僕は3人の子供の父親。中学2年なる長女、小学6年の長男、小学3年の次男、それぞれが通信簿を学期末に持って帰って来る。それを受け取って、それぞれの子供に「コメント」をしなくてはならない。これが結構難しい。3人、それぞれ、得意・不得意科目もあるし、父親の僕が「コメント」をする時、兄弟も聞いていたりするからだ。
とにかく、それぞれの子供の「良いところ」を褒める事にしている。その材料を通信簿の中で、短時間のうちに探さなければ、待っている子供も落ち着かない。
頑張っている先生方も多いが、僕は「日本の教育」自体に、疑問を持っているので、ぶっちゃけ、通信簿はあまり信頼していない。これは担任の先生の性ではなく、「文部科学省」「教育委員会」の性である。
だから、長女には、「留学するんだったら、海外、どこでも行って来い!」と感度も言っているが、強制をするつもりは無い。ただ、僕が初めて海外に行ったのが大学4年の時で、何が分かったかというと、「日本という国」が世界の中でいかに「変な国」であるか、という事。「日本で常識になっている事」は「海外に行かないと、その常識がいいかどうか」は分からない。そういう意味で、僕はその当時は考えた事も無かったが、中学生や高校生、つまり、感受性のいちばん強い時期に、海外に行っておけば良かったと自分自身思っている。
ここ数日の「民主党」の代表争い等で大騒ぎしている「この国」「メディア」は何か、変だなと感じた。国民は、「誰が首相になっても現状と変わりないという気持ち」を持っているはずだし、野党の民主党の代表争いで、電話攻勢をかけたとか、「票の取り合い」をしている政党も見苦しい。
何度も書いているが、「小泉純一郎は歴代首相の中で、最悪の首相」である。何故、彼がこんなに長く政権の座に就いているのか、不思議でしょうがない。辞めたあかつきには、スウェーデンから「反ノーベル平和賞」を贈って貰いたいものだ。
「通信簿」の事からかなり話は逸脱したが、子供達はそれぞれ、自分流で「学び」「行動したこと」の総括が「通信簿」なのだから、僕としては最大限に褒めたい。親の姿勢として、「勉強は強制するもの」ではなく、「いろんな分野の勉強の中から、その子が好奇心を持てるものを見つけるアシスト」の立場でいたい。現実に「受験」というものがあるので、それは「試練」と思って、子供達自身で乗り越えていって欲しいと思う。もちろん、「子供達より長い間、生きている」ので、助言はいつでもする体勢にはあるのだが。








