吉本興業が法的措置を検討
吉本興業(大阪市)は九日、創業家当主の林マサさん(63)が週刊新潮に発表した告発手記について「事実無根であり、重大な名誉棄損」とし、法的手段も検討していると発表した。
林さんは二〇〇五年に亡くなった前会長の妻。手記は四月五日号と同月十二日号に掲載された。所属タレントの中田カウスさん(57)が指定暴力団との交際を背景に吉本興業の経営に影響を及ぼしたなどとしているが、同社は「そのような事実はなく、『告発手記』記載事実のほとんどが虚偽」とした。
林さんの代理人は「手記の事実関係には百パーセント自信を持っている」とコメントしている。
またファンを騒がせたとして、吉本興業の特別顧問を務めるカウスさんから退任の申し出があり、同社は九日付で受理した。(ディリー・スポーツより引用)
大崎 洋(おおさき ひろし、男性、1953年7月28日 - )は吉本興業株式会社副社長、プロデューサー。大阪府出身。
来歴・人物
1978年に関西大学社会学部卒業後、吉本興業に入社。以後エンターテインメントビジネス界において様々なプロジェクトを成功させた。特に1980年に上司であった木村政雄と共に東京支社(当時は東京事務所)に転勤をし、漫才ブームの時代を支えた。
吉本所属タレントの中でも、特にダウンタウンとの関わりが強く、吉本総合芸能学院(NSC)開校時の担当社員となり、無名時代の二人の兄貴分・マネージャー的存在として業界のイロハを教える。その後は大阪で人気が爆発したダウンタウンを東京進出させる(松本人志は「大阪で満足してたが、遠くて近い外国・TOKYOに無理やり移住させられた」とネタにしている)、彼らメインの番組にはプロデューサー・オーガナイザーなどとして参加し、ドッキリの仕掛け役としてテレビ出演する事もあった。松本は大崎に対するエピソードとして「女湯のぞき事件」「メガネに○○事件」「プール潜水事件」など多数あり、二人が公私共に親密だった事を伺わせる。
2007年には山口組組員に恐喝されるという事件に遭遇している。(週刊現代がスクープ。これによると創業者一族の林(元会長林正之助(故人))家が差し向けたとの事である。)
経歴
1978年 吉本興業株式会社に入社
1982年 吉本興業東京支社から大阪の吉本総合芸能学院の担当社員へ異動
2000年 株式会社ファンダンゴの取締役に就任
2001年 吉本興業の取締役、株式会社アール・アンド・シーの取締役に就任
2002年 有明スタジオ株式会社の取締役に就任
2006年 吉本興業の取締役副社長に就任
中田カウス・ボタン(なかたかうす・ぼたん)は、漫才コンビ。吉本興業大阪所属。コンビ結成は1969年3月。
なんばグランド花月劇場(NGK)で大トリをとる大御所である。
略歴
二人の出会いはカウスがアルバイトをしていたバーの常連客がボタンであった事から。日に日に仲良くなった頃カウスからボタンを誘いコンビ結成。
その後は遊園地やストリップ劇場などで漫才を披露。漫才・ネタの特徴としては、カウスの、ボタンの私生活や過去を引き合いに出しておちょくる(からかう)ようなボケと、それに対するボタンのノリツッコミ。漫才師はコンビで揃いのスーツを着ることが定番だった時代に、はじめてジーパンとトレーナーで演じたことで有名。
若手の頃はアイドル並みの人気を博した。ネタ作りも当時の女子高生にウケるネタを研究して作るなど、若者にターゲットを絞った漫才を発表し続ける。現代では当たり前のように存在するアイドル漫才師のパイオニアと言える存在であった。
メンバー
中田カウス(なかたかうす、本名:野間 勝道、1949年6月29日 - )
ボケ担当。愛媛県今治市(旧越智郡伯方町)出身。2002年からM-1グランプリ決勝戦の審査員を務めている。予選からずっとチェックしており、2005年は1回戦から舞台袖ではなく、客席側からチェックしているのが目撃されている。
ひょうひょうとした語り口でボタンに毒舌を吐くのが特徴。「悪戯の帝王」の異名を持ち、ターゲットになった芸人は浜田雅功から人生幸朗まで幅広く、ターゲットとして一番狙われたのは坂田利夫である。
故横山やすし、オール巨人、チャーリー浜と並ぶ弟子育成の厳しさで知られるが、私生活のだらしなさから「弟子には厳しいが自分には甘い」と非難を受けることもある(借金問題が表面化し、芸能活動を自粛する事態に追い込まれた時期もある)。
投機で成功した時期があり、その頃は『金持ちで真っ当な』カウス、『貧乏で犯罪者チックな』ボタンというパターンでボケを担当していた。現在でも、『金持ち』は抜いたが、真っ当そうに見えて不思議なボケを使う。
芸人論には一家言ある。1980年代後半に上岡龍太郎を中心として『楽屋を垣間見せる』という演出が多用されたが、『芸人が見せてはいけない部分』と論じて、痛烈に批判した。
ビートたけしとも親交が深く、たけし司会の番組でしばしばゲスト出演する。カウスは「おじさん」とよび、たけしは「あんちゃん」と呼び合う仲。
2004年に桂三枝・笑福亭仁鶴・西川きよしら年上の芸人を押しのけ初の吉本興業特別顧問に就任(2007年に同職辞任)。
中田ボタン(なかたぼたん、本名:藤長 明、1948年4月12日 - )
ツッコミ担当。香川県小豆郡出身。若手時代はアイドルタレント並みの人気があったが、私生活上で主に借金や逮捕を原因とした様々な伝説(借金を完済し、暫くは借りる必要がなかったのに、今後の『張り』のためにわざわざ会社から借金をした、など)を形成。結果としてその多くが今日のネタの基となっている。
1988年10月27日、同年4月23日に大阪府藤井寺市内で山口組系暴力団の開いた賭博に客として加わっていた事がわかり、賭博容疑で逮捕された。ボタンは容疑事実を全面的に認めたため同日夕方釈放されたが、しばらく謹慎処分となった。ここから、謹慎処分で借金漬けのボタンを、裕福なカウスが笑う、というパターンが生まれた。
あまりの借金伝説のため、かつて明石家さんまが、斉藤由貴の「卒業」の歌詞「制服の胸のボタンを~」を「生活苦の中田ボタンを~」と替え歌で歌っていた。
漫才のネタでは「嫁さん」と「奥さん」が一人ずついるらしい(カウス談)
また若手の頃浜田雅功はボタンのツッコミを舞台の袖から見て勉強していた。
中田カウスのイタズラ伝説
毛布事件~ある日の飛行機で人生幸朗と乗り合わせたカウスは、人生幸朗が寝ているスキに飛行機に備え付けてあった毛布を人生幸朗のカバンの中へこっそりと入れた。その後、深夜3時頃に人生幸朗宅へ「航空会社の者ですが、うちの毛布が無くなったのですが…」という電話を入れる。「こんな時間に相手を誰だと思って電話してるんだ!」と怒った人生師匠だが、カバンの中を調べると本当に毛布が入っており、一転して平謝りしだした。
メガネ赤塗り事件~昼寝中の人生幸朗のメガネのレンズを赤のマジックインキで塗りつぶし、カウスは耳元で「火事や!」と叫ぶ。目を覚ました人生幸朗は目の前が真っ赤な上に強度の近眼だったので何がなんだか分からず、慌てふためく一方だった。
浜田縛りつけ事件~素っ気無く漫才をしていた浜田雅功を舞台の淵にガムテープで縛りつけ、次の自分たちの出番までそのまま浜田を放置した。
首吊り事件~当時住んでいたアパートにあった木に、深夜にこっそり縄をくくりつけ、マネキン人形の首をそれに引っ掛けておいた。暗闇の中からそれを見たアパートの管理人は腰を抜かし、庭にあった池へ落ちてしまった。
今いくよ・くるよ事件~テレビ局のプロデューサーを装い、今いくよ・くるよに「一生懸命に漫才の稽古している姿を撮りたいので、正月海辺で晴れ着を着て稽古していて下さい。」と電話。実際に晴れ着で稽古をしていたいくよ・くるよを船に乗って見て笑っていたという。
ホテルプラザ花火事件~かつて大阪福島の朝日放送横にあったホテルプラザの一室で愛人と花火を打ち上げスプリンクラーと非常ベルが作動し大騒動となった。
師匠
師匠に付かずに独自の活動をしていた頃、カウスのアルバイト先のバーに客として現れた中田ダイマル・ラケットと親しくなり劇場に招待される。劇場での中田ダイマル・ラケットの姿に感動し弟子入りする事になる。
一般に中田ダイマル・ラケットとされるが、正しくはその弟子の中田アップ。前名の中田チャック(相方は中田ファスナー)時代に吉本の専属になり、道頓堀角座のトリから外された師匠を憂い、師匠を吉本に移籍させた張本人。相方は中田ダウン。既に引退。
あまり有名でないためか、通常カウス・ボタンの師匠は大師匠で名付け親でもあるダイマル師とされている。ボタン自作HPでも、師匠はダイマルと明記されている。
レギュラー番組
バラエティー生活笑百科(NHK総合)
痛快!エブリデイ(関西テレビ) - 中田ボタンのみ
M-1グランプリ(朝日放送) - 中田カウスのみ
中田カウスのお笑い110番(ラジオ大阪)
受賞歴
1971年第6回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 新人賞
1972年昭和46年度 第2回 NHK上方漫才コンテスト 最優秀話術賞
1990年第25回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 奨励賞
1990年第19回 上方お笑い大賞(読売テレビ) 審査員奨励賞
1991年第26回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 大賞
1995年第24回 上方お笑い大賞(読売テレビ) 大賞
2001年第36回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 大賞
2005年第40回 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 大賞
(Wikipediaより引用)
「芸人さん」は明日売れなくなるかもしれない・・・という危機感を常に持っている。過去にも野球賭博・お酒などで表舞台から消えていった「芸人さん」を何人も知っている。スポットライトを浴びている時はいいが、転落し始めると人が変わったりする事もある。「お笑い」の大好きな僕はこの騒動が少しでも早く収まって欲しいと思っている。
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