暇があれば 健康保持のためにも ウォーキングに出かける
心身健康を保たねば 待っていて居てくれる方々にも申し訳ない
何一つ心配の要らない身体(一寸はあるか) 長持ちさせねば勿体無い
早足で歩いてはいるが 花を見ると足を停め 微笑ましい光景には心を癒す
自然であれ 人であれ 街であれ 少しづつ変わっているのも日々新たである
毎日は微妙だが 1ヶ月 半年 1年 10年と言う永いスパンなら大きな変化だ
私は日本の歴史も好きな方であるが 肝心の記憶力は この面に対して疎い
それでも概念的に理解していれば良いかと 自分なりに納得はしている
地元の歴史 史跡 文化も大切なことであり 伝承していかねばならない
大げさなものでは無いが ああ こんなものが有るのか
昔の人は こんな生活だったのか と 歩きながら学ぶことも悪くは無い
目的を持って行くわけでは無いから 偶然 いろいろな出会いがある
江東区は運河の街と言っても過言ではない
他の区より かなり河川が多く 昔は水運が栄えていた
現在は一部 埋め立てられて親水公園となっていたり 河川敷遊歩道が出来ている
バブルの頃この地域は地下水の利用もあって 地盤沈下が激しく海抜ゼロ以下になる
亀戸周辺だけでも東と西では 1メートル以上 西側が下がっている
これは 運河でも同じようになり 東西で水面が著しい時は3mの差と言われる
荒川 中川 大横川 この水面が真横から断面図にすると 大きな違いが見られる
東西への運河の機能は 一時ストップされてきた
最近では 震災時の緊急輸送路としても見直され 改修がされてきた
荒川ロックゲート
江東区には パナマ運河と同じものがある
各川の境に水門を設置して 運河の水位を調整する
正式には閘門(こうもん)と呼び 船の通行は仕切られた川の中を通行する
江戸時代の船番所
水位がどちらかの川と同じになったときに 船は通行が可能となる
従って 運河の水門に信号が付いている 青は進め 赤は通行禁止である
小名木川は 徳川家康の命によって開削されたが 時代は大きく変わった
扇橋閘門
江戸時代 通行する船を取り締まった 川の関所 船番所が荒川近くにある
この付近に荒川ロックゲートが出来て 荒川と中川の水位を調整している
小名木川の西のほうには 扇橋閘門があり 大横川 隅田川の水位を調整する
北砂小学校の校門の中に ジョン万次郎の宅跡の案内が記されていた
14歳の時に渡航し 無人島に漂着 アメリカの捕鯨船に助けられ7年間在留した
日本に帰り土佐藩に徴用され この江東区の下屋敷で住んでいたと言う
坂本竜馬にも大きく影響した人物が ここに居たんだなぁと感慨を深める
維新後も東京大学の前身 開成学校で教授を勤めた方である
因みに土佐藩の下屋敷は 他の区にもある
猿江恩賜公園は ウォーキングで良く訪れる地だ
猿江という地名は 不思議な名前だと いつも思っていた
ネットで調べれば簡単だが 歴史を知る情緒が無い
猿江神社
猿江神社の境内で ようやく疑問が解けたものである
源頼義・義家の時代に 武勇を伝えられた猿籐太(さるのとうた)が居た
しかし 戦いに力尽きて この地の入り江に倒れた
これを知った地元の漁師が この境内に塚を立て 手厚く祀った
この猿籐太の名前と入り江の字を取って この地が猿江と名づけられたと言う
なるほどね 最近の合併に寄る単純な地名が多いが こんな由来も感銘である
のびたも歩けば 多少の知識が増える
最近はぽろぽろと せっかく覚えた知識も どこかに落としている
性懲りも無く また ざるのような頭に入れてみる
今日は私も楽しみな 下町のうたごえ
天気は絶好 青春時代を髣髴させる うたごえの輪と和があるだろう
最後までお読みくださいまして有難うございました
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