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ドラマの「キャスティング」と「予算」。

2006年04月26日 | テレビ番組
キャスティングはある意味怖ろしい。俳優事務所との駆け引きだからである。

企画を考え、メインのレギュラーの役柄が決まったら、キャスティングに入る。ドラマの制作会社と一緒にやっている時は、その会社のプロデューサーを通して、キャスティングの交渉をやって貰う事が多い。一つは、僕の様な「局プロデューサー」より、たくさんのドラマをやってきていて、いろんな事務所に「顔が効くと言う事。もう一つは、「一つの役」でも、Aという俳優だけと出演交渉をしていて、決裂した時の保険で、B・・・時にはCと3人位の俳優に並行して交渉をする事が度々あるからである。

よくあるのは、Aという俳優が「役柄」にぴったりで、視聴者の人気もある・・・こういう場合、事務所側は「引き延ばし工作」に出てくる事がある。つまり、うちの局だけでなく、TBSやフジテレビからも出演のオファーが来ていて、検討中という事で待たされるのである。一ヶ月、返事が来ない事もある。そのあげく、
「他局が決まったので、ごめんなさい」と言われる。BやCと出演交渉を同時にしていなければ、一ヶ月、まるまる無駄な時間を使った事になる。

この並行して行うキャスティング作業を制作会社のPにして貰うのは、例えば、Aが決まって、BもOKになりそうな時の為である。
「局のプロデューサーの意向で、役柄が変わって・・・」等の、事務所を傷つけない断り方をできるようにしておく為。
 
芸能界でも、俳優さんの事務所は限られてくる。一つのドラマで、事務所との関係を悪くすると、次にドラマを作る時、キャスティングがし辛くなる。それをできるだけ避ける算段を常に考えておかなければならない。

主役のキャスティングでさえ、5~6人、コケル事は日常茶飯事。それにフレキシブルに対応し、企画の根幹は変えずに、「主役の役柄」を変えてしまう事もある。例えば、主役の役柄が「若い新米刑事」でキャスティングしていて、どうしても、その世代の「主役を張れる俳優」が捕まらない時、「上司の刑事」を主役にして、その上司を「女性」という設定に変え、キャスティングをし直すという「荒業」を使う事も経験した。

いずれにしても、俳優事務所からの返事を待つ間の、プロデューサーの精神状態はまことによろしくない。事務所からの「一本の電話の内容」でプロデューサーの気分は「天国と地獄」どちらへ行くかが決まる。

だから、今、自分が「ドラマ作り」から離れてみて、よく何年も、あの「連ドラのプロデューサー」をやっていたなぁ~と自分を褒めたくなる。「局プロデューサー」の僕でさえ、凄いプレッシャーを感じていのだから、制作会社のプロデューサーのプレッシャーは物凄いものがあったと思う。

制作会社のプロデューサーの苦労はそれだけではない。予算の管理である。予算の流れとしては、まず局内の企画会議で通った時点で、制作会社から「予算見積書」を出して貰う。もちろん、その額のまま通る事はまず無いので、その「予算見積書」を「局プロデューサー」が「編成」と話をして、最終的な全体予算を決める。例えば、海外や地方ロケが不可欠な企画であれば、その予算を「局P」は「編成」から分捕ってこないといけないし、主役にネームバリューのあるギャラの高い俳優が決まれば、それも予算額を左右するファクターとなる。

最終的に「局内」で「予算」が決まり、「局P」が「制作会社P」と相談して、「制作会社に1本当たり、幾らの予算を渡すか」を決める。基本的には、「局P含めた、局のスタッフの交通費・打ち合わせ費などを除く予算」を渡す場合もあれば、「局P」が親しい「技術スタッフを使う場合」、「技術に支払う予算」だけは、「局P」が持ち、その部分を差し引いて、制作会社に渡す場合もある。

僕は、基本的には、「制作会社」にできるだけ多く予算を渡す主義だったが、それでも、必ず「へそくり」は持っていた。10~12本の連続ドラマを制作していて、何があるか分からない。梅雨時で、何日もロケが中止になる場合もあるだろうし、脚本作りの中で、たくさんエキストラの出てくるシーンだとか、最終回に向かって、ドラマを盛り上げる為に、地方ロケに急遽行く事も考えられる。ギャラの高いゲストをキャスティングせざるを得ない事もある。
そんな時、この「へそくり」を使うのである。

「キャスティング」の話から「予算」の話に行ってしまったが、毎クール始まる「連ドラ」を見ていると、このドラマはかなり、キャスティングで苦労した
んだろうなぁ~という事が出演者の座組みで分かってくる。そんなドラマには、「頑張れー!!!!!」と応援したくなる。かつての自分を見ている様だから。

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吉川文子さん逝去。

2006年04月26日 | エッセイ・日記・意見
4月23日に、作家の故・吉川英治の妻である文子さんが85歳で亡くなられた。

吉川 英治(よしかわ えいじ、1892年8月11日 - 1962年9月7日)。本名は英次(ひでつぐ)。「英治」のペンネームは元々は「英次」の名で発表した作品が掲載されるにあたり、出版社が誤って「英治」としてしまったのを本人が気に入り、以後ペンネームとするようになったと言われている。

夫・吉川英治は上記の通り、1962年に亡くなっている。その未亡人である文子さんが2006年に亡くなったという事は44年間の未亡人生活。吉川英治が70歳で1962年に亡くなった時、妻・文子さんは41歳くらいという事になる。
文子さんの死亡記事を読んで、この年齢の事が何故か、僕の頭の中で?マークを点けたのである。

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「週刊現代」の新編集長に見る、今の日本。

2006年04月26日 | エッセイ・日記・意見
「週刊現代」連載の大橋巨泉「内遊外歓」が今発売の号で突然終わった。このコラムは面白い事もあり、かなり独善的な事もあり、当たり外れはあったが、連載は12年続いたという。
大橋巨泉に関しては、「リタイア」したと言いながら、年に数回、日本に帰って来て、いろんな番組に出まくり、巨額のギャラを鷲掴みにして、さっと海外に戻ってしまうという姿勢、国会議員の時の「言う事は言うが、実行を伴わない姿勢」に関して、かなり疑問に思っていた。「リタイア」するなら、上岡龍太郎の様に、全くテレビ等の公の場に出ないという態度を貫き通すべきだろう。

とは言っても、今回、僕が怒っているのは、そういう一連の事では無い。
「週刊現代」の編集長が替わり、新しい編集長の方針で、大橋巨泉のコラムをやめる事が決まり、それが担当編集者から電話一本で巨泉に伝えられたのだ。
これは、常軌を逸していると思う。12年間も毎週「コラム」を書き続けた大橋巨泉に、「連載終了」の伝え方・・・この伝え方は無いだろう。やはり、新旧編集長が巨泉のところに赴いて、事情を説明し、本人に納得して貰って、「コラム連載」を終了するのが、常識というものだ。
講談社という大出版社の「週刊現代」という看板週刊誌の編集長がそんな「礼節」も「常識」も知らないとは・・・日本も「地に落ちた」と思う。
僕は「週刊現代」の愛読者だが、この新しいK編集長の作る「週刊現代」・・・とても心配である。
この出来事が今の日本人の「心の荒涼」を象徴している様に思うのだが、皆さんは如何?

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