半落ち講談社このアイテムの詳細を見る |
いやぁ~面白かった。「各章」で、一人ずつ、語り手が変わり、「自白をするが、一部どうしても話さない元・警官」の周りを巡って物語は進みます。その語り口もさることながら、それぞれのキャラクターの厚みが凄い。映画も観たくなってきました。
今回は、「脚本の長さ」について書こうと思う。連続ドラマの場合である。まず、脚本家とプロデューサーが、その回の「構成案」を作る。一般的には、脚本家が「大バコ」と呼ばれる、その回で何がどう起きるかという「ラフな構成案」を考えてくる。そして、プロデューサーと打ち合わせをし、その「ラフ案」を元にもう少し、細かく詰めていくか、方向性が脚本家とプロデューサーで違っていれば、時には時間をかけて、脚本家と話し合いながら、「構成案」を作る。そして、初回だと、初稿をあげて貰うのに、時間的余裕があれば、二週間位かけて書いて貰う。初回は、登場人物のキャラクター紹介や初回で視聴者が次の回を見たいという気持ちになる仕掛けを用意したりするので、余裕を持って書いて貰った方がいい。初稿があがってきたら、プロデューサーが「読み込む時間」を一日おき、直しの打ち合わせ。初回は上手くいっても、三回位は書き直して貰う事が多い。多い時は、第10稿くらいまでいく事もある。脚本家に直して貰う時間は一日半とかになってきて、やはり連続ドラマは余程早くからキャスティングも決まって、準備できていれば別だが、書くのが速い脚本家でないと一人で書き続けられない事にもなりかねない。そして、準備稿という、キャストやスタッフに初めて見せる脚本を作る段階で、ディレクターに入って貰う。プロデューサーと脚本家が脚本作りをしている間、ディレクターはロケハンをしている事が多い。つまり、ロケで使う場所を探し求めて、何日もロケーションマネージャー(ドラマの場合は「製作部」と言う)といろんなところを回る。
ディレクターは「演出上の観点」から、プロデューサーと脚本家で作った本に意見を言う。決まっているロケ場所では成立しないシーンがあったりもするからである。
そして、ディレクターの意見も入った原稿を白い表紙の準備稿として、台本に印刷する。その時、脚本家とディレクターの名前、キャストの名前は原則入れておく。つまり、キャスティングをした時に話した役どころとキャストの番手(簡単に言うと、プロデューサーは、それぞれの俳優さんの立ち位置をこんな風に思っていますという事)を、実際に台本を読んで貰い、俳優さんとその事務所に確認して貰う作業である。もちろん、ここで揉める事もある。「キャスティングの時、聞いた役より役が小さい。或いは『芝居場』が無い。俳優Aさんよりも、うちの方が番手は上でしょ」とか・・・それを仕切るのがプロデューサーの仕事。「特別出演」「友情出演」をつけたり、「中留め」と言って、前後の俳優さん達はグループでクレジットを出すけれども、その俳優さんだけは、グループとグループの間に一人で名前を出すなど、いろんな手を使って、脚本に影響が出ない様に行政していく。
それでも、どうしても、主役或いは主役クラスの俳優さんがここだけは譲れないとなった時、脚本家とディレクターに相談し、脚本に直しを入れ、「決定稿」にする。
「決定稿」になったら、「記録さん」という、カットとカットの繋がりや編集用にシートを作ったり、撮影中、どのシーンでどれだけの時間がかかったか記録する女性スタッフに、その「決定稿」を自宅に持ち帰って、「読んで」貰い、ディレクターがこのシーンはこだわるだろうなぁ~という事も考えつつ、「決定稿」で撮影したら、何分長いか、或いは短いかを出して貰う。
あまりにも、長い場合はディレクターにも入って貰い、カットするシーンを考える。短い場合は、脚本家にシーンを書き足して貰う。
そして、撮影。スタジオの中のセットの場合は、それほど心配は無いが、ロケ場所の都心からの遠さや撮るのに時間のかかる「スタントシーン」「たくさんの人物が出てくるシーン」、そしていちばん怖いのが「天候」。撮影日数が延びれば、当然予算は出て行く。やがて、最終回の撮影とかになってくると、次の連続ドラマに出演が決まっている俳優さんの事務所から、撮影が延びるとクレームが来る。ロケであったシーンをセットに振り替えたり、スタジオの廊下や階段を使ってロケしたり(大概のドラマ撮影のスタジオは、廊下や階段、玄関などが、『病院』『警察』等に使える様に作ってある)、最悪の場合は「脚本家」「ディレクター」「プロデューサー」が顔を突き合わせて、「スケジュールの無い俳優さんのシーンをカットしていく作業」をしなければならない。ドラマのクオリティーを落とさずに。この辺になってくると、悲壮感が漂う。精神的にもギリギリの状態で仕事をしている。
そんな経験を何度もしながらも、そのドラマが終わってしばらく経つと、またドラマをやりたくなる。ドラマは一種の「麻薬」の様なものなのかも。そして、連続ドラマという「戦場」で一緒に仕事をしたキャストやスタッフはまるで「戦友」の様な間柄になる。10年位経って、偶然会っても、つい握手したくなる様な感じ。もちろん、僕自身がプロデュースしたり、関わったりしたドラマ全部がそういう訳では無い。
こうして、当時を思い出しながら、ブログを書いていると、しんどいし、大変なのは分かっていても、ドラマの現場に戻りたいという強い思いに駆られる。
ディレクターは「演出上の観点」から、プロデューサーと脚本家で作った本に意見を言う。決まっているロケ場所では成立しないシーンがあったりもするからである。
そして、ディレクターの意見も入った原稿を白い表紙の準備稿として、台本に印刷する。その時、脚本家とディレクターの名前、キャストの名前は原則入れておく。つまり、キャスティングをした時に話した役どころとキャストの番手(簡単に言うと、プロデューサーは、それぞれの俳優さんの立ち位置をこんな風に思っていますという事)を、実際に台本を読んで貰い、俳優さんとその事務所に確認して貰う作業である。もちろん、ここで揉める事もある。「キャスティングの時、聞いた役より役が小さい。或いは『芝居場』が無い。俳優Aさんよりも、うちの方が番手は上でしょ」とか・・・それを仕切るのがプロデューサーの仕事。「特別出演」「友情出演」をつけたり、「中留め」と言って、前後の俳優さん達はグループでクレジットを出すけれども、その俳優さんだけは、グループとグループの間に一人で名前を出すなど、いろんな手を使って、脚本に影響が出ない様に行政していく。
それでも、どうしても、主役或いは主役クラスの俳優さんがここだけは譲れないとなった時、脚本家とディレクターに相談し、脚本に直しを入れ、「決定稿」にする。
「決定稿」になったら、「記録さん」という、カットとカットの繋がりや編集用にシートを作ったり、撮影中、どのシーンでどれだけの時間がかかったか記録する女性スタッフに、その「決定稿」を自宅に持ち帰って、「読んで」貰い、ディレクターがこのシーンはこだわるだろうなぁ~という事も考えつつ、「決定稿」で撮影したら、何分長いか、或いは短いかを出して貰う。
あまりにも、長い場合はディレクターにも入って貰い、カットするシーンを考える。短い場合は、脚本家にシーンを書き足して貰う。
そして、撮影。スタジオの中のセットの場合は、それほど心配は無いが、ロケ場所の都心からの遠さや撮るのに時間のかかる「スタントシーン」「たくさんの人物が出てくるシーン」、そしていちばん怖いのが「天候」。撮影日数が延びれば、当然予算は出て行く。やがて、最終回の撮影とかになってくると、次の連続ドラマに出演が決まっている俳優さんの事務所から、撮影が延びるとクレームが来る。ロケであったシーンをセットに振り替えたり、スタジオの廊下や階段を使ってロケしたり(大概のドラマ撮影のスタジオは、廊下や階段、玄関などが、『病院』『警察』等に使える様に作ってある)、最悪の場合は「脚本家」「ディレクター」「プロデューサー」が顔を突き合わせて、「スケジュールの無い俳優さんのシーンをカットしていく作業」をしなければならない。ドラマのクオリティーを落とさずに。この辺になってくると、悲壮感が漂う。精神的にもギリギリの状態で仕事をしている。
そんな経験を何度もしながらも、そのドラマが終わってしばらく経つと、またドラマをやりたくなる。ドラマは一種の「麻薬」の様なものなのかも。そして、連続ドラマという「戦場」で一緒に仕事をしたキャストやスタッフはまるで「戦友」の様な間柄になる。10年位経って、偶然会っても、つい握手したくなる様な感じ。もちろん、僕自身がプロデュースしたり、関わったりしたドラマ全部がそういう訳では無い。
こうして、当時を思い出しながら、ブログを書いていると、しんどいし、大変なのは分かっていても、ドラマの現場に戻りたいという強い思いに駆られる。
T映画の宣伝部に打ち合わせに行った。打ち合わせが始まるまで時間があったので、廊下に貼ってあるポスターを見ていた。「アニメ」から「リメイク大作」から様々な映画のポスターが並んでいた。
最近は、「リスクヘッジ」の為、「製作委員会形式」を取る映画が増えた。「映画会社」「テレビ局(キー局+準キー局など)」「広告代理店(電通や博報堂DY)」「出演者事務所」「スカパーなどのペイテレビ」等が名前を連ねる。今はどこも、「ソフト」が欲しいのである。「テレビ」と「インターネット」は近いうちに融合するだろう。「ソフト・オン・デマンド(ソフトをインターネット回線で、配信する事。レンタルビデオ屋に行かなくても、何がしかのお金を払えば、好きな時に好きな映画やドラマ等が自由に見られる)」も始まりつつある。
そうした「動画の配信媒体」が増えれば増えるほど、「ソフト不足」になるのは目に見えている。だから、いろんな業種の会社が「映画というソフト」に出資するのである。余程、ロードショーでこけない限り、「映画館」→「ペイテレビ」→「地上波テレビ」→「再放送」「国内・海外への販売」→「DVD化」という流れが出来上がっているので、それぞれの過程で、「その映画に出資した権利者」には、「分配金」が入ってくる。各社が「それぞれの過程の分配金を合計した金額」が「出資金」より少なくなる事はあまりないケースだと思う。特に、「アニメ」は、映画でなくても、深夜や土日の午前中のテレビ朝日やテレビ東京では、増産されている。理由は簡単。「アニメーション」は、全世界に売れるからだ。普通の「実写映画」「実写ドラマ」は結果的に、東南アジア圏にしか売れない事が多い。つまり、黄色人種は黄色人種の映画やドラマを見るが、欧米人にとって関心が無いのかもしれない。一部の映画やドラマを除いて。
「アニメ」はその点、欧米でも、その国の言葉で吹き替えれば、あまり、欧米人にも抵抗感なく見る事ができる。もう一つは、「アニメ」は基本、「子供」をターゲットにして作っているので、子供が親にねだれば、DVDが売れたり、アニメキャラクターグッズが売れる。そういう意味でも、「アニメ」の方が「リスクは少ない」のかもしれない。
アメリカ等では、老舗の映画会社が「他業種の企業」に乗っ取られるケースが多い。ハリウッドの映画会社「MGM」「ユニヴァーサル」「パラマウント」「ユナイティッド・アーティスト」「コロンビア」「20世紀FOX」「ワーナー・ブラザーズ」のうち、「コロンビア」は「ソニー」に買収され、正式名称は「ソニーピクチャーズ」だし、「ユナイト」などは「MGM」に吸収され、その「MGM」が別の企業に買収されるという道をたどっている。「007シリーズ」と言えば、「ユナイト」だったのだが、今はその姿もおぼろげにしか見えない。
日本での映画配給会社も「ワーナー」「20世紀FOX」「UIP(昔のCIC・・・ユニヴァーサル映画とパラマウント映画の日本での配給をしていた)」「ユナイト」「コロンビア」「MGM」「ブエナ・ビスタ(ディズニー映画の配給)」「東宝東和」「日本ヘラルド」等だった。
今は、「アスミック・エース」とか「ギャガコミュニケーションズ」とかも参入してきて、「良いソフトの押さえ競争」になっている。
映画界も変わってきたなぁ~と、初めてT映画に行って感じた。
最近は、「リスクヘッジ」の為、「製作委員会形式」を取る映画が増えた。「映画会社」「テレビ局(キー局+準キー局など)」「広告代理店(電通や博報堂DY)」「出演者事務所」「スカパーなどのペイテレビ」等が名前を連ねる。今はどこも、「ソフト」が欲しいのである。「テレビ」と「インターネット」は近いうちに融合するだろう。「ソフト・オン・デマンド(ソフトをインターネット回線で、配信する事。レンタルビデオ屋に行かなくても、何がしかのお金を払えば、好きな時に好きな映画やドラマ等が自由に見られる)」も始まりつつある。
そうした「動画の配信媒体」が増えれば増えるほど、「ソフト不足」になるのは目に見えている。だから、いろんな業種の会社が「映画というソフト」に出資するのである。余程、ロードショーでこけない限り、「映画館」→「ペイテレビ」→「地上波テレビ」→「再放送」「国内・海外への販売」→「DVD化」という流れが出来上がっているので、それぞれの過程で、「その映画に出資した権利者」には、「分配金」が入ってくる。各社が「それぞれの過程の分配金を合計した金額」が「出資金」より少なくなる事はあまりないケースだと思う。特に、「アニメ」は、映画でなくても、深夜や土日の午前中のテレビ朝日やテレビ東京では、増産されている。理由は簡単。「アニメーション」は、全世界に売れるからだ。普通の「実写映画」「実写ドラマ」は結果的に、東南アジア圏にしか売れない事が多い。つまり、黄色人種は黄色人種の映画やドラマを見るが、欧米人にとって関心が無いのかもしれない。一部の映画やドラマを除いて。
「アニメ」はその点、欧米でも、その国の言葉で吹き替えれば、あまり、欧米人にも抵抗感なく見る事ができる。もう一つは、「アニメ」は基本、「子供」をターゲットにして作っているので、子供が親にねだれば、DVDが売れたり、アニメキャラクターグッズが売れる。そういう意味でも、「アニメ」の方が「リスクは少ない」のかもしれない。
アメリカ等では、老舗の映画会社が「他業種の企業」に乗っ取られるケースが多い。ハリウッドの映画会社「MGM」「ユニヴァーサル」「パラマウント」「ユナイティッド・アーティスト」「コロンビア」「20世紀FOX」「ワーナー・ブラザーズ」のうち、「コロンビア」は「ソニー」に買収され、正式名称は「ソニーピクチャーズ」だし、「ユナイト」などは「MGM」に吸収され、その「MGM」が別の企業に買収されるという道をたどっている。「007シリーズ」と言えば、「ユナイト」だったのだが、今はその姿もおぼろげにしか見えない。
日本での映画配給会社も「ワーナー」「20世紀FOX」「UIP(昔のCIC・・・ユニヴァーサル映画とパラマウント映画の日本での配給をしていた)」「ユナイト」「コロンビア」「MGM」「ブエナ・ビスタ(ディズニー映画の配給)」「東宝東和」「日本ヘラルド」等だった。
今は、「アスミック・エース」とか「ギャガコミュニケーションズ」とかも参入してきて、「良いソフトの押さえ競争」になっている。
映画界も変わってきたなぁ~と、初めてT映画に行って感じた。
The Great EscapeJUDY AND MARY, YUKI, Tack and Yukky, TAKUYAERJこのアイテムの詳細を見る |
今まで「JURY AND MARY」をちゃんと聴いた事が無かったのですが、流石はファンの選んだ2枚組のベスト盤、僕の気持ちを高揚させてくれます。このアルバムは買いでーす。
http://www.yamato-movie.jp/
「男たちの大和」を見た。会社の後輩の女性が泣けると行ったので、そそくさと見に行った。結果は、泣けなかった。確かに、「戦艦大和」のセットは凄いし、違和感は無い。脚本の構成もしっかりしているし、長嶋一茂の演技が上手くなったと感心した。蒼井優も魅力的だった。
興醒めなのは、「美術の汚し」である。兵隊達の軍服も、大和の甲板も出来たてほやほやの様に、全く汚れていない。つまり、軍服を着たとか大和でたくさんの軍人が働いたという「リアリティー」が欠如しているのだ。編集は上手いと思った。特に、沈没寸前のパニックシーンのカット割りはドキドキした。2時間退屈は全然しなかったのだが、「美術の汚しの無さ」と「誰に感情移入していいか分からない」という2点で、この映画は僕的には失敗していると思う。
そんな話を飲み屋でしていたら、映画人らしき若者が絡んできた。
「お前は批評家なのか作り手なのか、はっきりしろ!!!」と。真夜中である。この手合いは相手にしてはいけない事は分かっている。但し、一言だけ、言ってやった。
「そんなに言うなら、お前の作ったものを教えろ!!!」と。当然、狭い店内は気まずい雰囲気になり、若者は連れ二人と黙って店を出て行った。
「批評家とか作り手とか言ってるうちは子供なんだよ!!!」と僕は心の中で叫んでいた。この店で、何回、映画人と喧嘩した事か。
「今のテレビはダメだ!」と、判で押した様に彼らは言う。
「じゃあ、俺を感動させる映画を作って見ろよ!」と言いたい。
「客の入らない、作り手の自慰でしかない分かりづらい映画なんか作ってる場合かよ!」と。映画を作る事の出来ない焦燥感を「テレビ屋」にぶつけるのは、全くのお門違いだと、何故彼らは気付かないのだろう。
テレビドラマの現場も、必死で「もの作り」をしている。「本編、本編」と五月蝿いんだよ。みんないろんな現場で、予算の無い中、苦労して作っているんだから。
初めて会った人間が、今観て来た映画の感想を店のマスターに話しているだけなのに、何を興奮してるんだろう。アホちゃうか、と思った。「作り上げたもの」をお客さんに観て貰って、感情を揺さぶれるかどうかが、勝負だと思う。弱い犬ほど、「吠える」というけれど、気持ち良く飲んでいる邪魔だけはしないでくれ。
話を「男たちの大和」に戻すと、佐藤純や監督(「や」の漢字が変換で出てきません)は確か、今、79歳くらいだと思うが、よく撮っていた。B班監督の「原田徹さん」は、かつて、大阪でドラマを一緒にやった事がある。懐かしかった。
僕にとっての佐藤監督の傑作はやはり、「新幹線大爆破」。素晴らしい映画だった。
今年に入って、邦画をよく観ている。映画人も頑張っていると思う。テレビ屋も頑張らなきゃと励まされる想いがする。互いにいがみ合っているのではなく、切磋琢磨した方が余程建設的な会話ができたのに・・・と残念に思った夜。
「男たちの大和」を見た。会社の後輩の女性が泣けると行ったので、そそくさと見に行った。結果は、泣けなかった。確かに、「戦艦大和」のセットは凄いし、違和感は無い。脚本の構成もしっかりしているし、長嶋一茂の演技が上手くなったと感心した。蒼井優も魅力的だった。
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そんな話を飲み屋でしていたら、映画人らしき若者が絡んできた。
「お前は批評家なのか作り手なのか、はっきりしろ!!!」と。真夜中である。この手合いは相手にしてはいけない事は分かっている。但し、一言だけ、言ってやった。
「そんなに言うなら、お前の作ったものを教えろ!!!」と。当然、狭い店内は気まずい雰囲気になり、若者は連れ二人と黙って店を出て行った。
「批評家とか作り手とか言ってるうちは子供なんだよ!!!」と僕は心の中で叫んでいた。この店で、何回、映画人と喧嘩した事か。
「今のテレビはダメだ!」と、判で押した様に彼らは言う。
「じゃあ、俺を感動させる映画を作って見ろよ!」と言いたい。
「客の入らない、作り手の自慰でしかない分かりづらい映画なんか作ってる場合かよ!」と。映画を作る事の出来ない焦燥感を「テレビ屋」にぶつけるのは、全くのお門違いだと、何故彼らは気付かないのだろう。
テレビドラマの現場も、必死で「もの作り」をしている。「本編、本編」と五月蝿いんだよ。みんないろんな現場で、予算の無い中、苦労して作っているんだから。
初めて会った人間が、今観て来た映画の感想を店のマスターに話しているだけなのに、何を興奮してるんだろう。アホちゃうか、と思った。「作り上げたもの」をお客さんに観て貰って、感情を揺さぶれるかどうかが、勝負だと思う。弱い犬ほど、「吠える」というけれど、気持ち良く飲んでいる邪魔だけはしないでくれ。
話を「男たちの大和」に戻すと、佐藤純や監督(「や」の漢字が変換で出てきません)は確か、今、79歳くらいだと思うが、よく撮っていた。B班監督の「原田徹さん」は、かつて、大阪でドラマを一緒にやった事がある。懐かしかった。
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元の「青線」だそうです。つまり、「赤線」は「合法な売春宿」、「青線」は「非合法な売春宿」の事。昔は、映画の大島渚組や寺山修司等、様々な人達が来ていたそうです。亡くなる直前に中島らもさんも「ぐてんぐてん」に酔っ払って、ゴールデン街を徘徊していたそうな・・・
「BOWS」は、女性ならほとんどの人が知っているダイエット食品。脂肪分をたくさん採った後に飲むと、脂肪分を包み込んで、そのまま排泄してくれる優れ物です。湾岸戦争の時に、タンカーから漏れた油を固める為に作られた物質を発展させて、ダイエット用サプリメントとして売り出されました。定価8800円。僕は安売り屋を探して、1箱4750円で買いました。