お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「ダッコちゃん」と同い年。

2007年04月21日 | エッセイ・日記・意見
ダッコちゃんは1960年(昭和35年)に発売された空気で膨らませるソフトビニール人形の愛称。またそのモチーフとなったキャラクター。

商品概要
1960年に単なる玩具の一種として、宝ビニール工業所製造により発売された。製造工場は横浜市泉区内。当初の正式名称は「木のぼりウィンキー」である。発売元はツクダ屋玩具であり、空気で膨らますビニール人形であった。真っ黒な人型をした本商品は両手足を輪状にしており名前の通り、なにかにつかまるようにぶら下がる(コアラの木にしがみつくポーズと同じ)ことが可能だった。価格は当時180円。腰蓑をつけた黒人のように見えるその姿は極限までディフォルメされており、非常にシンプルな形状だった。


ブーム
1960年7月に発売されて以降若い女性を中心にブームの兆しが起こった。ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」という愛称が与えられた。テレビに登場した結果ブームに火がつき、注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという。1960年末までに240万個が販売される大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所が株式会社タカラ(現:タカラトミー)となる基盤をつくった。


ブームの影で
製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通した。本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった。それでも偽物は減らなかったが、皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった。


ブームその後
製造元のタカラはその後社標をダッコちゃんをデザインしたものに変更し、テレビCMのキャッチフレーズにも「ダッコちゃんマークのタカラ」と知名度を前面に掲げたPRを行なった。またソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発され、販売された。しかしまもなくブームが沈静化しほとんどの商品は販売を停止した。1975年(昭和50年)に創業20周年を記念して復刻版が登場したが、かつてのようなブームにはならなかった。

1988年ころに、黒人差別論争が活発化し漫画やアニメなどのステレオタイプな黒人の描写が差別的であるとしてさまざまな出版社や制作会社が自粛を決定した。その論争のなかに「ダッコちゃん」も加えられ、成型色を変えるなどの対策をとったものの、まもなく製造販売が停止されている。社標であったダッコちゃんマークも1990年(平成2年)に変更されている。1997年にも子会社が色を変えて販売したが、腰みのや唇が差別的だったせいかすぐに抗議がきたため販売を取りやめた。

2001年に「だっこちゃん」の名で復活している。その際には腰みのや唇などの人種差別的なパーツを取り払い、代わりにしっぽがついた。設定も「くっつきたい、触れ合いたい、という人間本来の心から生まれた架空のキャラクター」というものに変わり、色も黒のほかピンクやブルーなどが用意された。 その後、カブトムシやドラえもんなどのキャラクターでだっこちゃんの仕組みの玩具ができた。



「ダッコちゃん」も九月で47歳。インターネットで調べてみたが、「ダッコちゃん」は現在売っていないようだ。
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「番組を放送する」のも「モノを売る行為」である。

2007年04月21日 | 本・雑誌・漫画
失礼ながら、その売り方ではモノは売れません

亜紀書房

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商品の説明
失礼ながら、その売り方ではモノは売れません
著者は、20年以上の長きにわたり車販売の世界に身を置き、トップセールスの道を歩み続けてきた。ホンダ、BMW、フォルクスワーゲングループと転身する中、マネジメントの分野でも才能を発揮。支店マネジャーなどを経て、2003年にはビー・エム・ダブリュー東京の代表取締役に就任。そして今年5月、ダイエー代表取締役会長兼CEO(最高経営責任者)に就任し、世間を驚かせた。
本書では、販売一筋に歩んできた自らの道を思い起こしながら、すべての商売の基本となる「モノを売る」ことについての哲学や独自の方法論を説いたもの。販売マニュアルではなく、あらゆる仕事に通じる顧客への愛情や、同僚や部下に注ぐべき信頼の必要性などについて力強く助言する。マーケティングだけではモノは売れないと言う。マーケティングでつかめる大局的な潮流と、一つひとつ異なる顔を持つ顧客のニーズは必ずしも一致しない。個別の商品の売れる売れないは「神のみぞ知る」だと言い、顧客の生活や思いを自らの目と心で確認していく労を惜しむなと助言する。また、長く男性社会で働いてきた経験から、台頭する女性たちに「細やかであることは、大事に目がいかないことでもある」など、厳しくも温かいエールを送る。



「心でモノを売る」・・・素晴らしい。「心でテレビ番組を作り、放送する」・・・「心の優しさ」を持った人間と「恥」を知る人間が「テレビ界」に必要だ。きっと。


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「かまぼこ板」に絵を描くコンテスト。

2007年04月21日 | エッセイ・日記・意見
■ごみを作品に変える展覧会 

 愛媛県西南部に位置する城川町は、山林が8割以上という典型的な中山間地である。愛媛県最大の河川肱川の源流にあり、伊予の国のもっとも奥まったところにあることから「奥伊予」と称される。

 平成7年、この町にある町立美術館「ギャラリーしろかわ」から全国に向けてユニークな文化発信が行われた。全国「かまぼこ板の絵」展覧会である。この企画は、普通なら食べ終えたあとごみとして捨てられる運命の「かまぼこの板」をキャンバスにして絵を描いてもらい、その作品を展示し、文化の交流を図ろうというもの だ。



■「絵は何にでも描けるんですよ」-ここから「かまぼこ板の絵展覧会」が生まれた 

 全国「かまぼこ板の絵」展覧会のきっかけになったのは、平成6年6月、ギャラリートークの講師・折笠勝之さんから「絵はなんにでも描けるんですよ」とプレゼントされた5枚のかまぼこ板の絵。

 折笠氏の講演を聞いた館長補佐浅野幸江さんは考えた。「かまぼこの板は森林の間伐材から作られる。城川町の間伐材が宇和島・八幡浜などの愛媛県産のかまぼこの板として使われ、全国に届けられているはず。ごみとなるかまぼこの板を作品としてよみがえらせ、城川町に里帰りしてもらおう」。折笠さんのかまぼこ板の絵から得たヒントが、城川町からの小さな文化発信として、小さなかまぼこ板1枚から広がる100万人との出会い-1万人の美術展への夢へと膨らんでいった。



■1万点もの作品が集まる 

 折笠さんの講演の翌年、浅野さんほか3名のスタッフが、かまぼこの板の絵展覧会を企画・運営することになった。スタッフは、展覧会を知ってもらうために、新聞、テレビ、ラジオなどのマスコミを通じて懸命に全国に売り出した。

 全国に売り出すために、「絵は心の手紙です」と題した手紙調のメッセージで「かまぼこ板の絵でお返事下さい!」と応募を呼びかけた。また、自分たちで「天使に出会ったかまぼこ板」というかまぼこ板第2の人生物語を創作しラジオ等で宣伝したりした。こうした物語や手紙と共に、「かまぼこ板の絵」展覧会は全国に広まっていった。

 当初300点集まるかどうかと思われていた作品は最終的に1万点以上に。小さな町からの小さな文化発信は、全国にこだましたのである。



■感動の作品を生む厳しい審査

 平成7年に始まった展覧会は今年で9回目を数えた。単に回を重ねるだけでなく、応募作品数は増え、作品のレベルも着実に向上している。展覧会を見に来た人々は、「小さなかまぼこ板にどうしてこんなスケール豊かな絵が!?」「こんなていねいな美しい作品が!?」と感動する。この感動が「かまぼこ板の絵」展覧会の人気を支え、全国から毎年3万人を超す人々を集めている。

 人々を感動させる作品が生まれる背景には、厳しい審査員の目がある。現在の審査員は富永一郎氏を審査員長に、車だん吉氏、折笠勝之氏他の5人。審査員は、体育館にずらりと並ぶ2万点を越える全作品ひとつひとつに目を通す。一次審査からプロがかかわることで、本物を見出すことができるのだ。子供の絵で親が手伝ったものや絵画教室の先生が最後に手を加えている作品があっても審査員はそれを的確に見抜くという。

 これほど大量の作品を審査員がこれほど丁寧に見る展覧会は全国でも少ないだろう。この厳しくて、深くて、そしてあったかな審査員の目が、人を感動させる作品を引き出す力になっているに違いない。



■応募者一人ひとりを大切にする心配り

 「3年もすると応募数も落ち着くだろうと思っていたら、どうして、逆に年とともに増えている」と富永一郎さんも不思議がる人気の秘訣の一つに、応募者を大切にする心配りが挙げられる。作品が届くと応募者にお礼の手紙を送り、全ての応募作品を展示しているのだ。作品の返却を希望する人には感謝の手紙と共に返却している。

 城川町に全国から届けられる「かまぼこ板の絵」という「心の手紙」。それら一つ一つに対して、「ありがとう」の気持ちが一杯込められたお礼状が返信される。城川町の個性と文化が生み出した全国「かまぼこ板の絵」展覧会は、これからも多くの人々に感動と元気を与えて続けてくれることだろう。

※平成16年4月1日に、明浜町、野村町、城川町、宇和町、三瓶町が合併し西予市となりました。取材は平成15年度に実施しているため旧町名を使用しております。http://cpmserv.cpm.ehime-u.ac.jp/sirokawa/index2.html



身近なもので、何かを創る事は良い事。DSやPSP等、企業が作ったもので遊ぶのはもう止めて、周りを見回して、「自分の感性」で「遊ぶもの」を見つけよう。
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「速弁」を知ってますか?

2007年04月21日 | 料理・飲み物・食べ物
数年前からブームになっている「空弁」。ご存知、空港のみで販売されている限定弁当のこと。そんな空弁ブームに続く新たなブームとして、じわじわ人気を集めているのが「速弁(はやべん)」だ。

速弁とは高速道路のサービスエリアでのみ販売される限定弁当。高速道路の「速」と弁当の「弁」を組み合わせたネーミングだ。去年11月から販売を開始しており、東名高速道路・上郷SA(上下)、名神高速道路・養老SA (上下)、北陸自動車道・南条SA(上下)の計6カ所で取り扱っている。

速弁を売り出したNEXCO中日本によれば、
「『中日本のごちそう ~いい旅に、いいお弁当~』をコンセプトに、料亭様などの協力を得て、地場の食材を活かし、季節感を演出したちょっと贅沢なお弁当となっています。シニア世代の女性を意識し、目・舌ともに楽しんでいただけるように、少しずつたくさんの種類のおかずの入ったお弁当となっております」
とのこと。いずれのお弁当にもお品書きがついており、「細かなところまで気持ちが込められている」といった声も多く寄せられている。

「ゆくゆくは、速弁があるから『あのサービスエリアに寄ろう』となるように、サービスエリアの目的地化の一助になるような、速弁ブランドを育てて行きたいと考えております。旅行などの“ハレの日”に、観光地などに行って景色を見ながらゆっくり食べる速弁、というスタイルでお召しあがりいただければと思います」
お土産品として買って行く人もいれば、わざわざ速弁を求めてサービスエリアに立ち寄る人も増えているそうだ。

現在のところ、弁当は6種類。上郷SAでは、「料亭女将弁当『花舞』」(2,100円)、「若女将手習い弁当『つぼみ』」(1,680円)、養老SAでは「芭蕉水御膳~美濃の冬味~」(1,780円)、「養老長寿の健脳弁当」(1,440円)、南条SAでは「越前宝膳」(3,000円)、「福楽味膳」(2,500円)をそれぞれ販売している。なかでも人気があるのが「越前宝膳」なんだそう。

NEXCO中日本では、今後、販売個所を増やしていきたいと考えているそうで、春ごろには関東方面のサービスエリアで発売できるよう検討中なのだとか。ドライブの新たな楽しみとして、今後ますます人気がでそうな速弁。ぜひ一度お試しあれ。
http://www.c-exis.co.jp/hayaben/



「弁当」って、旅のスタートとか途中でワクワクしながら、選ぶもの。旅の楽しみの一つだ。学校で教科書を立てながら、「弁当の時間」の前に「弁当を食べる」のは「早弁」。こちらは先生に見つからない様にドキドキしながら食べた。
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「もったいない」を提唱した女性の自伝が出版された。

2007年04月21日 | 本・雑誌・漫画
UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝

小学館

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出版社/著者からの内容紹介
「もったいない」を世界に広めた女性の自伝
2004年環境分野の活動家としては史上初のノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさん。「もったいない」という日本語に感銘を受け、国連女性地位委員会の出席者でその言葉を唱和したことで日本でも広く知られているが、本書はそのマータイさんの激動の半生を綴った初めての回顧録。ケニアの農村に生まれ、女性に教育は不要とする周囲の反対を押し切り、政府留学生としてアメリカへ渡り、そこで人種差別を目の当たりにして人権運動に目覚める。帰国後ナイロビ大学助教授に就任するも、独裁政権下で投獄された経験も。度重なる苦難にも「へこたれない」不屈の姿勢でアフリカでの植林活動や女性の地位向上に努める。翻訳を担当するのは前環境大臣でマータイ氏とも交流のある小池百合子氏。たくましくも地球にやさしいマータイさんの姿が行間から浮かび上る。

内容(「MARC」データベースより)
夫との別れ、数度の投獄、選挙への立候補へのいやがらせ。多くの困難に直面しながらも、好奇心と信念により乗り越えてきた-。日本人が忘れかけていた「もったいないの心」を世界に発信したマータイさんの不屈の半生。



日本のトイレの「流すボタンに『大』と『小』がある」と彼女が来日した際、感激したと聞いた。総合商社に勤める同窓生が先日の同窓会で言っていた。「近い内に、日本の子供たちの学力は多くの国に抜かれる」と。彼は今、世界中を飛び回って外国の現実に直面している。あの「湾岸戦争」の時、アラブの国に赴任していて、「ブルドーザー」を売っていた。銃弾の飛び交う音が聞こえるのは日常茶飯事だったそうだ。お得意のメーカーさんを先に避難させて、商社マンの彼は最後に帰国した。日本人も「世界の現実」をもっと把握するべきだと思う。
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「マッスルシアター」渋谷に今日オープン。

2007年04月21日 | エッセイ・日記・意見
マッスルミュージカル(筋肉ミュージカル/MUSCLE MUSICAL)は、TBS系のテレビ番組筋肉番付の関連企画として2001年から上演されているミュージカル公演である。2005年春よりフジテレビ系列でバイキングプロジェクトによる新番組「海筋肉王 ~バイキング~」が開始され、マッスルミュージカルもこの番組のプロジェクトの1つとなった。プロジェクトには、年2、3回放送されるアスレチック系特番「バイキングスペシャル」も含まれる。 ※2006年より「海筋肉王 ~バイキング~」は「バイキング」に改称。

概要
発案者は照英とされているが、それは開始当初の番組「ケイン・ザ・マッスル」内の演出。 実際は筋肉番付等のスポーツ系番組制作で有名なプロデューサー、樋口潮氏が生みの親。 と言われているが、番組スタッフの発案であり、経費が掛かりすぎると反対していたのは樋口潮である。 取り敢えずは、一回だけの試験企画として開催したら好評を博したので、企画を拡大させた。 第二回の赤坂アクトシアターの公演中に「筋肉番付」収録中に出場者の腰椎損傷の大惨事を起こしたが 樋口潮プロデューサー本人は、収録現場に立ち会わず、「マッスルミュージカル」の公演現場に居た事が 判明して非難が集中した。 また照英は1回目の座長であったが、あまりにも何も出来なかった為、2回目以降は池谷直樹に交代している。

構成・演出・振付は中村龍史によるブックレスミュージカルであり、レビュー形式を取っている。一般的なミュージカル公演と異なり、出演者による歌のシーンはほとんどない。http://www.musclemusical.com/theater_map.html



樋口潮は、「筋肉番付」で重大事故を起こしておきながら、同じ様な番組を「SASUKE」とか・・・「番組名」を変えて作り続けてきたプロデューサー。一つ間違えば、人の命に係わる番組を作っているのは許せない。それは「テレビの傲慢」だと思う。


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「MC」とは?

2007年04月21日 | テレビ番組
司会(しかい)はテレビやラジオなどの番組や舞台、宴会、結婚式など、衆目の中でのイベントの進行を司ること、あるいはその人。司会する人を特に司会者という。スーツを着ることが多い。司会者は、ニュースなどの場合はキャスターとも呼ばれ、ラジオ番組の場合はディスクジョッキー(DJ)やパーソナリティとも呼ばれる。

アナウンサーからの転身が多く、フリーアナウンサー若しくはタレントの肩書きで活躍している。

放送や音楽の分野ではMC(エムシー、master of ceremony の略)と呼ばれ、番組の進行役として話すこと、あるいはその人を指す。またコンサートなどで、演奏者が曲の繋ぎに話をすること、あるいはその時間を、特にMCと呼んでいる。(例: 歌手○○のMCは面白い。○○のコンサートは歌よりもMCが多い。この曲の後にMC入れましょう。)



今日、電車に乗っていたら、島田紳助の「テレビ朝日」の新番組ポスターが吊るされていて、その表記に「MC 島田紳助」という表現があった。MCの意味を一般の人(テレビ業界以外の)が分かるのかなぁ~という単純な疑問が湧いてきて、調べた。
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「モートン病」と診断された。

2007年04月21日 | 病院・薬・病気
モートン先生が、趾神経(足の指の神経)が中足骨骨頭によって圧迫されて起こる障害を報告して以来、モートン病と呼ばれるようになりました。

原因はハイヒールの使用や窮屈な靴での長時間の作業、スポーツ活動によって足の指が過伸展(過度に伸ばされる状態)を強制された結果、総底側趾神経が横中足靭帯により圧迫れて発生します。中年の女性に多く認められます。すべての趾間(足の指と指の間)に発生しますが、特に第3趾と第4趾の間によく認められます。

症状は痛みとシビレです。痛みは締めつけられる様な、刺す様な、焼ける様な痛みだと訴えられます。これらの症状は長時間の立位や歩行、スポーツ活動によって増悪し、休憩すると軽快します。さらに進行しますと夜間痛を訴えられます。

治療は、足部に圧迫感をもたらさない様な靴を指導します。痛みに対しては短期間の非ステロイド系抗炎症剤を処方します。リハビリテーションとしては温熱療法や筋力強化訓練を指示します。頑固な症例ではステロイド局所注射を試みます。再発を繰り返す症例では装具療法として足底板を処方します(中足骨骨頭部に圧迫がかからないような靴底を着用させます)。

これらの保存的治療(手術しない方法)にて改善が得られない症例では手術的治療を検討します。手術は総底側趾神経を圧迫している横中足靭帯を切離し、癒着している神経を剥離、切除します。



歩くとき、両足ともに、3番目と4番目の指の付け根裏に電流が走ったような痛みがあります。あまりに痛いので病院に行ったところ「モートン病」と診断されました。痛み場所に注射をしましたが、効果はありませんでした。」
●耳慣れない病気ですが?
足指の付け根から足の甲にかけて5本の中足骨という骨があります。これに挟まれた神経が麻痺し、しびれたり、痛くなったりする病気で、米国の医師の名前から名付けられました。『モートン(モルトン)神経腫』とも呼ばれます。3番目と4番目の指の間が最も多く、ついで2番目と3番目の間に見られます。女性に多い病気です。
●原因は何ですか?
神経麻痺の原因はいろいろありますが、モートン病の場合は、神経が長い期間、圧迫されたり締め付けられたりして起これります。こぶ(神経腫)が出来ることもあります。体には、神経が痛めつけられやすい場所がいくつかあります。aたとえば、骨で出来たトンネルのような部分や、骨と靱帯の狭い隙間などで、足の指の付け根はその1つです。
似た病気に足首で起こる『足根管症候群』、手首で起こる『手根管症候群』があります。
●どのように起こるのですか?
足の指に通じる神経は、中足骨の間をつなぐ靱帯の下を通っています。歩くときに蹴り出すと、この神経が引っ張られて靱帯に当たり、摩擦を起こします。つま先の窮屈な靴を長時間履くと、これが繰り返されて、神経にこぶが出来るのです。両足に出来る場合も片足だけの場合もあります。3番目と4番目の間に多いのは、神経が2方向からきて合わさっているため、自由に動きにくいことなどが理由です。
●靴に関係あるのですね
特にハイヒールを履く女性に多い病です。


今日、仕事で道を歩いていたら、突然「右足」の指に痛みが走った。とうとう「痛風」になったかぁ・・・とため息が出た。
仕事が終わり、いつも行く「鍼灸院」で診て貰った。診断は「モートン病」。普通、「アーチ型」になっている足の指先が平らになり、神経を圧迫し、痛みが走るという事らしい。生きていれば、いろんなことに遭遇するものだ。「鍼」に続けていけば治ると言われ、ホッとした。鍼灸の先生に「今日は、体疲れていますか?」と訊くと、「いつも疲れています。疲れやすい体質なので、休養を取れる時は取って下さい」とのアドバイス。今日は早く寝よう。
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