お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「中井雅之さん」という関西人タレントを知っていますか?

2006年04月06日 | テレビ番組
ある週刊誌の記事によると、「関西人には空気のように自然にある存在。非関西人には空気のように見えもしない存在」と書いてある。
大阪出張の時にでも、実物を見てみたい。「俺が俺が・・・」という名物局アナが多い中で、その対極にいる存在だそうだ。
ネットで調べてみました。

中井雅之(なかい まさゆき、1958年4月8日 - )は、神戸市長田区出身のフリーアナウンサー、タレント。関西大学社会学部卒業。1983年大阪放送(OBC)に入社。1993年独立。

以前は、やしきたかじんが代表取締役を務める、パブリック・インフォメーション・スタイル(P.I.S)所属だったが、やしきたかじんの個人事務所化に伴い、現在所属事務所はなくフリーで活動している。

現在の出演番組
[テレビ]
たかじん胸いっぱい(関西テレビ・土曜12:00~13:00)
痛快!エブリデイ(関西テレビ・火曜・木曜9:55~11:10)
昼ショップ 買物検討使(関西テレビ・月曜~金曜11:10~11:25)
ちちんぷいぷい(毎日放送・水曜15:00~17:50)
わいわいワイド!中井雅之で~す。(ケーブルテレビ神戸)など

[ラジオ]
NEWSワンダーランド(大阪放送OBC・金曜15:00~17:30)
ラジオ大阪ドラマティックナイター(大阪放送OBC・土・日曜18:00~21:00、最大延長22:00)
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遊川和彦さんが「向田邦子賞」「橋田賞」をW受賞!!!!!

2006年04月06日 | テレビ番組
向田邦子賞、遊川和彦さんのドラマ「女王の教室」に
 優れたテレビドラマの脚本に贈られる「第24回向田邦子賞」(向田邦子賞委員会、東京ニュース通信社主催)に5日、遊川和彦さん(50)の連続ドラマ「女王の教室」(日本テレビ)が選ばれた。
 「アイロニーに満ちた視点で学園ドラマに新しい光を与えた」(選評)点などが評価された。
 遊川さんは番組制作会社のアシスタントディレクターを経て、1991年に脚本家デビュー。主な作品に「さとうきび畑の唄」(TBS)など。(讀賣新聞より)


橋田賞決まる…日テレ「火垂るの墓」など

 優れたテレビ番組やテレビで活躍した人を顕彰する「第14回橋田賞」と「17年度橋田賞新人脚本賞」の受賞番組、受賞者が4日決まった。

 受賞作・受賞者は次の通り。

 ▽橋田賞=日本テレビ「火垂るの墓」、テレビ朝日「熟年離婚」、NHK「歴史の選択 赤穂浪士 討ち入り組VS討ち入り不参加組」、遊川和彦(日テレ「女王の教室」などの脚本)、泉ピン子(TBS「美空ひばり誕生物語」などの演技)、村田雄浩(NHK「ハルとナツ」の演技)、米倉涼子(テレ朝「黒革の手帖」などの演技)、仲間由紀恵(日テレ「ごくせん」などの演技)、滝沢秀明(NHK「義経」の演技)

 ▽同特別賞=宮川一郎(脚本家としての長年の功績)
[読売新聞より]


とてもとても嬉しい!!!!!
http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=124666
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「テレビ番組」に特化したブログ・システムがあった。

2006年04月06日 | テレビ番組
http://www.tvblog.jp/campaign/index.html?gclid=CKC_jczQl4QCFVCKCwodlg4Lug

これは良い思いつきだと思う。番組表を使えるのも便利そうだ。「テレビ番組」を見て、「感想」「批評」「批判」「絶賛」「ひとに薦める」等の行為をしたい人は多いはず。「テレビ大好き人間」ははまってしまうかも・・・
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僕のブログが本に紹介された・・・

2006年04月06日 | 本・雑誌・漫画
やりなおしたい30歳以上のための就職読本―データとブログでシゴトがわかる!

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163ページに載っています。質問、受付ます。「就職」というのは、「人生の転機」の一つですものねー。僕で良かったら、疑問にお答えします。
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幼馴染。

2006年04月06日 | エッセイ・日記・意見
僕には、「幼馴染」がいない。引越しを8回したからだ。神戸市須磨区離宮前町→神戸市灘区高羽町→西宮市浜甲子園団地→西宮市中前田町→富田林市金剛団地→西宮市浜甲子園団地→茨木市南茨木→吹田市山手町。ここまでが独身時代。計7回。結婚後、吹田市の北千里→東京都調布市。

小学校は3つ行っている。中学を受験し、入学とともに、浜甲子園から南茨木に引越した為、「小学校の幼馴染」で連絡の取れるのは、小3~4年の担任の先生、小5~6年の担任の先生、後、友達が一人くらいだろうか。卒業した小学校は、同じ場所にあるが、「少子化」の為、校舎を小振りに建て替え、「浜甲子園小学校」から「甲子園浜小学校」に名前を変えている。別に、同じ場所にあるのだから、名前まで変えなくてもいいと思うが。

浜甲子園団地の想い出はたくさんある。小さい頃は、両目を高熱の病気でやられ、「斜視」になり、母が浜甲子園から阪神西宮のそばの「県立西宮病院」に自転車で連れて行ってくれた。「斜視」を治す訓練の為だ。その前に、両目とも「手術」をしている。なにせ、ディズニーの絵本の文字が完全に一行ダブって見えていたからだ。
大人になり、浜甲子園から阪神西宮まで、車で走ってみると、凄い距離がある事に気付いた。当時、父方の「おばあちゃん」「ひいおばあちゃん」が存命で、その仕送り等、母は「節約」の為、電車賃を使わず、自転車で自宅と病院を往復していたのだろう。確か、当時の主治医の先生が優しい方で、「高血圧の持病」を持っていた事を今、いきなり思い出した。

小5~6年は、中学受験の為に「神戸魚崎の塾」に通っていた。元・灘中学の先生が個人的にやっていた塾で、母が探してきた。小5の時は「行き」が母の車(小学校の授業が終わって車で駆けつけないと、塾の始業時間に間に合わなかった)で、魚崎まで送って貰い、帰りは「阪神電車」で一人で帰ってきた。小6になると、始業時間が小5の授業の終わった後なので、「行き」は一人で「阪神電車」、「帰り」は母が車で迎えに来てくれた。ダイハツのフェローに乗っていた時代。二年間行き、「灘」や「甲陽学院」に進んだ秀才もいた。彼らは今頃どうしているのだろう。塾の名前は、「井上塾」。このブログを読んで心当たりのある方はコメントして欲しい。
井上先生の自宅の二階が教室になっていた。教材のプリントは当時、パソコン等無かったので、先生が半透明の紙に「文字の部分」の傷を付け、それをくるくる回る輪転機みたいな機械で印刷していた。
僕が11~12歳の頃、先生は50歳を過ぎていたので、ご存命なら、90歳近い年齢になっている。
この塾の友達とも「一期一会」で、その後、同じ中学に入った友達以外とは、音信不通である。芦屋に住んでいた「魚住君」に江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」や「天才バカボン」を貸して貰い、読むのが楽しみだった。「魚住君」、元気にしてるかな。

という訳で、地域密着の「幼馴染」はいない。いつまで経っても、「幼馴染」がいる人は羨ましいと思う。

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