のびたとブレイク

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敵味方 されど国民 救護せよ  西南戦争時に日本赤十字が誕生した『佐野常民』と言う男

2018年12月14日 05時30分00秒 | うたごえ

皇居周辺をウォーキングしていると 三宅坂辺りで 見事な馬に乗った凛々しい銅像に会える 有栖川宮熾仁親王である

戊辰戦争の時 官軍の司令官となり 明治天皇から錦の御旗を授かり 江戸城無血開城に立ち会った

日本初の軍歌と言われる 『トコトンヤレ節』 私でも知っているが この歌詞の宮さんとは この方でもある

 

トコトンヤレ節 YouTube https://youtu.be/DVc-UNU48g0

明治10年の西南戦争では 逆徒征討総督に就任して 東征の折り 共に新政府軍を指揮した西郷隆盛と敵将として対峙した

この戦いでは 田原坂が主戦場となったが 戦死者は両軍で14000人に上った 更には負傷者となれば その3~5倍になる

野戦病院は 熊本を中心に200近く設営されたが 至る所に戦病者が置き去りにされて行ったのが実情だった

 

 

ここに 登場するのが 佐賀出身の 『佐野常民(つねたみ)』 である 彼はパリ万博を契機に他国を廻り各国の技術に驚く

早くから蒸気船 大砲鋳造 蒸気機関車に取り組み 模型まで作って見せた佐賀の誇る賢人でもあった

江戸の佐賀藩屋敷は薩摩藩邸とも近く 島津斉彬の先見性に大いに共鳴するものがあっただろう

 

 

一方では世界の赤十字の実態と必要性を説き 博愛社を設立した 

政治的にも中立な戦争時の救護も政府に訴えたが許可されない それは 何で敵の負傷者にまで救護するのかという意見が濃い

西南戦争が勃発して 負傷兵はみるみる増えて行く 殆どが手当も受けられず 苦しみもがき 亡くなって行く

 

そんな惨状を見つつ 佐野常民は 政府がダメなら 有栖川にと直談判したのである

直訴状が赤十字に残っている この口語訳で見れば 私たちにも心を打つものが述べられており 賢明な有栖川は許可をした

かくして 公然と両軍の負傷者の救出 手当も出来て 日本の赤十字の礎を築き挙げた人物である

 

この文が印象的だ 負傷兵は大義を見誤り 天皇の軍と敵対しているが 我が国の国民 天皇の子どもです

負傷して死ぬのをただ待っているのを顧みないのは 人として出来ないことと 切々と説いている

明治19年 日本政府はジュネーブ条約に加盟 そこで 博愛社は 日本赤十字と改称して現在に至った

 

 

佐野常民記念館が 明治日本の産業革命遺産となった 『三重津海軍所跡』 に隣接してある

ここは見えない世界遺産と言う 世にも不思議なことでも有名だ

何故なら 偶然発見した江戸時代の木造船が それ故に空気に触れていると腐食の怖れがあることから 埋め戻されたのだ

 

 

現地に立つと何も無い更地である ただ そこには現代技術が生きていて バーチャル画像が昔の姿を再現してくれる

「みえつSCOPE」 と名付けられた 眼鏡型のスコープを 周辺に向けると あたかも昔の現地に居るようなパノラマが出てくる

この場所は 江戸時代 佐賀藩の和船を管理する舟屋があった  佐賀藩は 長崎の警護を任命され 海軍伝習所で学ぶ

 

 

日本が西洋の船舶技術の導入 自力での近代化を推進して行くのである

ここ三重津には船舶のドッグも作られ 日本国内最古の洋式船修理ドッグでもあった

佐野常民 佐賀藩の世界に眼を向けた先見性は ここに生きている

 

 

この時期 佐賀藩は16歳の若き藩主 鍋島直が就任した 彼は佐賀城下に反射炉を築き 日本最初の鉄製大砲の鋳造に成功した

教育や産業など改革に着手 軍事面でも強力な体制づくりに乗り出す

佐野常民も藩の命令で 大阪や江戸へ旅をして見解を深めて行った

 

 

日本最初の鉄道は 明治5年 東京横浜間に開通 この日は 明治天皇やあの西郷隆盛も乗車していた記録がある

しかし これより遡り14年も前に 佐賀藩主は 長崎に来た外国船に会った 蒸気船 蒸気機関車の模型を実際に作らせた

佐賀城内でレールを引き 実際に蒸気機関車モデルを走らせた そこには若き 大隈重信も見学して 後に鉄道網整備を進めた

 

ロシア艦船が蒸気船と蒸気機関車の模型を持ち込んだ 鍋島直正は すぐにこれを創れと命令 2年後に完成させた

モデルとなった蒸気機関車と下は 佐賀城内モデル試運転風景 ここに大隈重信が居た

今日のテーマは てんがらもんラジオ 現役のバスガイド向井明美が語った 佐野常民について まとめた次第である

 

下町のうたごえ  バンド コーヒーブレイク生伴奏 in 本所地域プラザ

のびたがリーダーのバンド 40年以上続けています 私はキーボードとトーク

  YouTube 君恋し

  https://youtu.be/DOzbG3hv3IY

 

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14 コメント

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Unknown (ボブ!)
2018-12-14 06:14:16
田原坂は我が故郷にありますが
まだ中学生の頃
その近辺の畑からは鉛の銃弾が多数出土していましたね、
なかには玉と玉とが空中で衝突し、
くいこんだままで発見されたりして、
その合戦がいかに壮絶だったかを物語っています、
当時、公園に整備はされていましたが
みかん畑の中に
ぽつんと「弾痕の家」と書かれた小さな土蔵の蔵が立っていたのを想い出します。
考えてみれば
昭和33年頃は西南戦争から70年程しか経っていないんだものね。
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一番多忙な中のまとめ (chidori)
2018-12-14 08:04:07
昨日のうたごえの報告だけでも大変な時間と労力をかけてアップされ、明後日のお孫さんの祝宴への心の準備・・色々思っていたので、この詳しい報告にただただ頭が下がります。いつものことですが、当日目の前で話を聞いた私は、まとめるすべも余裕もなく、こうしてのびたさんやリスナーさんのコメントにどれだけ救われているか。
 私には本当はもう番組を続ける能力は残ってないのですが、のびたさんはじめ、具体的に応援してくださる方々があればこそ、その声を具体的に届けてくれたことが、私の背中を押してくれます。
今日も身に染みております。ありがとうございました。
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佐賀の博覧会 (屋根裏人のワイコマです)
2018-12-14 10:16:05
これは 機会があれば是非見てほしい
  https://www.saga-hizen150.com/
その内容は 国営大河ドラマを凌ぐとも
言われています。 私の大分の孫たちが
行ってきたようです。
私達の歴史認識を改めねばならなくなります
すべて東京、お江戸発の歴史だけが
日本ではないということですよね~
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現役バスガイドさん (light77g )
2018-12-14 16:15:32
こんにちは。

文章を読んでいても味わい深いから
肉声での表現は 素敵なものだったでしょう ♪
iPadでアーカイブが聴けないのが残念です。
有栖川親王 佐野氏 の人道的な思想と行動は初めて存じ上げました。

今日小規模デイケアのソロ訪問をしてきました。
東京のバスガールでバスガイドさんゴッコをしたら
施設長が気に入って「何処かをガイドして」と宿題が出ました。
今日のお話をシンプルにまとめて
赤十字の生い立ちを話してみましょうか (*^^*)

孫娘さん、いよいよですね。
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のびたさんへ (まりも)
2018-12-14 17:01:24
昨日は 向井バスガイドさん
今日は のびたガイドさんに有んない願い
赤十字の成り立ち 薩摩との係り またまた楽しい旅に出られました
明日のお孫さんの結婚式
のびたさんの方が ソワソワして今晩寝れるかしら
ご報告 楽しみにしています
返信する
こんばんは (asakawayuki)
2018-12-14 17:13:00
のびたさん、
素晴らしいてんがらもん放送のレポートをありがとうございます。
いつもながら、のびたさんの抽斗の多さに敬服致します

そして、明日はいよいよ晴れの舞台ですね。
お孫さん、ご結婚、おめでとうございます。
おじいさまのピアノ演奏で披露宴も和むことでしょう。
のびたさんの嬉しそうな笑顔が目に浮かびます。
今夜は眠れないのでは(^_^)
たっぷり睡眠を取って明日に望んで下さいませ。
返信する
なにも知らなくて (つゆ)
2018-12-14 17:59:03
田原坂という地名を聞いたことがあるくらい。三重津を三重県の津かと。
勉強になりました。
国営放送も、超有名人ばかりしないで、
そういう人の一生というか、反対する人との相剋などをドラマにすると、面白いでしょうね。
そういうのは、ハリウッドは上手いですものね。
返信する
ボブさんへ (のびた)
2018-12-14 18:44:39

田原坂の戦闘は悲惨だったようですね
銃弾も現在でも発見される程 戦死者も膨大です
昭和の時代なら まだ西南戦争から年月の経過が近いですね
熊本が日本赤十字に果たした役割は大きいでしょう
返信する
cihidoriさんへ (のびた)
2018-12-14 18:47:36

明日が孫娘の結婚式 前日の今日は何かと気ぜわしく感じて まとめは夜中の1時までかかってしまいました
資料をあつめて理解してから書き出しますので 時間はかかります
てんがらもんラジオ応援隊として 村中さんたちを支えて行きたいと思います
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屋根裏人のワイコマさんへ (のびた)
2018-12-14 18:51:01

佐賀博覧会 意義のあるものですね
歴史を見れば 江戸の混乱期から 明治の黎明期に佐賀の果たした実績 佐賀藩の先見性が群を抜いています
こうしたドラマなどに関連して 歴史の裏側 敗者の歴史も埋もれさせてはなりません
返信する

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