昨日の介護施設では のびたさんと歌う会と称して もう永く続けられている
勿論 私の本名の方の名だが 皆さんがこの時間を楽しみにして居ると聞く
始まる前に 各フロアから車椅子で集まるまで少し時間を要する
その間 キーボードの設定をしたり 音出しで 何曲か適当に弾く
先生!と少し離れた位置から 声がかかり 数名の方が手を上げたり注意を引く
私が手を振ったり 笑顔で眼で挨拶すると それだけで嬉しそうな顔が返ってくる
百日紅の花が咲いていた
啼くな小鳩よ この曲には いつも私は母の想い出と重なる 施設でも良く歌って貰う
私が小学校5.6年ころ 街には傷痍軍人が立ち アコーディオンを弾いたりして居た
中には茣蓙の上に座って ひたすら下を向いたりして お金を恵んでくれるのを待つ
戦争に行って 手や足を失った方が 仕事が無くて 何がしかの恵みで生きている
アコーディオンの曲は 大概 啼くな小鳩よ だった
昭和20年代の光景であるが やがて高度成長の中で消えて行った
終わりの方では ニセの傷痍軍人の姿もあった
人通りが絶えると 足が普通になったり さっさと帰る
母に あれはニセモノだよと言うと それでもいいのと 苦しい生活からお金を出した
市川・手児奈霊神堂と たなばた飾り
現在 参議院選挙がおこなわれているが その割には選挙カーなどは来ない
かなり前 私は衆議院選挙の候補者を中枢にいて必死に応援した
私の選挙応援は 区議から都議も時には参謀となって 活動したものである
きっかけは 母の晩年になる 病気と入退院で その面倒を誰が見るか兄弟で思う
私たち男は仕事もあり妻も居て とても狭い部屋に同居も出来ず妹に世話になった
今のように介護施設も無い時代 義弟の理解もあって 申し訳ないねと任す
ただ 生活費は兄弟で案分してお金を出し合い 毎月何がしか仕送りをした
これが数年となると 私の妻ともこの件でぎくしゃくして行く 永い冷えた関係だ
母に済まないが 亡くなった時に何故かホッとする気持ちも一部あり懺悔でもある
手児奈霊神堂の睡蓮
こんなケースはどこにでもある もっと弱者を救う社会になれないかと思い始める
議員に一票投じても社会は変わらない それでも何かしなければそのままだ
自分で今の政党に一番近い議員を決めて 勝手に応援に行った
それが始まり 今では意欲も失せて 候補者も未だに決めていないが当時は必至だ
新人の区議を当選させたり 落選の悲哀も味わったりして活動した
ピアノも こんな中で心を温めるように 上達をして弾けることが今でも信じられない
衆議院の当選を終わって 事務所の中に少し小さめの白いグランドピアノがあった
調律をして居ないので 所どころ音が外れているが邪魔者扱いされていた
冗談に私に呉れるかと言うと持って行けと言う 但し私の家には狭くて置けない
病気になる前の母は教会の献身と言って あらゆる雑仕事をこなしていた
鬼怒川の奥に教会の修業所の様な所があり ここで管理人の様な雑務をする
ピアノは要らないかと聴いて貰ったら 欲しいと言うので友人のトラックで運んだ
帰りがけに母が言う
このピアノ お前だと思って 毎日磨いて居るからね
この言葉が 未だに母の寂しそうな笑顔と重なって想い出されるのだ
昨日のブログ記事 木内ギャラリーのピアノを弾いて 直感した
この音 これだ あのピアノの音だ 普通のグランドピアノと音が違う
事務所の女性にこう告げた このピアノはすごく甘い音がする
高級クラブなどに置いてあるピアノの音ですよ
こう言うと そうですかぁと 感心していた
母が多分 その後 ポツンポツンと鳴らしていただろうかあの音
木内ギャラリーのピアノ
何かが呼んでいる いつもは そんな気がすることは無い
ただ この日だけ そんな気がしたのは 母が私を案内したのだろう
ちょっと弾いただけだが きっと母が聴いたと確信した
あの音 不思議な出会い 直感で思った 他の方は信じられなくても良いことだ
最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
同じピアノの音、同じバイオリンの音
皆同じように聞こえますが・・印象深い
その音は、耳と頭脳と体全体で・・
覚えているんですね・・そしてその音と
ともに昔のその印象深い情景が思い出され
それが今になると、大人の情緒では
ないでしょうか・・そんな瞬間は、小躍りしたく
なりますね・・
きかれた音を・・。芸術家の方は
ときどき第六感を発揮なさいますから、
のびたさんもお母様が呼ばれたのでしょう。
必ずコンサートできると思います、
がんばってくださいませね^^!!
のびたさんは、色んな苦労や経験されてるんですね。
びっくりです。
生きてるうちの親孝行、兄弟でいい事されましたよ。
七夕飾りがにぎやかですね。
皆さんの癒しに音楽って素晴らしい効力だもんね。
geotechとしてシニアナビに登録していますが、
最近はあまり伺っていません。
「きよしのつぶやき」というブログでほざいてます。
施設でのこと、お母さんとの思い出、ピアノのこと、
淡々と心情を語ってらっしゃって、心が
なごみ癒されます。
いい文章です。
母とはいつも淋しいものなのかもしれませんね。
私は二人の息子の母です。
記憶の残像が同じです
偽傷痍軍人さんとお母様との絡み
ウチの場合は 全てわかっていて そんなことをするのは父でしたが
私が余計な事を言うと 目で私を黙らせ「いいがいの」と一言ぽつりと言う父でした
“いいがいの”は故郷の方言です
“いいんだよ”的な言い回しです・・・
啼くなー小鳩よ♪ も 歌えてしまうし・・・
色々想い出してしまい ウルルンです
皆みんな同じ時代に生きている仲間ですね
仲良くしなければね
あの独特の帽子をかぶり巷ではアコ-でオンを引きながら
物乞いをしていた焼夷軍人さんらしき人を
よく見てました。
母からは偽物が居てるらしいよと聞いたことが有ります。
のびたさんピアノが弾けて本当に良かったですね、
皆さんに喜んでいただける活動が出来て(^_^)v
お元気で何時までも皆様のアイドルを続けて
下さいネ。
白い包帯をぐるぐる巻き軍人の帽子を着た傷痍軍人が
アコーディオンを弾いていました。たまに小さい子どもを
連れており子どもがむごい と言ってお金を入れる人がいました。
のびたさんと思って母上はピアノを大切に磨いて
おられたのですね そしてその音色に気が付いたのびたさん
科学で説明できない血のつながりを感じます。
聴覚って不思議な力を持っています
わずかな音の違いを いつまでも覚えています
このホールのピアノの音を聴いた瞬間 あの音だと映像まで想い出しました
30年以上前の話しです
今度のウォーキング いつもと違う感覚がありました
今まで こんなことありませんでした
そしてピアノに巡り会った時 母がこの場所を教えてくれたと思います
ほんの少し弾きましたが これで満足でしょう
いつか ここでうたごえをしたいです