそうでなかったら娘に心から謝りたいと思っています)
そうした家族に救援の手をさしのべる、あるいは強制的に介入するなどの制度が必要かと思います。
家族という密室の中では声を上げることは難しい。虐待する親もまた子どもの頃虐待されていたのかもしれず、互いに辛い思いをしているのは間違いないので。
この本をきっかけに、社会がこうした家族を支援するシステムが生まれることを願ってやみません。