お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

映画ファンには垂涎の本。観た観た観た、と叫んでいた。

2007年04月01日 | 映画・DVD・ビデオ
外国映画ぼくのベストテン50年―オール写真付きで名作500本がぎっしり

近代映画社

このアイテムの詳細を見る



かなり、双葉さんの趣味に偏ったベストテン。映画にベストテンを付ける事自体がナンセンスなのだが・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「映画字幕」と言えば、戸田奈津子だったが・・・

2007年04月01日 | 映画・DVD・ビデオ
字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ

光文社

このアイテムの詳細を見る



書き方が「自分に正直」なので、読後感がいい。映画字幕界のドン・戸田奈津子の本も読んだ事があるが、この本の方が誠実だ。


翻訳・・・字幕翻訳は「字数」に制限されるので難しい。翻訳一つで小説などでも、タッチが変わる。

こちらもそう。
長いお別れ

早川書房

このアイテムの詳細を見る


ロング・グッドバイ

早川書房

このアイテムの詳細を見る

出版社 / 著者からの内容紹介
テリー・レノックスとの最初の出会いは、〈ダンサーズ〉のテラスの外だった。ロールズロイス・シルバー・レイスの車中で、彼は酔いつぶれていた……。

私立探偵フィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には哀しくも奥深い真相が隠されていた……大都会の孤独と死、愛と友情を謳いあげた永遠の名作が、村上春樹の翻訳により鮮やかに甦る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本一長い駅名。

2007年04月01日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅(るいす・しー・てぃふぁにーていえんびじゅつかんまええき)」は、島根県松江市西浜佐陀町にある一畑電車北松江線の駅。名前の通り、ルイス・C.ティファニー庭園美術館の前にある。

概要
2006年現在、日本一長い駅名を持つ駅である。正式駅名が長いため、電車の車内放送や車内運賃表示表の次駅表示、整理券ではティファニー庭園美術館前あるいは庭園美術館前と省略された形で案内されている。駅名は前述した美術館のメイン収蔵品の作者であるルイス・カムフォート・ティファニーに由来。

なお、駅名の由来となったルイス・C.ティファニー庭園美術館は、2007年3月31日をもって閉館(美術館と松江市長松浦正敬、NHK松江放送局との確執による事実上の撤退)となったため、同年4月末に駅名の変更が予定されている。駅名が短縮変更となれば、南阿蘇鉄道の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」に日本一長い駅名の座を明け渡すことになる。 新たな駅名はまだ決まっていない。

駅周辺
松江ウォーターヴィレッジ
ルイス・C.ティファニー庭園美術館
イングリッシュ・ガーデン
古江郵便局
松江レークサイドユースホステル

歴史
1964年4月1日 - 古曽志駅として開業。
1970年10月1日 - 古江駅に改称。
2001年4月2日 - ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅に改称され、南阿蘇鉄道の南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を抜いて、日本一長い駅名(「・」「.」も一文字に数えて19文字)の駅となる。
2007年4月 - 美術館の閉館に伴い駅名変更予定。



「鉄ちゃんプチ情報」・・・最近、「鉄子の旅」等、「鉄ちゃん」の社会的評価が上がって嬉しい僕。

鉄子の旅 (1)

小学館

このアイテムの詳細を見る



宮脇俊三自選紀行集 単行本

JTB

このアイテムの詳細を見る

内容(「MARC」データベースより)
「旅の楽しみは鉄道からバスへ、歴史行脚へと広がる」 著者の鉄道紀行の代表作「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」「増補版 時刻表昭和史」のほかミステリーまで、多彩な作品から自選し一挙掲載。

宮脇 俊三(みやわき しゅんぞう、1926年12月9日 - 2003年2月26日)は紀行作家。鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表した。父は陸軍大佐で、後に衆議院議員となった宮脇長吉。

概要
地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高い文章、軽妙なユーモアにあふれた文章を書くことで知られる。また熱心な鉄道ファンであり、一部のマニアに見られる特有の嫌味さ(専門用語や車両の形式名を自慢気に羅列したり、評論家ぶったりするなど)がほとんど無い飄々とした文体は多くの人々に受け入れられ、鉄道ファン以外にも多くのファンが存在する。

処女作『時刻表2万キロ』で、「鉄道に乗る」ということを趣味として確立させ、第2作の『最長片道切符の旅』では「最長片道切符」を世に知らしめることとなった。これらの作品によって「鉄道紀行」を文学の一ジャンルにまでした、と評されることもある(しかし、「鉄道紀行文学」で宮脇並みのレベルの作品を生んでいる人物はその後誰もいない、とも言われている)。

さらに晩年に刊行した『鉄道廃線跡を歩く』シリーズ(I~X、1995年~2003年、JTB)では、これまでほとんど注目されていなかった鉄道趣味に「廃線跡探訪」という新たな1ページを築くなど、鉄道趣味の歴史において大きな役割を果たした事でも知られる。

年譜
1926年 12月9日、埼玉県川越市で7人兄弟の末子(三男)として生まれる。宮脇家の男子の名は、「英雄俊傑」に「一二三四」を順に組み合わせた名前であった(長男英一、次男雄二は若くして病死。俊三が最後の子であり、「傑四」は誕生しなかった)。
宮脇家は元々香川県が本籍であり、父長吉も香川県から代議士に選出されている。俊三は幼い頃からの鉄道好きで、父が選挙区入りする際の一行の切符の手配なども、全て俊三少年が行っていたという。俊三の鉄道好きは戦中でも変わることがなく、1942年に開通した関門トンネルを通ってみたいが故に、戦時下にも関わらず列車に乗って旅行に行ったほどである。
父長吉の陸軍予備役編入と共に、埼玉県川越町(現・川越市)から東京市渋谷町(現・東京都渋谷区)にあった皇族の梨本宮邸付近に一家で移住する。子供時代の遊び場は、梨本宮邸の裏に当たる山手線の線路沿いにあった空き地と、東京市電(現・東京都電)青山車庫だった。
旧制青山師範附属小学校、旧制成蹊高等学校(7年制)卒業後、 1945年 東京帝国大学理学部地質学科に入学。同年8月15日、米坂線今泉駅前で玉音放送を聞き敗戦を知る。戦後の混乱期に大学に戻ったものの、地質学科での現地調査で「ブヨ」に悩まされたこと、本来地図や時刻表が好きだったこと、ちょうどその頃文学の方面に興味が移っていたこと、などの理由から転部しようと決意。ところが当時は理科から文科へ転科できなかったので、東大の文学部西洋史学科を再受験し合格した。青年期の彼を知るには『私の途中下車人生』(話し手:宮脇俊三。講談社 1986年10月9日刊 なお同書は文庫化されていない)が最も詳しい。
1951年 東京大学文学部西洋史学科卒業(途中で理学部から文学部へ転部)。中央公論社(現在の中央公論新社)に入社。以後編集者として活躍し、『中央公論』『婦人公論』編集長、開発室長、編集局長、常務取締役などを歴任。作家北杜夫を世に出したのは編集者時代の彼の功績の一つである。
1977年5月28日 国鉄足尾線を最後に国鉄全線を完乗。
1978年6月30日 常務取締役編集局長を最後に中央公論社を退社。
1978年7月10日 国鉄全線完乗の旅をつづった『時刻表2万キロ』で作家デビュー。
1978年12月12日 『時刻表2万キロ』で第5回日本ノンフィクション賞受賞。
1981年 『時刻表昭和史』で第6回交通図書賞受賞。
1985年 短編小説集『殺意の風景』で第13回泉鏡花文学賞受賞。この『殺意の風景』は同年上半期の直木賞候補にもなっている。このうち、第12話「石油コンビナートの巻」がのちに火曜サスペンス劇場「女弁護士・高林鮎子 寝台特急あさかぜ4号殺人風景」として、また第14話「砂丘の巻」がテレビ東京系月曜女のサスペンス傑作推理受賞作シリーズ「殺意の風景・砂色の迷宮」(1989年。主演、石野真子)としてドラマ化された。
1992年 『韓国・サハリン鉄道紀行』でJTB第1回紀行文学大賞受賞。
1999年 第47回菊池寛賞受賞。
2003年2月26日 東京都内の病院で没する。享年76。戒名「鉄道院周遊俊妙居士」。
死去の報道は葬儀が済む3月になるまで差し控えられた。宮脇の死が発表されると世田谷区の自宅に多くのファンが詰め掛け、自宅周辺はちょっとした混乱状態になった。 

著作(図書)
時刻表2万キロ(河出書房新社 1978.7.10 第5回日本ノンフィクション賞受賞作) ・文庫化:河出書房新社(1980.6)、角川書店(1984.11)
最長片道切符の旅(新潮社 1979.10) ・文庫化:新潮社(1983.4)  巻末に“文庫版あとがき”あり
汽車旅12カ月(潮出版社 1979.12) ・文庫化:新潮社(1982.4)
時刻表昭和史(角川書店 1980.7 第6回交通図書賞受賞作) ・文庫化:角川書店(1987.7) 文庫解説:奥野健男
台湾鉄路千公里(角川書店 1980.12) ・文庫化:角川書店(1985.8)
時刻表ひとり旅(講談社現代新書 1981.6) ・新書版のみの刊行だが全てが書き下ろしではない
時刻表・駅・切符(現代史研究会刊 徳間書店発売 1981.10) ・対談相手:原田勝正 ・文庫化されていない
時刻表おくのほそ道(文藝春秋 1982.4) ・文庫化:文藝春秋(1984.1)
終着駅は始発駅(新潮社 1982.8) ・巻末に「私が選んだ鉄道旅行の本100冊」を収録 ・文庫化:新潮社(1985.8) ・復刊:グラフ社(2007.4.巻末にありし日の作家と作品について、娘のエピローグを収載)
徳川家康タイムトラベル(講談社 1983.4) ・このタイトルでの文庫化はされていない
徳川家康歴史紀行5000キロ(講談社 1998.4) ・巻末に“文庫版あとがき”あり
シベリア鉄道9400キロ(角川書店 1983.5) ・文庫化:角川書店(1985.10)
終着駅へ行ってきます(日本交通公社 1984.2) ・文庫化:新潮社(1986.8)
旅の終わりは個室寝台車(新潮社 1984.10) ・文庫化:新潮社(1987.6)
中央線各駅停車(保育社 1985.1) 宮脇俊三,松尾定行共著(宮脇の執筆は東京・中野間)(保育社カラーブックス667 注:文庫サイズ)
椰子が笑う汽車は行く(文藝春秋 1985.4) ・文庫化:文芸春秋(1988.4)
殺意の風景(新潮社 1985.4 第13回泉鏡花文学賞受賞作) ・『波』(新潮社PR誌)連載時のうち2篇は未収録 ・文庫化:新潮社(1988.4) ・再文庫化:光文社(2006.5)
汽車旅は地球の果てへ(日本交通公社 1986.4.1) ・文庫化:文藝春秋(1989.11)
線路のない時刻表(新潮社 1986.4.20) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:新潮社(1989.4)
全線開通版 線路のない時刻表(講談社 1998.2) ・巻末に“文庫版あとがき”あり
鉄道旅行のたのしみ(集英社 1986.6) ・単行書は刊行せず文庫のみの刊行(『全線全駅鉄道の旅』全12巻、『国鉄全線各駅停車』全10巻 <いずれも小学館刊> から発売配本順に加筆・訂正せず収録)
私の途中下車人生 <談話>(講談社 1986.10) ・文庫化されていない
鉄道に生きる人たち <対話集>(中央書院 1987.5.3) ・文庫化されていない
汽車との散歩(新潮社 1987.5.13) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:新潮社(1990.6) ・復刊:グラフ社(2007.4. 巻末にありし日の作家と作品をめぐる娘の想いを添えた文章を収載)
中国火車旅行(角川書店 1988.2.10) ・文庫化:角川書店(1991.9)
途中下車の味(新潮社 1988.3.25) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:新潮社(1992.6)
ダイヤ改正の話 <対話集>(中央書院 1988.5.30) ・文庫化されていない
ローカルバスの終点へ(JTB日本交通公社出版事業局 1989.1.20) ・文庫化:新潮社(1991.8)
車窓はテレビより面白い(徳間書店 1989.2.28) ・文庫化:徳間書店(1992.8) 文庫解説:奥野健男
失われた鉄道を求めて(文藝春秋 1989.9.15) ・文藝春秋(1992.9)
インド鉄道紀行(角川書店 1990.4.30) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:角川書店(1993.3)
古代史紀行(講談社 1990.11.12) ・文庫化:講談社(19994.9)
日本探見二泊三日(JTB日本交通公社出版事業局 1991.3.1) ・文庫化:角川書店(1994.3)
韓国・サハリン鉄道紀行(文藝春秋 1991.9.15 JTB第1回紀行文学大賞受賞作) ・文庫化:文藝春秋(1994.8)
旅は自由席(新潮社 1991.12.10) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:新潮社(1995.3)
夢の山岳鉄道(JTB日本交通公社出版事業局 1993.6) ・文庫化:新潮社(1995.10.1)
線路の果てに旅がある(小学館 1994.1.10) ・巻末に「終着駅の10の型」を収録 ・文庫化:新潮社(1997.1)
平安鎌倉史紀行(講談社 1994.12.19) ・文庫化:講談社(1997.12)
昭和八年澁谷驛(PHP研究所 1995) ・文庫化されていない
ヨーロッパ鉄道紀行(JTB日本交通公社出版事業局 1996.8) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:新潮社(2000.3)
時刻表昭和史 増補版(角川書店 1997.8.30) ・巻末に著作目録あり ・文庫化:角川書店(2001.6)
駅は見ている(小学館 1997.11.1) ・文庫化:角川書店(2001.10)
豪華列車はケープタウン行き(文藝春秋 1998.7) ・文庫化:文藝春秋(2001.6)
室町戦国史紀行(講談社 2000.11.15) ・文庫化:講談社(2003.12)
乗る旅・読む旅(JTB 2001.1.1) ・後年刊行された角川文庫版(2004.2)の巻末に「父のこと」と題する宮脇灯子(宮脇俊三の長子)の文章を収録
七つの廃線跡(JTB 2001.1.1) ・このタイトルでの文庫化はされていない
鉄道廃線跡の旅(角川書店 2003.4) ・巻末の「解説」で、中村彰彦が宮脇俊三逝去の追悼的文章を載せている
史記のつまみぐい(新潮社 2004.2.20) ・文庫化されていない
宮脇俊三自選紀行集(JTB 2001.12.1)・JTB旅行文化賞10周年記念出版合計5巻(5名)の内の一
宮脇俊三鉄道紀行全集(1~6巻 角川書店)

エピソード
公私共に縁の深い北杜夫の『マンボウ交遊録』によれば、編集者時代の宮脇は本にした時の見栄えまで考え、改ページや字数を考慮した上で北に文章を直すよう求めたという。自分が作家になってからも文章を読めば分かるように、創作に関しては非常にストイックな姿勢を貫いていた。しかし素の宮脇本人は大酒豪で、しかも変わった冗談や言動の多い人物だったという(これは同じく北と親交の深かった星新一と共通する点である)。なお北が1966年に刊行したエッセイ集『どくとるマンボウ途中下車』の中に、「鉄道ファンの編集者に開通直後の東海道新幹線に乗ろうと誘われて付き合った」という趣旨のものがあるが、この編集者はもちろん宮脇のこと。
宮脇は生涯渋谷育ちを自認し、編集者には著者紹介欄に「川越で生まれ、渋谷で育つ。」という一文挿入を希望した。
小学生の頃(1933~5年ごろ)、渋谷駅に佇む生前の忠犬ハチ公の姿を見ており、「時刻表昭和史」や「昭和八年 澁谷驛」の著書にもそのことが触れられている。この話は林順信の「玉電が走った街 今昔」での対談にも出ている。
鉄道の次に好きな乗り物は路線バスであり、飛行機はその逆で乗るたびに早く着陸して欲しいという気になったという。ちなみに乗らずに終わった唯一のJR線が宮崎空港線だった。
お気に入りの路線は宗谷本線・根室本線・山陰本線で、車窓は利尻島が見える宗谷本線の抜海駅付近や余部橋梁であった。
旅情を感じる駅名として、音威子府駅・信濃追分駅・姨捨駅などを挙げていた。
思い入れがある自筆作品はデビュー作の『時刻表2万キロ』と『時刻表昭和史』であった。
青年期の思い出で一番印象に残っていることは米坂線今泉駅で父と玉音放送を聴いたときで、旅行では昭和19年3月に関門トンネルへ向かった時であったといわれる。
時刻表以外でよく読んだ鉄道雑誌は、「鉄道ジャーナル」・「鉄道ダイヤ情報」だったとされる。
一番印象に残っている食べ物は、昭和17年に北海道へ向かった時に列車の食堂車で食べた鮭フライであった。駅弁では小淵沢駅の「元気甲斐」、駅そばでは音威子府駅のものだという。
一番遠くへ来たと感じたのは、小2の時に母と熱海へ行った時だとされた。
自動車の運転免許は昭和29年に収得したが、後に更新をしなくて失効した。
女優では原節子、噺家では志ん生が好みであった。
プロ野球はヤクルト(旧、国鉄)スワローズ、力士では神風が好みであった。
東大文学部西洋史学科の後輩にあたる有名人には、歌手の加藤登紀子がいる。
かつての特技はテニスと駅名暗唱で、前者は旧制高等学校中等部の大会で優勝した事があり、後者では東海道本線の全駅名を小学生の時に48秒で言った事があった。
大のモーツァルト好きであった。バッハの曲も「神に近い」として好んでいた。
鉄道の車両にあまり興味がなく、文体に嫌味がなく、論戦を好まなかったことから、鉄道ファンの間では「神様」のように親しまれている。一方で当の本人は酒好きであり、酒にまつわるトラブルも多い。
酒の勢いで、青函連絡船の寝台船室に乗り合わせた学生に絡んだことがある。(『時刻表2万キロ』第12章)
伊勢海老が気になって、国鉄唐津線の末端区間を乗り残したことがある。(『時刻表2万キロ』第3章)
「いい店の探し方」と称してスナックの扉を少し開けて覗いて回ったことがある。
どんなに忙しくても、作家などとの飲み会に出る時間は確保していた。
隣の北杜夫の家で飲んだときに、一緒に自宅の庭に空き缶を放り込んでいた。北家には常にボトルキープがしてあった。
原稿の推敲を徹底して行うときには酒が欠かせなかった。ただし仕事がはかどった訳ではない。
晩年、医者に酒を止められてからも、内緒で紹興酒を購入しては「度数が低いから」と言って飲んでいた。
末期、入院中に見舞いに来た家族に「酒を持って来い」と当り散らしていた。結核の後遺症で片側だけだった肺に転移して「もう助からない」と悟った夫人は、帰宅したときに医者に内緒で酒を与えた。
博学で、鉄道だけではなく、日本史などにも詳しく、著書には鉄道以外の本もある。知識があっても知らないふりをして書いている、とされることもある。よって上記の鉄道の車両にあまり興味がないというのもはたして事実か、誤記入か定かではない。
国内では一人で旅行することを好み、同行者がいると気を使うからよくないとも書いている。ただし例外は沢山ある。
秋田を旅したとき、車内に乗ってきた女学生達を見て「江戸時代の人買いの気分」になった。(『時刻表2万キロ』第8章)
元重役らしく、タクシーを割と長い距離にわたって駆使するときもある。ただし計画の穴埋めをしようとして失敗することもある。(『時刻表2万キロ』第12章など)
時にはバスも駆使する。時間潰しに近場を観光することもある。
「最長片道切符の旅」で東京の近郊区間を同行した次女に、停車中のホームから列車の連結部に向かってオシッコをさせた。(同書中「第12日」)
「最長片道切符の旅」では切符の有効期限に一日間に合わなかった。(同書中「第33日」「第34日」)
フィリピン旅行でポン引きをなだめすかして列車に乗りまわったことがある。最後に、乗った席に石を投げ込まれて、怪我をした。
インド旅行では水あたりによる下痢をこらえて列車を乗りまわった。半年後、再度インドを訪れた。
国内だけでなく海外の鉄道にも相当行っている。
国鉄好きで、私鉄はあまり食指が動かない、と言っていた。ただし私鉄にも相当乗っている。
国鉄の分割民営化時に雑誌上で東北本線から東武日光線への直通列車の実現を提唱していたが、本人の生前には実現しなかった。
大の時刻表マニアであり、誌上で旅行をすることができる。「線路のない時刻表」では未開通路線の仮想の時刻表を作成したりもしている。
コレクターではないと自称し、初めは切符の収集はしていなかったが、国鉄完乗時の「証拠のために」乗った切符を集めるようになった。買った時刻表も途中から自宅に集めていた。
「鉄道廃線跡を歩く」の最終巻の取材で狩勝峠の旧線を回る予定だったが、直前に病に倒れ、実現せずに終わった。同シリーズ編集担当の大野が遺志を継ぐ形で同所を回り、シリーズの巻頭記事を締めくくっている。同シリーズで最後に回ったのは碓氷峠の旧線である。

 関連人物
北杜夫 - 奥野の旧制中学校時代からの友人で宮脇が編集者時代に世に出した作家。彼が住居を探している際に、たまたま隣が空いているのを紹介して以来、宮脇家とは隣同士で家族ぐるみの付き合いをしていた。よって素顔の宮脇についての証言も多い。ちなみに宮脇家は自宅兼賃貸マンションである。
阿川弘之 - 汽車好きに宮脇が注目し、『南蛮阿房列車』シリーズなどの発刊を手がけて親交が深まる。宮脇は阿川の文章を崇拝していた。阿川の著書『山本元帥!阿川大尉が参りました』のタイトルは宮脇考案のもの。
幸田文 - 宮脇が大ファンで、一緒に仕事をしたこともある。
酒井順子 -中学時代からの宮脇のファン。鉄道関係のエッセイも多い。宮脇とは小湊鉄道、いすみ鉄道での車中対談をしたことがある。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おばさん」の「ミーハー化」。

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
ロマンチックウイルス―ときめき感染症の女たち

集英社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
なぜ妻たちはかくも王子にときめくのか?
ヨン様、きよし、ハンカチ王子とウイルス感染のように拡大したロマンと愛を求める大人のミーハー現象。中高年女性の心理と社会的背景を分析し、ときめきを高齢化社会の生きる術と捉える意欲作。



「ミーハーに成れるという事」は「時間がある」という事。「中年男性」が様々な社会の変化に苦しみつつ働いているのに・・・これ以上は言うまい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売新聞4月1日の朝刊広告より・・・

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
ノーコメント!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋山祐徳太子に新宿の「文壇バー」で出会った時の話。

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
ブリキ男

晶文社

このアイテムの詳細を見る


彼は「美術家」ながら、過去に都知事選に立候補している。その時の話。ある団地前で、宣伝カーの屋上に乗って選挙演説を始めたら、たくさんの人が集まってきた。本人、ご満悦!
ところがしばらくすると、パトカーが登場。警官が宣伝カーの上に上ってくるではないか?????

警官は秋山さんの耳元でささやいた。
「ここは『神奈川県』です」と。

東京都と神奈川県の県境は入り組んでいる。それで起こった出来事。

ちなみに、この日、秋山さんは文壇バーに、庚さんというかつて「アントニオ猪木×モハメッド・アリ戦」を仕組んだプロモーターを連れてきていた。70歳を過ぎた「妖しげな人物」。日テレの「木曜スペシャル」で「類人猿のオリバー君」をアメリカから連れてきて、「日本人女性」とSEXをさせ、子供が出来るか・・・という企画をやったのも、この庚さん。スゴイ人がいるものだ。

庚さんの話はこの本に載っている。面白い本。

変人偏屈列伝

集英社

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
天才発明家、異能の大リーガー、稀代の興行師…数奇な運命を辿った愛すべき変人偏屈たちの力強い足跡を、荒木飛呂彦が尊敬の念をもって描く人気シリーズ、内容に相応しい豪華装丁で単行本化ッ!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

星新一「人民は弱し 官吏は強し」はショートショートでは無いが抜群に面白い。

2007年04月01日 | 本・雑誌・漫画
人民は弱し 官吏は強し

新潮社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
明治末、12年間の米国留学から帰った星一は製薬会社を興した。日本で初めてモルヒネの精製に成功するなど事業は飛躍的に発展したが、星の自由な物の考え方は、保身第一の官僚たちの反感を買った。陰湿な政争に巻きこまれ、官憲の執拗きわまる妨害をうけ、会社はしだいに窮地に追いこまれる…。最後まで屈服することなく腐敗した官僚組織と闘い続けた父の姿を愛情をこめて描く。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
星 新一
1926‐1997。東京生れ。東京大学農学部卒。1957(昭和32)年、日本最初のSF同人誌「宇宙塵」の創刊に参画し、ショート・ショートという分野を開拓した。1001編を超す作品を生み出したSF作家の第一人者(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


星新一さんのお父さんの話。友達に教えて貰い、大学時代に読んだ。父親に対する愛情が滲み出ている一冊。


星新一 ショートショート1001

新潮社

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
星新一氏の文庫本39冊にわたる全短編、さらに文庫未収録ショートショートを加え、全1048編を収録。第1巻「1961‐1968」、第2巻「1968‐1973」、第3巻「1974‐1997」の3巻構成。年譜、五十音索引を付す。

こちらは最近でた「星新一」の評伝。

星新一―一〇〇一話をつくった人

新潮社

このアイテムの詳細を見る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「舞妓はん~」ではなく「蒙古斑(もうこはん)」の話。

2007年04月01日 | 子供・動物・生き物・ペット
蒙古斑(もうこはん、英:Mongolian Spot、Mongolian Blue Spot)とは、先天的に発生する幼児の、主に仙椎の部分の皮膚にでる薄青い灰色の母斑のこと。発疹の様に見える。通常三~五歳で消失する。通常、所々に現れるか、一つの大きなものが、腰椎、仙椎、臀部、脇腹、肩に現れる。


胚の発育の段階で、真皮内のメラノサイトが神経堤から表皮までの移動する間に受ける刺激によって発生する。性差は認められず、男女とも同じ割合で発生する。 口唇裂や脊髄の髄膜腫瘍、黒色腫、色素欠陥母斑症と関係する。


人種的分布
蒙古斑はモンゴル人や他のアジアの民族(日本人、韓国人、インドネシア人等)やアメリカ州の先住民族で一般的である。発生率はモンゴル人の幼児で95%、東アジアの人種の幼児で80%、ヒスパニック系の幼児で40~50%、インド・ヨーロッパ語族の幼児で1~10%と言われている。蒙古斑の知識がないソーシャルワーカーや医療スタッフが、児童虐待による傷であると誤解することもある。



日本語における言い回し
「未熟だ」という意味で「ケツが青い」と言うのは蒙古斑のことだといわれている。



最近、「蒙古斑」を見ない。単に「赤ちゃんのお尻を見る機会が無い」からか、「蒙古斑」を持った赤ちゃんが減っているのか・・・ちょっとした疑問。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「パチンコ」の発祥は?

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
みなさんも聞いたことがあると思うけれど、近代パチンコ発祥の地は名古屋。その理由は、パチンコ台の規格が名古屋で誕生した事にある。 大正時代、イギリスからバガテルという縦型のスマートボールみたいなゲームが流入してきた。それが日本のパチンコの元。日本で改良されたこのゲーム機は、最初、ガチャンコとかパチンと呼ばれていたそうな。

 このバガテル、コインを入れると盤面内に玉が出てくる仕組みだった。そこで日本製のガチャンも、1銭銅貨を挿入する方式で造られた。ところが警察から「天皇陛下のお顔が刻印されているお金を、賭博まがいの遊戯機で使用するとはケシカラン」とお咎めがあった。そこでお金の代わりにメダルを使用することになった(これをメダル式という)。と、ここまでは、パチンコは名古屋にも麻雀にも関係ない。

 ところが昭和12年頃、名古屋の藤井文一という人が鋼球式という方法を考案した。これはメダルではなく球を入れる方式で、現在のパチンコは鋼球式が基本となっている。これは「規格」ではなく方式の問題であるが、現在のパチンコの基本方式が、まず名古屋で生まれたことに注目。

 で、藤井氏はこの新製品を造るために、ベニヤ板や盤面のガラスなどの材料を求めた。これが縁というものか、当時名古屋はベニヤ板の主産地だった。これも名古屋がパチンコの主産地になった一理由とか。いずれにしてもベニヤ板の入手はOK。次は盤面用のガラスがいる。そこであるガラス商のとこへ行った。そのガラス屋の親父が、近代パチンコ生みの親、正村竹一(まさむらたけいち)氏。といっても、まだその時は、ただのガラス屋の親父。

 当時、パチンコ台の大きさ、規格などはメーカーによってまちまちだった。大きなガラスを新しく切って特注品を造るのは金がかかる。何か適当な既製品はないかと検討したところ、温室用のガラスがあった。

 温室用のガラスは大中小とあったが、横幅はすべて同じで高さだけが違っていた。その中の「中」が縦横とも手頃だろうと言うので、これになった。厚さは2mmと3mmとあったが、鋼球が当たるから丈夫な方がいいというので、3mm厚の方が選ばれた。今日のパチンコガラスの規格は、ここで決まった。

 この中サイズ3mm厚のガラスは45枚セットで販売されていた(大サイズは38枚セット、小サイズは50枚セットの売り)。そこでパチンコ台職人の間ではこの45枚セットを「よんごぅ」と呼んだ。今日でもパチンコガラスのことを「よんごぅ」と通称するのはこの為である。

 この藤井氏との出会いが縁で、正村氏もパチンコ屋を開業した。しかしやがて第2次大戦のため、パチンコ産業も壊滅した。

 大戦中、名古屋の都心も空襲で焼け野原となった。しかし奇跡的に正村氏の店の回り5軒だけが焼け残った。そこでいちはやくパチンコ屋を再開したら大流行した。台が足りないので正村氏も自分で製造に乗り出した。

 戦前のパチンコ台は盤面いっぱいに釘が等間隔で打たれていた。玉はその釘の間をポトポトという感じで流れ落ちるものだった。しかし正村氏は、釘を独特の配列にすることによって、ある場所では流麗に、ある場所では風車に撥ねられ、ある場所ではポテポテという感じになるなど、球が変化のある動きをするような考案をした。天釘・命釘・ハカマなどはこのとき生まれた。これが今日のパチンコの基礎となっている正村ゲージである。

 正村ゲージのパチンコは爆発的に売れた。そこでみんな正村ゲージの台を1台買ってきて、その真似をした台を造った。模倣台は、正村台を買ってきて釘を全部抜き、釘穴を写し取ったベースをつくる。そのベースを下敷きにして釘穴の位置に釘を打ってゆくのだからら、本物とまったく同じものが出来る。その模倣台は1台\3500-で売られた。正村台の本物は¥7000-で売られていたから、イミテーションでも結構売れた。ところがやがてイミテーションは売れなくなり、\7000-でも正村台の方がよく売れた。それはお客が「模倣台は球の動きが面白くない」といって納得しなかったからである。模倣台のメーカーは「まったく同じに造っているのに」と不思議がった。

 実は正村ゲージには釘の配列以外の秘密が3つあった。正村氏はガラス商を営む前に大工の経験があった。その時、正村氏は「釘は斜めに打つべし」ということを覚えていた。

 で、秘密の1>斜め打ち
 模倣台は盤面に垂直に打たれていたが、正村台は目には分からぬ程度に盤面に対して場所によって前後左右から斜めに打たれていたのである。釘を抜いた後の釘穴だけみてそこへ釘を打っている模倣台の職人には、それがわからなかった。

 秘密の2>釘の長さ
パチンコ釘の長さは1寸(33mm)。他メーカーはそれを盤板に17mm打ち込んでいた(盤上に出ている部分は16mm)。しかし正村台は打ち込みが15mmで、盤上に出ている部分は18mmであった。そのため球が釘上で踊り跳ねる範囲が広くなり、盤ガラスにカチカチと当たって模倣台よりにぎやかで面白い動きをした。これも釘穴だけみてそこへ釘を打っているだけの職人にはわからなかった。

 秘密の3>5分寝かせ
 釘の根本が、他の台より微妙に甘かった(0.05mm)。これなら模倣により造った釘穴に釘を正確に打ち込むことで真似できる。しかし釘が甘ければ、単純にいってよく入るだけ。下手するとパチンコホールが大損する。そこで模倣メーカーの釘は、微妙に厳しくなっていた。とうぜん全体的に球が入る率が悪くなるから、お客にも不満が出る。しかし正村台は球の出が良くなったり悪くなったり適度にバランスが保たれ面白かった。この球の出が良くなったり悪くなったりすることをスランプという。

 ではどうして甘い釘なのにスランプを演出することができたか。それは他メーカーより台の設置が立っていたからである(他メ-カーは4分5厘寝かせ、正村台は5分寝かせ)。盤全体が立っているから釘が甘くてもその分、球が踊る。踊るから面白い動きをする。これも台の製造だけを真似している模倣メーカーには分からなかった秘密。そんなこんやで、正村ゲージはパチンコの標準仕様となったのである。

 と、ここまではパチンコオンリー。これから多少麻雀と関係のある話。
 昔の機械は一つの穴に球が連続して入ると、最初の球だけしか有効にならなかった。そこで正村氏は、連続して入った球を判別する装置も考案した。これを連チャン整理機という。この装置をパチンコに取り付けるには警察の許可がいる。そこで「連チャン整理機」という名称で申請したら、警察から「この名称はダメだ」と拒否された。

 「我々はこのように通称している。どうしてダメなんだ」と聞いても「連チャンという表現がダメだ」という。どうしてダメなのか意味が分からなかったが、結局「ダブル球防止装置」という名称で登録したという。

 そこでこの話をしてくれた研究者に「連チャンのチャンてどういう字ですか」と質問したところ、「実は職人さんに聞いても『なんとなく最初からそう呼んでいる』というだけで、字は分からない」という。そこで「それは麻雀用語の『連荘』から来ているのではないか。警察が連チャンという表現にNGを出したのは、麻雀にギャンブルのイメージがあったので、パチンコにそのイメージが持ち込まれるのを懸念したせいでは」と返事した。すると「また一つパチンコの歴史が解明できた」と云って大いに喜ばれた。

 パチンコミュージアムは、名古屋市西区城西4-19-6、正村会館の3Fにある(入場無料)。古いパチンコ台などがズラリと並べられているので、古典ファンには一見の価値があると思う。


会社の同僚で「バチンコ」が密かなブームになっている。三軒くらいハシゴする人もいる。「パチンコ台」の前に座ると「無」になれるそうだ。
僕は「麻雀」(但し、親しい仲間との)以外、「競馬」も「パチンコ」もやらない。「宝くじ」も止めてしまった。熱中するものがあるのは羨ましいが、僕の場合は「感動する映画を観て、一人、酒を飲む」というのが最高のシチュエーション。でも、これだけたくさんの人がパチンコに行くのは「ストレスが溜まっている」からだろう。
大学時代「アレンジボール」というのが流行り、これにははまった。はまるものがあるという事はいい事である。今、僕がはまっているのは「このブログを書く事」「その為にAmazon.jpから本やDVD、CDを買う事」、この二つかなぁ~


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヨコハマメリー」・・・横浜に娼婦として立ち続けた彼女が突然姿を消し・・・

2007年04月01日 | 映画・DVD・ビデオ
ヨコハマメリー

レントラックジャパン

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
顔は白塗りで、身に付けているのはつねに白いドレス。戦後、横浜の伊勢佐木町に娼婦として立ち続け、「ハマのメリーさん」と呼ばれた女性がいた。1995年、そのメリーさんが突然、姿を消したことをきっかけに、中村高寛監督が彼女の真実を追いかけ、1本のドキュメンタリーになった。団鬼六、五大路子ら彼女にゆかりのある有名人や、服を預かっていたというクリーニング店の店主らの証言を織り込み、メリーさんをとらえたモノクロ写真とともに、その素顔を浮かび上がらせる。
街で出くわしたらギョッとするような外見のメリーさんだが、観ていくうちにどんどん親しみが湧いていく。プライドの高さ、恋人だった将校への想い。異様な外見にこだわった理由や、ビルの廊下で寝泊まりしていた事実などを、中村監督が精一杯の愛着でみつめるからだ。ひとりの人物像から、背景の時代が再現されるのも見事。メリーさんが最も親しくしていたシャンソン歌手で、末期ガンを患う永登元次郎のドラマがシンクロし、静かに終わりそうだと予感させる本作は、ラストで思わぬ急展開をみせる。その鮮やかな幕切れには、感動を超越した崇高ささえ感じさせる。(斉藤博昭)

メーカー/レーベルより
あなた知ってる?"ハマのメリーさん"

【作品概要】
人生の深みと温かさが、心をゆるがす感動の物語。 かつて、ひとりの娼婦がいた。彼女の名前は"ハマのメリー"

かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた、その気品ある立ち振る舞いは、いつしか横浜の街の風景の一部ともなっていた。"ハマのメリーさん"人々は彼女をそう呼んだ。1995年冬、メリーさん突然姿を消した。自分からは何も語ろうとしなかった彼女を置き去りにして膨らんでいく噂話。いつのまにかメリーさんは都市伝説のヒロインとなっていった・・・。
2006年ミニシアターながら口コミで大ヒットした噂の作品がリリース!

【キャスト&スタッフ】

監督:中村高寛 出演:永登元次郎、五大路子、杉山義法、清水節子、広岡敬一、団鬼六、山崎洋子、大野慶人他 企画制作:人人フィルム 写真:森日出夫



本人が出て来なくて、周りの親交のあった人達の言葉で「ヨコハマメリー像」を想像させるドキュメンタリー。心に染み渡る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「白百合クラブ 東京へ行く」というDVD。

2007年04月01日 | 映画・DVD・ビデオ
白百合クラブ 東京へ行く

バンダイビジュアル

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
終戦の翌年に沖縄・石垣島白保の若者たちが集まって結成された楽団「白百合クラブ」。そして時は経ち、当時の若者たちも今や平均年齢70歳の高齢。にもかかわらず、彼らは今日も手作りの楽器を手に、ハイカラでモダンな昭和歌謡を歌い踊り続けている。そんな面々に、THE BOOMの発案による東京でのライヴの話が持ち上がった!
沖縄在住の中江裕司監督が、日本一の長寿バンドの足跡と現在の姿を追っていく、なんともおちゃめでポップな楽しいドキュメンタリー。いわば日本版『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』とでもいったテイストであり、日本の歌とはかくも素敵なものかと気づかされるが、その一方では替え歌、艶笑歌の数々から戦争と歴史の傷跡も痛感させられる。楽しさの中に、一瞬ぴりりと辛いものも巧みにしのばせつつ、老いることすなわち人生を重ねていくことの尊さまで知らしめてくれる秀作である。(的田也寸志)

内容紹介
中江裕司監督(『ホテル・ハイビスカス』)の、笑って泣けるドキュメンタリー。

○監督 / 中江裕司
○プロデューサー / 新井真理子、中村芙美

【映像特典】
未公開映像、メイキングなどを予定

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『ホテル・ハイビスカス』の中江祐司監督が、“白百合クラブ”の個性的な魅力に心酔して撮り上げた音楽ドキュメンタリー。結成56年、平均年齢70歳の長寿バンド・白百合クラブの東京公演が決定。東京を舞台に彼らの美しい演奏と華麗な舞いが展開される。


内容(「Oricon」データベースより)
石垣島白保で結成され50年間ほぼ変わらぬメンバーで活動を続ける平均年齢70歳を超える楽団「白百合クラブ」がTHE BOOMと共に行った東京公演を追ったドキュメンタリー・ムービー。


この監督の「ナビィの恋」を「新宿テアトル」で観て、思わず沖縄料理店に入った僕。音楽は苦手だが、この監督は音楽の使い方が上手く、ど素人の僕も感動させてくれる。

ナビィの恋

バンダイビジュアル

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
出身地の沖縄にこだわり、沖縄を題材にした作品を撮り続ける中江祐司監督の長編映画第2作。ストーリーは、東京から帰ってきた孫娘(西田尚美)と祖母ナビィ(平良とみ)との交流。また、ナビィのもとにかつての恋人が60年ぶりにブラジルから迎えに帰ってきたことによって巻き起こされる出来事を二重写しに、生きることと死ぬこと、人を愛することと信じることの意味を、美しい沖縄の風土のなかで大らかにうたいあげている。
特筆すべきは、ナビィの夫を演じる沖縄民謡界の大物、登川誠仁。蛇皮線にのせたひょうひょうとした歌声で、ナビィの駆け落ちをやさしく見守る彼の存在が、この映画のスケールを一段と大きくしている。また、音楽のすばらしさも忘れてはならないだろう。(堤 昌司)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
『パイパティローマ』の中江祐司監督作。沖縄を舞台に、祖母と孫娘という世代の違う2人の女性のそれぞれの恋愛模様と人間関係を描いたラブロマンス。


内容(「Oricon GE」データベースより)
60年前に引き裂かれた恋人との誓いを胸に秘めた祖母と、孫娘の恋心を描いたハートフルムービー。


内容 (「CDジャーナル・レビュー」より)
東京から沖縄の粟国に帰ってきた奈々子は、ナビィおばぁと恵達おじぃの家でのんびりと過ごす。しかし奈々子と同じ船で上陸した初老の男性とおばぁの間に深い因縁が……。とにかく楽しいのが全編を臆面もなく彩る歌や演奏。おじぃ演じる登川誠仁(朴訥とした演技が最高!)を筆頭に、昨年惜しくも亡くなった嘉手苅林昌、大城美佐子ら沖縄のビッグ・ネームはもちろん、オペラの兼島麗子、はてはカナダのケルト系ミュージシャン、アシュレイ・マックアイザックまで登場し、あらゆる音楽がチャンプルーに。一見リアルなようで実は寓話のこの作品を、ラテン文学やインド娯楽映画のようにシュールでファンタスティックなテイストに導いている。DVDには試写会用に撮影された出演者や監督のあいさつビデオと、本土ではあまりなじみのないキャストの詳細なプロフィールを静止画で収録し、爽やかな後味のこの映画がもっと好きになれちゃう。 (山下泰司) --- 2000年10月号

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「卒塔婆」・・・木で出来た「お墓」にあるもの。

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
■仏教の世界観をあらわす

 卒塔婆には、墨で戒名とそれぞれの宗派の聖句あるいは梵字などが書かれています。死者の供養のため建てるものですが、浄土真宗のように卒塔婆を建てない習慣の宗派もあります。
 卒塔婆はもともと、古代インドの言葉でストゥーパという言葉を、音訳したものです。ストゥーパとは、仏塔とも訳され、お釈迦さまの遺骨を納めた塔のことをいいます。お釈迦さまが入滅すると、遺骨が8つに分けられ、8つの国に遺骨を安置するための塔が建てられたのです。後には、お釈迦さまだけではなく、高僧が亡くなってもストゥーパを建てるようになりました。
 ストゥーパはもともとお椀を伏せたようなかたちをしていましたが、時代をおって変化し、また仏教が中国を通って日本にくる間に、色々なかたちに変化しました。
 日本のお寺でよく見ることのできる五重塔ももとをたどればストゥーパですし、五輪塔ももとをたどればストゥーパです。
 卒塔婆は、五輪塔のかたちがもとになってできました。このかたちには、仏教の世界観が表現されています。一番下の四角形は「地」をあらわしています。その上の円形は「水」を、その上の三角形は「火」を、その上の半円形は「風」をあらわしています。そして一番上の宝珠型は「空」をあらわしています。
 仏教は地水火風空の5つの要素が、この世界を構成していると考えているのです。そして人間もこの5つの要素によって、生かされていると考えているのです。

■故人の供養のために建てられる

 卒塔婆は故人の供養のために建てられます。お墓は「○○家」と刻まれており、先祖代々の供養のために建てられるものですが、卒塔婆には死者の戒名が書かれ、個人個人の供養のために建てられます。
 お盆やお彼岸、年忌法要のとき、お寺から「卒塔婆を建てて供養しておきますよ」と言われることがあります。また、用事があって法事に行けない時に、「卒塔婆を建てておいてください」と住職に電話する人も多いようです。
 こうした時は、故人を供養するいい機会です。できるだけ卒塔婆供養をお願いしたほうがいいでしょう。また、その時には必ずお寺に、供養料を納めてください。大きさによって供養料が決められているお寺が多いようです。
 また卒塔婆は法要のたびに建てるので、一定期間が過ぎると、卒塔婆だらけになったり、卒塔婆が古くてぼろぼろになったまま放置されているということがあります。寺院墓地の場合はお寺に処分してもらうようお願いし、霊園の場合は霊園事務所に相談するとよいでしょう。

■施餓鬼会と卒塔婆供養

 お盆と共に夏の行事のひとつとなってるのが施餓鬼会(せがきえ)です。本来この施餓鬼会はお盆とは別の行事です。地域によって5月の連休中や、年忌、百ヶ日の法要などと合わせて行う場合もあるようですが、大半の地域ではお盆の期間に行われています。その際にも、卒塔婆を建てて供養を行います。
 仏教でいう餓鬼とは、いつも飢えと渇きで苦しんでいる亡者のことです。餓鬼の世界はまさに飢えの世界で食物があっても食べることのできない世界です。食べても喉がハリのように細くなって飲み込むことができなかったり、食べようとして手にすると、その食物が燃え尽きてしまったりします。このような餓鬼に飲食(おんじき)を施して救い出すのが施餓鬼です。
 自分の力でその苦しみから抜け出すことのできない餓鬼にとって、施餓鬼会が唯一の救いになるとされています。施餓鬼会の法要では、お寺に設けられた施餓鬼壇に「三界万霊」と書いた位牌を安置し、檀家の人が持ち寄った米や野菜、果物、菓子などと一緒に卒塔婆を建てて法要を行い亡者を供養し、その滅罪追福を祈ります。


「石のお墓」とはやはり違うという事が分かった。「石のお墓」の後ろにたくさんの「卒塔婆」が挿されている事があるのを以前見た。「仏教」は奥が深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「伽羅色」とはどんな色?

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
香木の伽羅で染めた色。やわらかい黄赤。江戸時代。伽羅は日本では中世以来、香として有名であるが、染色名として登場するのは比較的あたらしい。伽羅蕗、伽羅牛蒡などの料理の名はこの色にちなむ。

具体的にはこんな色→http://www.colordic.org/colorsample/2154.html

http://yuzen.net/color/brown/kyara.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高山みなみさん・・・声優。

2007年04月01日 | テレビ番組
今日から始まったフジテレビの『ゲゲゲの鬼太郎(5度目のアニメ化)』
を家族揃って観ていた。家族はみんな「鬼太郎」の声は「名探偵コナン」の声だと言う。僕は「そんな、一週間に2つの連続アニメの主役をスケジュール的にできるはずがない」と思い、番組のエンドロールを家族全員で凝視していたら、「高山みなみさん」の声だった。びっくり。宮崎駿監督の『魔女の宅急便』のキキの声でもある。僕にとっての『ゲゲゲの鬼太郎』は野沢雅子さんだったので、その先入観もあったのだろう。とにかくひっくりした。http://www.toei-anim.co.jp/tv/kitaro/

名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌【初回生産限定盤】

ビーヴィジョン

このアイテムの詳細を見る

Amazon.co.jp
青山剛昌の人気ミステリ漫画を原作にしたTVアニメ・シリーズの劇場用映画第10作。謎の人物がコナンたちに捜査の依頼と称する挑戦状を叩きつけてきた。謎が解けなければ彼らのみならず、遊園地で遊んでいる仲間たちの命まで爆弾で失われてしまう。シリーズの名探偵など人気キャラがバランスよく登場するなどにぎやかな作りの中、前半部はシリーズ本来の魅力であるミステリ的興味で攻めているのは好感の持てるところだが、後半ハリウッド映画風アクションに陥り、ミステリがないがしろになってしまうのは惜しいところで、オチがあまりにもあっけなさすぎるのにはがっかり。設定の数々が、かつて他の作品などで見聞きしたものが多いのも気になる。ただし、愛らしい絵柄とハードな展開のギャップが醸し出すシリーズならではのスリリングなテイストは失われておらず、現代の少年探偵団ものとしての冒険ロマンは十分に堪能できる。だからこそ、次は本格ミステリを台詞で説明するのではなく画で魅せるものを期待したい。(増當竜也)

メーカー/レーベルより
映画10周年記念超大作はオールスター登場!!
人気探偵たちの華麗な共演が大きな話題になった劇場版がついにDVD化!!
2006年GW全国東宝系劇場公開映画

DISC1:本編+特典映像収録
<特典映像内容>~The Extra Film of Detective CONAN~
・予告編&特報
・歴代のOP/EDテーマ&映画主題歌のPVダイジェスト
・チーフプロデューサー;諏訪氏へのインタビュー
DISC2:特典ディスク
公開記念特番「ありがとう!10周年コナン大賞」+『探偵たちの鎮魂歌』TV放送での週替わり劇場告知を全編収録

【豪華4大特典付き】
特典1. 劇場版DVD10作品を収納可能な美麗ケース
特典2. 劇場版コナン史上初の2枚組ピクチャーディスク仕様!
特典3. 特別盤限定ブックレット(16P)封入
特典4. 紫外線で色が変わる!"オリジナルロゴ入りコンパクトミラー"封入

原作:青山剛昌
(小学館・少年サンデー連載中/よみうりテレビ・日本テレビ系放映中)
監督:山本泰一郎
脚本:柏原寛司
音楽:大野克夫

江戸川コナン:高山みなみ
毛利蘭:山崎和佳奈
毛利小五郎:神谷明
目暮警部:茶風林
阿笠博士:緒方賢一
吉田歩美:岩居由希子
小嶋元太:高木渉
円谷光彦:大谷育江、折笠愛
灰原哀:林原めぐみ
工藤新一:山口勝平

プロデューサー:諏訪道彦・吉岡昌仁
キャラクターデザイン/総作画監督:須藤昌朋
美術:渋谷幸弘
色彩設計:西香代子
撮影:野村隆
編集:岡田輝満
録音監督:井澤基
音響効果:横山正和
アニメーション制作:東京ムービー
製作:小学館/読売テレビ/日本テレビ/小学館プロダクション/東宝/トムス・エンタテインメント

発売元:小学館
販売元:J-DISC Being
DVD制作協力:B・VISION




高山 みなみ(たかやま みなみ、漢字は高山南、本名:青山 泉(あおやま いずみ、旧姓・新井)、1964年5月5日 - )は、日本の声優、歌手。81プロデュース所属。東京都足立区出身。夫は漫画家の青山剛昌。

代表作品に映画『魔女の宅急便』(キキ、ウルスラ役)、『らんま1/2』(天道なびき役)、『楽しいムーミン一家』(ムーミン役)、『剣勇伝説YAIBA』(鉄刃役)、『忍たま乱太郎』(猪名寺乱太郎役)、『名探偵コナン』(江戸川コナン役)、『ゲゲゲの鬼太郎(第5作)』(鬼太郎役)など。

来歴・人物
中学校時代に劇団ひまわりに入団し、高校卒業後、一時はOLとして働いていたものの、22歳で声優を目指した。
元気な少年少女役から、腹黒い女性役、冷酷で陰険な性格の敵キャラ役などをこなす。また二役にも巧みで(『魔女の宅急便』、『獣王星』)、その演じ分けの上手さから「天才」と称される。同業者では日高のり子、山口勝平、林原めぐみらとの共演が多い。
永野椎菜との音楽ユニットTWO-MIXでは歌手兼作曲家としても活動しており、『新機動戦記ガンダムW』の主題歌等が代表的である(また『名探偵コナン』にも、TWO-MIX本人キャラが登場した回があり、一時期には同アニメのオープニングテーマを歌っていた)。
桝田省治ディレクションのゲームには必ず出演している。
2005年5月5日、自らが主演した『YAIBA』、『名探偵コナン』の原作者である漫画家の青山剛昌と結婚。また、大の読売ジャイアンツのファンで夫の青山と一緒に東京ドームで観戦した。
実は高所恐怖症。現在は30階以上に住んでいるらしいが(おそらくマンション)、ベランダに出るたびに生きた心地がしないと語っている。それと同時に飛行機もダメらしい。
もともとはラジオ番組のDJ志望だったらしい(2007/1/1放送NHK-FMボイスパラダイスより)
飯塚昭三を実の父の様に敬愛しており、飯塚と会う度に嬉しくて飯塚に抱き付く事がある。
叔父は元新日本プロレス幹部で仕掛け人として活躍した新間寿。



出演作品

テレビアニメ
アストロボーイ・鉄腕アトム(真一:2話)
アソボット戦記五九(魅音)
NG騎士ラムネ&40(カンフー)
OH!MYコンブ(コンブ)
おばけのホーリー(香織)
お~い!竜馬(坂本竜馬(少年時代)、坂本春緒)
ガサラキ(安宅燐)
カラオケ戦士マイク次郎(鈴木次郎(マイク次郎))
鬼神童子ZENKI(速水一恵)
今日からマ王!(フォンカーベルニコフ卿アニシナ)
クッキングパパ(荒岩誠、荒岩みゆき)※実質主人公
クレヨンしんちゃん(おケイ(本田ケイコ))
ゲゲゲの鬼太郎(第5作)(鬼太郎)
剣勇伝説YAIBA(鉄刃)
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX(黒羽)
攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 2nd GIG(チャイ)
こちら葛飾区亀有公園前派出所(磯鷲早矢)
史上最強の弟子ケンイチ(南條キサラ)
シティーハンター3(浅岡明)
シティーハンタースペシャル'99 緊急生中継!?凶悪犯冴羽獠の最期(朝霧さやか、サユリ・クラウディア)
シャーマンキング(麻倉葉王、ハオ)
獣王星(トール(少年期)、ラーイ)
十二国記(梨耀(りよう))
The Soul Taker~魂狩~(伊達水脈)
それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ(山本洋子)
ダッシュ!四駆郎(日向葵)
高橋留美子劇場(真魚)
楽しいムーミン一家(ムーミン・トロール)
チロリン村物語(ピーコ)※主人公は3人
ツヨシしっかりしなさい(石川舞)
DIGITAL MONSTER X-evolution(ドルモン、ドルガモン、ドルグレモン、アルファモン)
天空のエスカフローネ(ディランドゥ・アルバタウ、セレナ・シェザール、シド・ザール・フレイド)
天保異聞 妖奇士(河鍋狂斎)
ドッカン!ロボ天どん(釜田グラタン)
ドラえもん (テレビ朝日版テレビアニメ)(スネオのママ(2代目))
忍たま乱太郎(猪名寺乱太郎)
姫ちゃんのリボン(上倉一子、小林森太郎、ジュライ)
BLACK CAT(ちびっこトレイン)
PROJECT ARMS -プロジェクト アームズ-(久留間恵)
ポケットモンスター(ヒロシ)
星のカービィ(ナックルジョー)
まじかる☆タルるートくん(江戸城本丸)
魔神英雄伝ワタル(キクオ、イチロー)
魔法騎士レイアース(アスコット)
マシュランボー(マシュラ・マシュランボー)
魔法戦士リウイ(ジーニ)
マリア様がみてる(先代ロサ・ギガンティア)
ミスター味っ子(味吉陽一)
みどりのマキバオー(飯富勝)
名探偵コナン(江戸川コナン、工藤新一(幼年)、高山みなみ(本人役)、中森青子(2代目)、ゴロ)
闇の末裔(水無瀬聖)
幽☆遊☆白書(躯)
らんま1/2/らんま1/2 熱闘編(天道なびき)
若草物語 ナンとジョー先生(トミー)
ONE PIECE(ハムウ)

OVA
青山剛昌短編集2(「夜空に飛び立つ10個の惑星」幼い頃の工藤新一・「ちょっとまってて」麻巳子)
イース(アドル(幼年期)/フィーナ)
イース 天空の神殿〜アドル・クリスティンの冒険(フィーナ)
精霊使い(瑣織)
サクラ大戦~エコール・ド・巴里~(サリュ)
THE八犬伝(犬坂毛野)
地獄堂霊界通信(椎名裕介)
少年アシベ(アシベ)
SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK(レニ博士)
それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ(山本洋子)
超特急ヒカリアン(のぞみ)
マクロス ゼロ(ノーラ・ポリャンスキー)
名探偵コナン
コナンvsキッドvsヤイバ 宝刀争奪大決戦!(江戸川コナン、鉄刃)
16人の容疑者(江戸川コナン)
コナンと平次と消えた少年(江戸川コナン)
コナンとキッドとクリスタルマザー(江戸川コナン、中森青子)
標的は小五郎!!探偵団マル秘調査(江戸川コナン)
消えたダイヤを追え!コナン・平次vsキッド!(江戸川コナン)
らんま1/2 各作品(天道なびき)
ロードス島戦記(シーリス)

劇場版アニメ
アリーテ姫(アンプル)
劇場版名探偵コナン 各作品(江戸川コナン)
鉄拳 -TEKKEN-(ニーナ・ウィリアムズ、少年時代の一八)
魔女の宅急便(キキ、ウルスラ(二役))
耳をすませば(高坂先生)
ルパン三世 DEAD OR ALIVE(オーリエンダー)
風の大陸(ラクシ)
金色のガッシュベル!! 101番目の魔物(ガッシュの母)
劇場版スレイヤーズ(ラウディ(少年時代))

ゲーム
暴れん坊プリンセス(フィル・キール)
エラン(アマネ)
俺の屍を超えてゆけ(黄川人)
コズミック・ファンタジー(ユウ)
風の伝説ザナドゥII(プロスタ)
ガングレイヴO.D.(スパイク・ヒュービー)
サイキックフォース2012(エミリオ・ミハイロフ)
サクラ大戦3 ~巴里は燃えているか~(サリュ)
シャーマンキングシリーズ(麻倉葉王、ハオ)
第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ(ルアフ・ガンエデン)
大乱闘スマッシュブラザーズX(ピット)
玉繭物語(マーブ)
テイルズオブシンフォニア(ミトス・ユグドラシル)
デジモンワールド(主人公)
天外魔境II 卍MARU(まつり)
.hackシリーズ(ミア)
ネクストキング 恋の千年王国(チコリ・ワームウッド)
バーチャファイターシリーズ(パイ・チェン)(※『3』以降)
ぼくのなつやすみ(ガッツ)
ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇(タケシ)
ぼくらのかぞく(健ちゃん)
ポポローグ(ピエトロ、少年時代のパウロ)
ポポロクロイス物語(ピエトロ)
名探偵コナンシリーズ(江戸川コナン)
メルティランサー 銀河少女警察2086(ノワール)
悠久幻想曲(リサ・メッカーノ)
リフレインラブ ~あなたに逢いたい(結城蘭)
リモートコントロールダンディ(王座守)
リンダキューブ(リンダ)
リンダキューブ・アゲイン(リンダ)
リンダキューブ 完全版(リンダ)
ロックマンX7(アクセル)
ロックマンX8(アクセル)
我が竜を見よ(メグ)
今日からマ王! ~おれさまクエスト~(フォンカーベルニコフ卿アニシナ)

吹き替え
スタンド・バイ・ミー(クリス・チェンバース(リバー・フェニックス))
チャーリーズ・エンジェル(アレックス(ルーシー・リュー))
チャーリーズ・エンジェル フルスロットル(アレックス(ルーシー・リュー))
天使にラブソングを2
ネバーエンディング・ストーリー 第二章(アトレーユ)
バリスティック(シーバー)
フルハウス(ジョーイ(少年時代))
ボーイミーツワールド(ショーン・ハンター)
やかまし村の春夏秋冬(ラッセ)
愉快なシーバー家(ケイト)
リトルフットシリーズ(リトルフット)
バイオハザード (映画)(レイン)
モンスター・ハウス(DJ)
ミュージック・オブ・ハート(レキシー)

特撮
特捜戦隊デカレンジャー(アサシン星人 ジンギ)

ドラマCD
アレサ ~魔法人形のレクイエム~(ドール)
君と僕。(松岡春(高校生))
今日からマ王!シリーズ(フォンカーベルニコフ卿アニシナ)
裏・今夜はマのつく大脱走
裏・明日はマのつく風が吹く
閣下とマのつくラブ日記
Wジュリエット(三浦糸)
電影少女 集英社CDブック(天野あい)
天は赤い河のほとり(ユーリ・イシュタル 鈴木夕梨)
ミルククラウン(相沢和斗、ミコト)
仙界伝封神演義外伝新章(太上老君)
幻想魔伝 最遊記(瑞)
CDドラマコレクションズ 三國志(祝融)
シャーマンキング ドラマ&キャラクターソングアルバム - 恐山ル・ヴォワール ~prologue to shaman~ (麻倉葉王)
シャーマンキング 恐山ル・ヴォワール ~au revoir~ 「陰陽の約」(ハオ、麻倉葉王)

ラジオ
青春アドベンチャー「女王の百年密室」、「迷宮百年の睡魔」(サエバ・ミチル)
魔神英雄伝ワタル3(アララン(怪盗サンパチーノ))

CD
ぼくがいる~コナン・ヴァージョン~
TRUTH~コナン・ヴァージョン~
CAROL-K ~Graduater~(キャロル)
Endless Communication (初版 TDCD-1018 1992年12月10日)(再版 TDCA-2004 1998年3月21日)
PROLOGUE / SCANDALOUS L・A・D・Y / LANDING TO THE PARADISE! / ONE RAINY DAY (RAIN BEAT SERENADE) / そして二人は火曜日に… / C'EST LA VIE / RHYTHM REACTION / BEAT OF ENERGY / STANDING ON THE MOON / FEELING OF LOVE / ENDLESS COMMUNICATION
音楽CDは、TWO-MIX名義でも多い。
シャーマンキング S.F.O.V VI「不羈独立」(ハオ)
CDドラマ 風の伝説ザナドゥII ヒロイン達の誕生日(神官プロスタ)
英単語ドリルノート FORMULA1200 BASIC【CD付】(東進ブックス)

ナレーション
ザ・少年倶楽部プレミアム(レディーストークのみ)
ネイバリー(TBSテレビ)
道徳ドキュメント(NHK教育)

その他
のびのびノンちゃん(リコチャン)
アルプスの少女ハイジ(チネッテ(総集編のみ))


「ゲゲゲの鬼太郎」が「ホラー的アニメ」から「戦闘的アニメ」に変わっていたのは、白黒版の第1シリーズをオンタイムで観ている僕にとっては物足りなかった。つまり、もっと「顔を覆う程、怖いアニメ」にして欲しいということ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語の「一人称」。

2007年04月01日 | エッセイ・日記・意見
一人称(いちにんしょう)とは、人称の1つで、自分自身の事を指す。自称。「一人称複数」と区別するために一人称単数ともいう。

一人称複数とは、自分以外の人を含めて指すが、含める範囲は文脈によって異なる。ただし、相手を含める(包括形)か、含めない(除外形)かを区別する言語も多い。

日本語の一人称単数名詞
日本語は一人称を示す代名詞が大変多いという特徴を持つ。一人称の言葉を場合によって使い分ける事によって、話者と相手の立場関係を示している。このため、誤った一人称の利用はしばしば相手を侮辱する事になる。また、日本語では一般名詞的なので、人称代名詞と一般名詞を区別しない考え方もある。

女性ではあまり見られないが、男性の場合一人称を何にするか悩むことも見られる。これは小学校高学年から中学生くらいまでに顕著に見られ、抵抗のあまり後述の「こっち」、ひどい場合は指差しでのコミュニケーションとなることもあるが、結局多くの場合が「俺」あるいは「僕」に落ち着く。ただし西日本では「わし」が多い。

また、文字で表す場合、平仮名表記、カタカナ表記漢字表記、どれにするかによっても受ける印象は強く変わる。

主に、以下のような多くの種類がある。


普通

私(わたし)
日本人が最も多く使用する一人称である。公の場では自分の事をわたし、もしくはわたくしと言うのが礼儀とされている。ただし、未成年の男子は僕を使う事が推奨されている。女性が常用する場合は「あたし」「うち」とは言わない、ややまじめな女性の言葉とされている。特に創作の世界ではまじめな女性、理知的な女性、おとなしい女性などに使われる。私的な会話では男性はあまり使わないが、創作では非常に真面目で理知的な男性が「僕」の代わりに使うこともある。なお正確には「私」と書いて「わたし」と読むのは間違いである。

私(わたくし)
わたしという表現がさらに改まった表現であり(正確に言うと「わたし」の正しい言い方)、公の場で最も使うべき言葉であるが、改まりすぎていて堅苦しい印象からか「わたし」ほどは使われない(ビジネスなどの場で「わたくしども」という言い方はよく使われる)。なお創作の女性が常用する場合はお嬢様言葉としての使用法や身分の高い女性、学者、詩人など非常に理知的な女性の一人称としての使用法が多い。

僕(ぼく)
主に未成年の男子が使用したり、成人男性が友人や家族の間で使ったりするが、成人男性(特に年配が多い)がビジネスなど公の場で「わたしでは気取り過ぎている」として使用する事が多い。本来は女性が用いることに拒否反応が強いが、漫画等のキャラクターでは少女にも多く使われる(ボク少女)。「ボク」のボにアクセントをつけて読む人と、クにアクセントをつけて読む人がいるが、「ボク」だと幼い印象を、「ボク」にすると青年らしい印象を与えやすい。青年が「ボク」を使うと、多くの場合気弱な性格と見られがちであり、イントネーションには注意する必要がある。ポピュラー音楽の世界では、特にフォークソング・ニューミュージック、ニューミュージックの後継としてのJ-POPの歌詞において多用される。この場合、普段の会話では「僕」を使用しない歌手や、歌手が女性であっても「僕」を使う場合がある。
例外として、二人称で使われる事もある(例:僕、どうしたの?)。その場合、(特に小学生ぐらいまでの)男の子を坊やの代わりに指すのが通例である。
従来、男性の謙称であり、平安時代頃からの文書に見られるが、当時は「やつがれ」と訓じられていた。これを、「ぼく」と読んで、一般的な人称として用いるようになったのは、幕末、吉田松陰に感化された松下村塾門弟が盛んに用い、それが他の尊皇攘夷の志士たちに広まってからといわれる。

自分
体育会系の男性に多いが、非体育会系の男性(内向的でおとなしい・不器用な人が多い)が使う事もある。一般的な一人称の言えない人が使うことが多い一方で、ストイックな印象で軍隊的といわれる一面も。力士や野球選手に多いが、刑事ドラマ「西部警察」で渡哲也が演じた主人公・大門圭介が用いたのは有名で、流行語にもなった。渡自身は基本的に一人称は「私」を使っているが、2006年に缶コーヒージョージアのCM(木村拓哉と共演)で復活。この他にタレントの風見しんごらも用いる。
※ただし関西圏では、相手の事を指して「じぶん」(手前→「てめえ」の用法変化と相似?)と言う事もある。

こっち
一人称が言えない人物が使ういわば一人称の代用品のような言葉。「自分」以上に内向的な用語である。

自分の名前、自分の愛称
芸能人(若い女性アイドルである事が多い)などが、「自分の名前を覚えてもらう」という営業目的で用いる。自分の名前を一人称とする場合は、一般的に親しい相手に用いる事が多いが、営業目的なので初対面の相手や不特定多数に対して用いている部分が異なる。演じている芸能人としてのキャラクターに対する必要性から、自分の愛称を一人称とする事もある。

【自分の方に向かって指を指す】
厳密には一人称というよりは一人称が異様なまでに言えない人物が自分の事を指し示すために取る方法。他にろう者も使う。ただし一人称が普通に言える人物の場合も時と場合によっては使う表現ではある。

親しい場合

俺(おれ)
日本の多くの男性が普段この一人称を使用するが、相手を自らと同等もしくは見下した言い方とされ、公の場では失礼とされるため、わたし、わたくしまたは僕と言わなければならない。私的な場でも「僕」の方を好んで使う男性も多い。鎌倉時代以前は二人称として使われたが、次第に一人称に移行し、江戸時代には貴賎男女を問わず幅広く使われた。明治以降になるといわゆる標準語での女性の使用者はほぼいなくなったが、方言では根強く残っている。他に漫画などのキャラクターでは女性も使う例も多い(俺女)。西日本の使用者は歳を取ると「わし」に移行する事が多い。
参照:おれおれ詐欺

儂(わし)
広島地方を中心とした中国地方で広く用いられる。他に関西、九州など西日本全般や北陸、愛知、岐阜で用いられている。これらの地域では子供や若者も普通に使っている、但し、近年は若い人を中心に俺も使われるようになってきた。俺に代わる男性の一人称。ごく一部の地方では女性が使う場合もあり。例えば愛知の一部では女性の「わし」がよく使われるが、普通の「わし」という言い方というより「わたし」の「た」の音が抜けたような発音である。創作の世界では老人・博士・権力者等(主に男性)が使用する事が多い。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津勘吉も使用。常用している著名人としては小林よしのり、井脇ノブ子、鳥山明が有名。

あたし
わたしのくだけた言い方である。日本の多くの女性は「わたし」かこの「あたし」を使う女性が多いが、改まった場では「わたし」ときちんと発音すべきとされている。又、かつての東京では職人や商人が好んで使い、現代でも落語家が使用する場合もある。男性のオネエ言葉でよく使われる一人称でもある。山口百恵・椎名林檎・CHARA・YUKIなど一部の女性歌手の歌詞に意図的に多用される。女性が複数登場する漫画では、特定の女性のみが使用する場合も見られる(例:『名探偵コナン』の遠山和葉、『スクールランブル』の周防美琴)。

あたい
あたしのさらにくだけた表現であり、主に蓮っ葉な女性が使う。現在では日常では殆ど使用されないが、創作の世界では時々見られる。例としては『おねがいマイメロディ』のクロミや『バンジョーとカズーイの大冒険』のカズーイが使っている。他にかつての鹿児島方言などにも見られた。常用している著名人としてはまちゃまちゃや桜塚やっくんが有名。

わい、わて
近畿など特定の地方で老年者が用いる一人称。わしがなまったものと思われる。近畿でも使用するものは少数だが、漫画作品などで関西弁を喋るキャラクターが出てくる場合、この一人称を使う場合が多い(例としては『ケロロ軍曹』アニメ版のカララなど)。

うち
近畿など特定の地方で女性に用いられる一人称。現在ではギャルを中心とした女子中高生が用いる事が多い(中には姉の影響で小学生で言っている女子もいるようである)。2004年頃から関東でも広まった(なぜ関東まで広まったのかは不明である)。『うる星やつら』のラム、『魔法先生ネギま!』の近衛木乃香(京都出身)や和泉亜子などが使用。男性で使う人もいる。

己等(おいら)
主に地方の男性が使用する。かわいこぶるときに男女とも使用する事もある。常用している著名人としてはビートたけしや西村博之、モーニング娘。在籍当時の矢口真里が有名。

おら
「おいら」から派生し、主に関東以北の男性が使用する。『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけが使用しており、テレビ放送を開始した頃には、真似て使用する子供も多かったが現在ではあまりみられない。『ドラゴンボール』の孫悟空も使用。最近の作品では『犬夜叉』の七宝が使っている。

おい、おいどん
九州、特に南九州地方の男性が使う。通常の会話では、若い男性は「おい」を使い、年配の男性や、戦前生まれの方達の中では、女性でも「おいどん」を使う人がいる。
ただ、創作の世界で使われてる事例の方が多いと思われる。
例:「おいに任せろ!」、「おいどんもそげん思う!」など。
また、君、貴方(貴女)の意味でも使われる。「おい!こら!」は、喧嘩などの威嚇で使われるが、本来の意味は「君、これは何?」である。

うら
北陸甲信越の男性が使う。昔は女性も使っていた。ただし若い世代では使われなくなっている。しかし白山麓などでは今も良く使われている。「おら」の地方変種と思われる。

わ、わー
津軽方言で男女の区別なく使われる。「我」の変化と思われる。

ぼくちゃん、ぼくちん
主に男の子供が使用する。かわいこぶっていたり、ふざけて使う場合がある。『ビーストウォーズ』のワスピーターが使っている。特殊な変型に「僕僕ちゃん」というのもある。

おれっち
「俺」の変型で江戸っ子言葉。石原慎太郎のエッセイによると、江戸っ子は「おれたち」「おれら」という俺の複数称を単数称にも使い、「おれら」が崩れたのが「おいら」であり「おれたち」が崩れたのが「おれっち」であるという。『魔法先生ネギま!』のアルベール・カモミールが使う。

おりゃあ、ぼかぁ、わたしゃ、あたしゃ、わしゃあ、おらぁ
一人称を崩した表現で「ゃあ」や「ぁ」を既成の一人称につけ足す表現がある。かなり崩れた馴れ馴れしい言葉である。

自分の名前
主に未成年の女性や乳幼児期の子供が使っている。使い方は、自分の下の名前(または苗字)をそのまま呼んだり、言いやすくして省略したり(例 あやか→あや)、自分の名前に「ちゃん」や「くん」や「たん」をつけたりするなど、種類は様々である。また、成人の男女が幼児と会話する時に使われる事がある(「○○ちゃん(自分の名前)と遊ぼうか?」など)。「私」や「あたし」を使う女性にとって「自分の事を自分で呼ぶ人は嫌い」と思っている人が結構いるようである。乳幼児期の子供の場合は、母親が呼ぶ略称(例 達也→たっくん)を使う。自分の下の名前で呼ぶ人は東京と沖縄に多く、それ以外の地方には少ない。(ウチナーヤマトグチを参照されたい)
上戸彩が自分の事を、「彩」と自分の名前で呼ぶ癖は有名。篠原ともえ、湯浅卓は苗字である「篠原」、「湯浅」を一人称に使っている。
外国語の場合、英語を含めて欧米の言語では動詞の活用が人称変化したり、人称代名詞の格変化があるといった文法上(文法カテゴリー)の理由から、自分の名前で呼ぶ事はない。一方、東アジアでは特にインドネシア語、ベトナム語の話者によって自分のことを名前で呼ぶことが行われている。

親族呼称
「父さん」「母さん」「姉さん」「兄さん」「じいちゃん」「ばあちゃん」「おじさん」「おばさん」など。家族の間で使われる言葉で、子供や孫を中心に据えて家族の自分の立場を表現する。バリエーションは多彩で頭に「お」を付けたり「さん」の代わりに「ちゃん」を付けたり「父さん」「母さん」のかわりに「パパ」「ママ」、「じいちゃん」「ばあちゃん」の代わりに「じーじ」「ばーば」を使用するなど実に様々である。なお、「お兄さん」「お姉さん」「おじさん」「おばさん」の表現の場合は家族関係でなくても大人が子供に使う表現である。

ミー
英語で用いられているmeを、日本語的な発音で呼称したもの。通常の生活でこの一人称を用いる人は、ごく稀である。テレビアニメ等で、個性的な登場人物(『おそ松くん』のイヤミ、オバケのQ太郎のドロンパ、NHK教育のニャンちゅうなど)が使う事や、ギャグとして使用される場合がある。本来のmeは目的格であり、主格ではないので「ミーは」という使い方は英文法では間違いである。ただし正式な文法をよく知らない者が、Iやmyの代わりにmeを使ってしまうことは、例えばインドで公用語の英語を無理矢理に話そうとする非英語話者などにはよくある。

ビジネス文書

小職、当方(とうほう)
話者本人及び、話者の属している場所、団体などを含めて言われる場合が多い。ビジネスなど、比較的改まった場で使用される。

職業

先生
小・中・高校で教師が児童・生徒に対して使う一人称。特に小・中学校において「私」「僕」ではなく「先生」を使う教師が多い。たまに苗字を含むときもある。

本官
警察官、士官、裁判官、事務次官等の官職にある者が自分を指す言葉。『天才バカボン』のおまわりさんが使うので有名。現在は殆ど使用されていない。

本職
弁護士や弁理士、司法書士等が自分を指す言葉。「当職」「小職」という場合もある。前記警察官等の官職にある者も使う。職務を遂行している立場としての「自分」を指すので、もっぱらビジネス文書や報告書等で用いられる。ここでの「職」は「(利益追求のためではなく)社会正義や公に益するための職(≒公僕)」というニュアンスを持つため、教職員や正義感の高いマスコミ関係者が使うこともあるが、例えばセールスマンが使うのは相応しくない。

編集子(へんしゅうし)
新聞、雑誌記事にて、署名以外にも、編集者の自称として用いられる一人称。

趣味

当局(とうきょく)
アマチュア無線家同士の会話や文書で使われる。二人称は貴局(ききょく)と言う。

古風

我輩、吾輩(わがはい)
夏目漱石の『吾輩は猫である』など。
現代では、主に創作の世界で悪役のボスが使う事が多い。例としてはマリオシリーズのクッパ、キテレツ大百科のコロ助、ゼンダマンのニャラボルタ、『ハリー・ポッター』シリーズのセブルス・スネイプ教授(彼もこの一人称であることが疑問視されている)や『ケロロ軍曹』のケロロ軍曹が使用。常用している著名人としてはデーモン小暮閣下が有名。

某(それがし)
過去に武士が使用していたとされる。

朕(ちん)
かつて中国の古代において使われていたが、始皇帝が皇帝のみ使用できる一人称として独占した。それをならい日本においても天皇が詔勅や公文書内における一人称として使った。戦後、公式文書やお言葉の中から朕の使用は徐々になくなり、今上天皇明仁はわたしを使用する(ただし戦前においても朕は文書上で使われたのみで昭和天皇なども口語ではわたしを使用していた)。朕には「兆し」という意味がある。

麻呂・麿(まろ)
古代の日本において男性名に使われていたが(柿本人麻呂、坂上田村麻呂など)、平安時代以後一人称として使用されるようになり、身分や男女を問わずに用いられた。現代では、主に創作において公家が使う。

我・吾(われ・わ)
文部省唱歌の『我は海の子』など。
現代では、創作の世界において人智を超えた存在・人ならざる者が使用する場合が多い。ただし「我が家」・「我が国」のように、”私の~”という意味の言葉ではしばしば用いられる。現在、関西圏ではニ人称にも相当する。

余・予(よ)
平安時代以後使用されるようになった。現代では、主に文書や演説などで用いられる他、創作の世界において王またはそれに準ずる地位の者が使用する場合が多い。『大長今」』では王が自分の事を「余」と言っており、『暴れん坊将軍』では「余の顔を見忘れたか?」と使われていた。

小生(しょうせい)
男性が自分を遜って使う。現在でも手紙などの書面では使われている。『∀ガンダム』のギム・ギンガナムや『ヤットデタマン』のジュリー・コケマツ、「名探偵夢水清志郎事件ノートのカマキリ部長などが使用。

愚生(ぐせい)
手紙などの文面で、男性が謙称として使用する場合が多い。

あっし、あちき
主に庶民に多く使用された。
かつて、様々な地方から集められた芸者達が、お国訛りを隠すために使用した「廓言葉」における一人称。さらに訛った「あちし」というのがあるが、これは時代劇などフィクションの中でのみ用いられる。現在でも、一般的な一人称の言えない人(のうち、主に女性)が使う。

妾(わらわ)
女性が自分のことを謙って使う。
創作の世界で女王、王妃またはそれに準ずる地位の者が多用する。蛇足ながら、「妾」という漢字は「めかけ」「わらわ」両方の語に当てられるが、当然「めかけ」(正妻以外の妻)と「わらわ」(高貴な女性の一人称)とは別の語である。

拙者(せっしゃ)
主に武士が自分のことを謙って使用した。僧侶の場合「拙僧」になる。
現代では、創作の世界で侍や忍者が使用する事が多い。『るろうに剣心』の緋村剣心などが使用。常用している著名人としては波田陽区(ギター侍)が有名。

身ども(みども)
武士階級で、同輩か同輩以下に対して使われた。

僕(やつがれ)、手前(てまえ)
現在でもビジネスなどで「手前ども」といった形で「こちら」の代わりに使用される。

乃公(だいこう)、此方(こなた)、あて
京都で男女ともに使われていた一人称。

傲慢

俺様(おれさま)
日常でこの一人称を使う人間は少ないが、主に創作の世界(特に児童文学)で悪役のボスが使ったり(例としては『アンパンマン』のばいきんまん、『かいけつゾロリ』のゾロリなど)、漫画などで自信家のキャラクターがこの一人称を使う事がある(『ドラえもん』のジャイアン、『のだめカンタービレ』の千秋真一が時々使用、『はじめの一歩』の鷹村守、『テニスの王子様』の跡部景吾、『轟轟戦隊ボウケンジャー』の高丘映士(ボウケンシルバー)など)。『ハリー・ポッター』シリーズのボスキャラであるヴォルデモートが、邦訳版でこの一人称にされているのは疑問の声が多いが、日本語の場合彼のイメージに合う一人称がないために、「私」や「俺」よりも適しているとの声も少数ながらある。

あたくし
口語でこの表現を使う者は少ないが、ブログや手紙などでたわむれにこの一人称を使う女性はいる。フィクションでは傲慢・高飛車な女性にこの一人称を使わせることがある。

特定の作品の中で使用

僕様ちゃん(ぼくさまちゃん)
小説『戯言シリーズ』の登場人物である玖渚友が使う一人称。

己(オレ)
沙村広明『無限の住人』のキャラクターや、須田剛一ディレクション作品『シルバー事件』の24署凶悪犯罪課の刑事たちの一人称。「オレ」とカタカナで表示するのが正しい。ちなみに鋼の錬金術師のスカーは、「己れ」と書いて「オレ」と読む。

俺ちゃん(おれちゃん)
『銀河旋風ブライガー』のボゥイが使う一人称。とはいえネット上で検索すると結構使っている例が散見される。

おで
『県立海空高校野球部員山下たろーくん』の主人公である山下たろーが使う。他の作品にも使用例はあるが(鋼の錬金術師のグラトニーなど)共通しているのは少々、オツムの足りない人物が使う例が多い。また、原哲夫原作の絵本『森の戦士 ボノロン』の主人公であるボノロンが使う(正式な表記はカタカナの「オデ」)。

うぉれ
『女神転生デビルサマナー』のマッド系の敵が使う。

おじさん
銀魂のキャラクターの松平片栗粉が使用。
同人ゲームひぐらしのなく頃にのキャラクターの園崎魅音がたまに使う。

他言語の一人称
中国語(繁体字) - "我", "我們"(聞き手を含まない「私たち」),"咱們"(聞き手を含む「私たち」)
英語 - "I", "we"
ドイツ語 - "ich", "wir"
フランス語 - "je", "nous"
スペイン語 - "yo", "nosotros"
ロシア語 - "я", "мы"
など。

ヨーロッパで用いられている言語の多くでは、単数と複数の2種類しかなく、日本語と対比するとかなり単純である。

言語によっては、一人称複数において、聞き手を含むかどうかで異なる形態を用いるものがある。聞き手を含む場合を包括的一人称複数、含まない場合を排他的一人称複数という。たとえばベトナム語においては、聞き手を含む場合に "chúng ta" を、含まない場合に "chúng tôi" を用いる。


一人称と二人称
日本語では、一人称が二人称に転用される事が多い。例えば、「自分」は関西地方の一部でもっぱら二人称として用いられているが、現在では他の地方でも用いられる事が多くなっている。東北地方の一部では「我(われ)」が短縮したもの(又は「我」の古い言い方)と思われる「わ」が一人称としても二人称としても用いられている。

ちなみに、古くは一人称に用いられていたと思われる「手前(てまえ)」が訛った「てめえ」は、現在では相手を罵るときに用いられる言葉になっている。



本当に「日本語」は「一人称」の多い言語である。日本人に生まれて良かった。一から、「日本語」を勉強するより、「英語」を勉強する方が楽?だから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする