のびたとブレイク

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二十四の瞳 貧しさと戦争に翻弄される子どもたち

2013年08月06日 11時43分47秒 | 旅行

瀬戸内海で2番目に大きな島 小豆島 壺井榮さんのふるさとである
映画 「二十四の瞳」が高峰秀子さん主演で公開され 一躍知られた
映画化2回 テレビドラマでは 一昨日の放送で7回目を数える

 

何度見ても 先生と子供たちの姿に感動を覚える
あたかも 実在の先生が居て 子供たちもそこに居たような気がするのだ
物語は 少し封建的な島に 爽やかな若い女性が来たことから始まる

 

自転車に乗る姿は 島の人たちにとって新鮮を通り越して常識外に見える
たちまち批判の的にされるが 分教場の子供たちには慕われる教師である
オルガンを弾き 七つの子 浜辺の歌を教えてくれる

 

みんなで歌う楽しさは 何も無いこの時代 どんなに心を捉えたか
親しさの内にある 子どもたちの遊び 落とし穴で大石先生は骨折してしまう
先生の居ない寂しさ 子供たちは遠い先生の家を目指して歩き始めた

 

あまりに遠くて疲れ果て 泣きじゃくる子どもたち
会いたい一心で歩いている姿に ドラマとはいえ眼が霞んでくる
偶然 先生がバスで通りかかり 家へ連れて行く



生き生きとした子供たちの背景には 貧しさもある
迫り来る戦争への国民の必死の生き方がある
修学旅行へも行けず 幼い働き手としてもらわれていく子も居る



それぞれが生活の中で苦労をしながら成長していく
先生の子も 教え子も 赤紙が来て 軍隊に召集されていく
表向きは お祝いとして赤飯を炊き村民の激励を受けて兵隊に行く



あの子も我が子も 一枚の戦死報告が来ただけで いのちは終わり
戦争の是非では無い 多くの兵隊さんも家族も戦争で尊い命を失った
犠牲者を祀る靖国神社 国のトップが詣でることが出来ないなんて・・・



私が中学を出てすぐ 夜間学校に通ったが プレスで指を貫通した
危険な仕事場 指が無いことが 一人前の職人だと言われた
その夏 仕事を辞めて 岡山に居る姉夫婦の家に3週間ほど遊んだ



東京から門司行きの各駅停車が出ていた 14時過ぎに乗る
次の日の昼頃岡山に着く そこから四国への連絡線の出る宇野駅へ
更にバスに乗り 岡山では有名な渋川海岸に出る 近くが姉の家だ



小豆島へは岡山港からと 四国の高松港から 船が出ていた
まだ 観光地としてはそんなに発展していない島があった
島内のバスで廻って 所々散策してみた



映画の舞台となった 岬の分教場があった
現在では 映画村として保存されているが ひっそりと建っていた
醤油工場の匂いと そうめんを作って干している光景が印象的だった



プライベートで 10数年前にも訪れた
ホテルには温泉があり オリーブの観光農園も出来ていた
既にこの頃には 姉夫婦はこの世に居ないが 岡山は郷愁だった



数年前 添乗員としてこの地をまた訪れた
四国を一周して旅の最終最寄地で 高松から船で来て一泊した
有名な寒霞渓やオリーブ園を観光して この映画村へ来た



小豆島と言えば 私には一番の想い出が二十四の瞳の物語である
分教場のオルガンがあった 私は吸い寄せられるように鍵盤を見る 
ツアーの方を椅子に座らせて 私がオルガンを弾いてみた



皆さん 嬉しそうに 私の伴奏にあわせて歌を歌ってくれる
七つの子 浜辺の歌 懐かしい童謡唱歌である
木造校舎 小さな机と椅子 いつの日かここに居たような錯覚を覚える



ツアーの皆さんも感慨に耽っていた
分教場の管理人の方が喜んで私に感謝の言葉を伝えた
ここで添乗員さんがオルガンを弾いて皆さんが歌うのは初めてだと



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