お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「ガス冷蔵庫」というのがあったのを知ってますか?

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
■冷蔵庫の歴史
冷蔵庫の歴史は、国産第一号は1930年に東芝によって開発され、1933年に発売されました。しかし当時はおそろしく高価だったため一般の家庭には全く普及しませんでした。また開発されたばかりの冷蔵庫は故障も頻繁に起こりました。1960年代に入るまで一般の家庭では、保冷箱(木製の箱に氷を入れたもの)が冷蔵庫の代わりとして使用されていました。戦後、1960年代の高度成長期に白黒テレビ、洗濯機と並ぶ三種の神器として、一般家庭の憧れの商品でした。その後、1970年代に入り、世の中にとって冷蔵庫が当たり前の存在になると、冷凍庫を合体させた冷凍冷蔵庫と呼ばれるようになり、冷凍食品の普及とあいまって冷蔵庫は一般家庭に広く急速に普及していきました。1980年代からは、野菜室、製氷機、チルド室(氷温室)などの機能を備え、脱臭装置、急速冷凍機能などを持ったものなどが製造され、冷蔵庫製作メーカー各社は他社の製品との差別化を図るよう競争が熾烈化していきました。たま、ノンフロン化による環境保全のため、イソブタンを使用したものも登場しました。最近では、400リットルクラス以上の製品はフレンチドアと呼ばれる観音開きタイプが主流となってきています。


冷凍室(フリーザー)の性能は、ツースター、スリースター、フォースターといった記号で表示されます。現在あるほとんどのものは最高クラスのフォースターになります。ツースターは切り替え室に多く、スリースターは1970~80年代の冷凍庫に多く見られます。
ガス冷蔵庫というものがありますが、これはアンモニアなどのアルカリ性質のものを液化させ、気化器へ送り、急激に気化させ、そのときに発生する吸熱効果を利用して冷却する冷蔵庫のことをいいます。気化させるときにはガスの火を用います。昔は家庭用として一時使われたことはありますが、日本のメーカーはオイルショックを期に家庭用から撤退してしまい、現在販売されているものはキャンプ用や船舶用などミニタイプの冷蔵庫が殆どです。
近年、電子冷蔵庫というものが登場いたしました。これは他の冷蔵庫のように冷媒を全く利用せず、ベルチェ素子と呼ばれる半導体素子の熱移動の利用により冷却する冷蔵庫です。冷媒がないため冷蔵庫内に駆動部が存在せず、そのため振動が殆どありません。また、循環系の機構が必要ないため小型化も容易にできます。冷蔵庫内は乾燥せず、また、電子冷蔵庫の廃棄の際には冷媒ガスの回収も行わずにすむという数多くの利点があります。ただし、エネルギー効率が比較的低いため、大規模な冷却には向いておらず、不経済になるため、ワインセラーなど、小型・超小型の冷蔵庫に利用されるに現在は留まっています。




昔、「大阪ガス」が「ガス冷蔵庫」を売っていた。昭和40年代の話。もちろん、いろんなものを冷やすのであって、「おでんの具」を入れておくと、「グツグツ煮たったおでん」になる訳ではない。「ガス冷蔵庫」はアウトドア用に今でも作られている。どうやって「ガス」で冷やすんだろう・・・永遠の謎である。http://www.shimatonet.co.jp/rge200.htm
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「宗教」・・・特に最近「仏教」に興味がある。

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
宗教と現代がわかる本 2007 (2007)

平凡社

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「宗教」と「社会」は今、より「近く」なっている気がする。「生きる事」を考える。「死」を考える。大事なことだと思う。
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同じ「パチンコ店」・・・「朝マック」じゃないよー

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
これは「マクドナルド」に対して「著作権侵害」にあたるのでは・・・しかし、いろんな事、パチンコ店の人も考える。努力は認めるけど・・・
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これが「パチンコ店」の表に貼ってあった説明文。

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
「パチンコ」で儲けるのも努力が必要やなぁ~
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「給料日」前に金欠になったら、「パチンコ」が救ってくれるらしい。

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
僕は「パチンコ」をやらない。というより、「競馬」など、「ギャンブル」は一切手を出さない。最近は「宝くじ」も買わなくなった。基本的に儲かるのは「胴元」。同窓会で銀行マンに、「売れ残った宝くじ」が「当選番号」になった場合は「もう一度、引き直すの?」と聞いたら、「引き直さず、当選宝くじの本数が減る」という事だ。それは無いんちゃうんと思ってしまった。
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いちばん下の16000円のコースは・・・

2007年04月08日 | 健康・スポーツ
「内容」が知りたい。
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220年前(1786年)のスズメがとまっている「線状」のものは何?

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
江戸時代だから、電線は無かったはず。じゃあ、何???
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都知事候補・ドクター中松のポスターです。

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
石原都知事に決まった今、過去の遺産になってしまった。
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「同窓会」と「宮崎駿」。

2007年04月08日 | エッセイ・日記・意見
大学の同窓会をやった。東京にいる7人が集まった。僕が入社した年、うちの会社は開局25周年だった。初めてもらった名刺に「25周年マーク」が刷られていた。今、僕の名刺は「開局50周年」のマークが入っている。まだ入っていないものも持っているが。
つまり、大学を卒業し、会社に勤めておおよそ25年の日々が過ぎたという事だ。

7人の内訳は・・・銀行員2人(入行した時と『銀行名』は変わっている)、商社マン1人(明日月曜日から2週間ほど世界を飛び回るそうだ)、証券アナリスト1人(社内メールのチェックが厳しいという。インサイダー取引を予防する為なのか?)、エレクトロニクスのメーカー関係2人(1人は人事部長で、来月三人目の子供の出産を控えている。もう1人はインターネットを取り入れたシステムの開発?)。
こう書いてみると、結構みんな「波乱万丈」の人生を送っている。居酒屋で一次会、カラオケを1時間歌って、三次会は3人でバーへ。

商社とメーカーとテレビ局3人・・・話題は「今の日本はおかしい!!!」という話になった。具体的には、「子供は外で遊ばず、携帯電話をいじったり、テレビを観たり、ゲームをしたり・・・教育のこと」。商社マンの家では絶対「ゲーム」は買わないという。携帯も中三のいちばん上の子供に持たせただけ。うちも中三と中一の長女と長男にもたせたばかりなので、話は盛り上がった。仕事の関係上、海外のいろんな国に行っている彼曰く、「もっと外国の子供達は勉強している。このままの日本の教育で行くと、いつかいろんな国に抜かれる」と。僕もその通りだと思ったので、「小学校の校長室に怒鳴り込んだ話」をした。その後、「テレビ」の功罪の話になり、「もっと子供達の心に響く番組は作れないものなのか?」と矛先はこちらを向いて来た。

僕は思っている事を話した。日本には「宗教がない(少なくとも過半数の人が熱心に信仰するという意味で)」→「太平洋戦争に負けた」→「新しい『物』を作る事で復興が始まり、『物』が飽和して『物質文明』=『宗教』の様になっている今の社会」がある。『テレビ番組』も多くは『物』の一つである。もちろん、「ゲーム」「携帯電話」、極論すれば、「援助交際する高校生の肉体」でさえそうである。

さっき、「石原都知事再選」のニュースが流れた。これで、二回目の「東京オリンピック」の誘致も積極的になるだろう。

商社の彼も「社会のどこを変えればいいか、模索している」。少なくとも自分達の家族を守らなければならない。こんな話ができるのも、「利害関係の一切無い同級生」だから。嬉しくって、思わず深酒になり、家に帰って寝て起きたら、夕方だった。

「プロフェッショナルの流儀・特別編~宮崎駿」を録画して観た。来年夏の新作映画を作り始める日々を3ヶ月間、NHKのカメラが追い続けた。最初、宮崎は「悩み倒す」。しかし、カメラに対しては、気さくに話しかけている新作映画のキービジュアルになる「一枚の絵」が出来、瀬戸内海の旅館にこもって具体的な作業(絵コンテの作成)に入る時、宮崎は取材カメラを拒否した。
「映画作りの作業が進むにつれ、僕はどんどん不機嫌になっていく。もう終わりにしよう」と。そして、今までもずっと不機嫌だったが、「笑顔を作っていた」と言った。もうこれ以上、そういうことは「お断り」という事だろう。
「『心』で作るアニメーション」・・・「映画」「ドラマ」でも程度の違いはあれ、同様な部分がある。そこに第三者に踏み込んで欲しくない。宮崎駿監督の絶叫が聞こえて来る様だった。
印象的だったのは、宮崎監督が息子の第1回監督作品『ゲド戦記』の初号試写会を観に行った時の事。上映が始まって、1時間で監督はロビーの喫煙スペースに出て来てタバコを吸っていた。とても不機嫌そうに・・・。
「3時間くらい観た感じだ。映画は『気持ち』で作るもんじゃない!」と取材カメラに言い放ち、試写室に戻っていった。
ここからは僕の想像だが、若き日、宮崎監督が仕事に忙殺されている頃、息子の事をあまり気遣えなかった。それが『ゲド戦記』という映画にそのままの形で出てしまった。
「『映画』は自分の子供みたいなもんです」と言っていた監督。『息子という映画』を育てる事を自分は忘れていたのではないか・・・そういう強い後悔の念を試写会のスクリーンを通して、宮崎駿という父親は感じた様に僕は思えた。

今日はいろんな事を考えさせられた一日だった。
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「カルガモ広告車」。

2007年04月08日 | 鉄道・車・タクシー・バス・飛行機
3台連なって通りを行く姿がカルガモの親子に似ていると評判なのが、超小型電気自動車「ラッピン」。車体全面に広告を掲げる1人乗りの車だ。
この「ラッピン」を手がける「ラッピン社」の小崎秀人社長は、5年前、電気で走り、実際に乗れるチョロQとして評判になった「Qカー」を大手玩具メーカーと組んで発案した。この経験から車を広告媒体にするアイデアが思いついたという。
この車はガソリンエンジンなら50CC以下、電気モーターなら0、6KW以下の「原付ミニカー」という扱い。運転には普通自動車運転免許が必要で、8時間の充電で40キロメートル走行可能。最高時速は55キロで運転そのものは簡単だという。
最近、渋谷や新宿などでの繁華街では、大型トレーラーを広告でラッピングして大音量を出しながらわがもの顔で走る風景がよくみられるが、これを見て不快に思っていた小崎さんは大きさ、量ともにまったく逆の発想で注目を集めることはできないかと「ラッピン」をはじめた。
トレーラーに比べたら確かに地味ではあるが、3台連なって走り、注目を集めようという狙いは大当たり。「かわいい」と女性や子どもたちに人気で、広告主の依頼も絶えないという。
「町を美しく引き立てるような広告をつくっていきたい」。小崎さんは笑顔で今日もハンドルを握る。(4月5日 読売新聞より引用)http://blogs.yomiuri.co.jp/shashun/2007/04/post_2a40.html


「可愛い」から女性の目を惹くし、「環境」にも良い。こんなアイデアは大歓迎!!!
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