北朝鮮は米国を狙ったICBM「火星17型」を10基以上公開したうえ、韓国を狙った戦術核運用部隊も初めて公開し、「強対強」の対決方針を再確認した。

2023-02-10 10:08:32 | 朝鮮を知ろう。
 

北朝鮮の軍事パレードに「火星17型」10基以上登場…

「強対強」の対決方針を再確認

登録:2023-02-10 06:12 修正:2023-02-10 09:23

 

戦術核運用部隊が初登場…固体燃料ICBMの可能性も
 
 
今月8日夜、平壌の金日成広場で開かれた北朝鮮軍創建75周年記念軍事パレ―ドに大陸間弾道弾ミサイル「火星17型」が10基以上登場した/朝鮮中央通信・聯合ニュース

 北朝鮮・平壌(ピョンヤン)の金日成(キム・イルソン)広場で8日夜に開かれた朝鮮人民軍創建75周年記念軍事パレードに、戦術ミサイル、長距離巡航ミサイルなどの戦術核運用部隊、大陸間弾道ミサイル(ICBM)部隊が登場した。同日、固体燃料を使用した新型ICBMのモデルが登場したという分析も出た。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記兼国務委員長の演説はなかったものの、北朝鮮は米国を狙ったICBM「火星17型」を10基以上公開したうえ、韓国を狙った戦術核運用部隊も初めて公開し、「強対強」の対決方針を再確認した。

 9日付の北朝鮮メディアの報道によると、金正恩朝鮮労働党総書記兼国務委員長は軍事パレードに娘のキム・ジュエさん、夫人のリ・ソルジュ女史と共に出席した。

 戦術ミサイル、長距離巡航ミサイルなど戦術核運用部隊とICBM部隊は軍事パレードの終盤に登場した。「朝鮮中央通信」は「戦術ミサイル縦隊と長距離巡航ミサイル縦隊が広場に進入」したと報道した。その前に新型戦車や自走砲、超大型放射砲なども姿を現した。軍事パレードの本行事は8日午後9時30分頃に始まり、午後10時30分に終わったという。

 昨年10月、北朝鮮メディアの報道でその存在が公開された戦術核運用部隊が軍事パレードに参加したのは、今回が初めて。当時、同部隊が韓国の主要軍事施設や港、飛行場などを打撃する訓練を行ったと報道された。

 北朝鮮メディアは戦術核運用部隊に続き、「我が国の最大の核攻撃能力を誇示し、大陸間弾道ミサイル縦隊が登場した」とし、「核には核で、真っ向対決には真っ向対決で!」と報じた。

 北朝鮮メディアはICBMの種類については言及しなかったが、公開された写真には「火星17」型の姿もある。射程距離が1万5千キロメートル以上と知られている同ミサイルは、2020年10月10日の北朝鮮労働党創建75周年記念軍事パレードで初めて公開された。当時、11軸22輪の巨大な移動式ミサイル発射台(TEL)に載せられて登場した火星17型は長さが22~24メートルと推定され、世界で最も長い「怪物ICBM」という異名を持つ。同日の軍事パレードには火星17型が10基以上登場した。同ミサイルを量産して米国を狙い実戦配備したというメッセージとみられる。北朝鮮は昨年11月、火星17型の2段推進体の分離まで成功したが、国内専門家たちは大気圏再突入技術などが必要であるため、実戦配備はできなかったとみている。

 
 
今月8日夜、平壌の金日成広場で開かれた北朝鮮人民軍創建75周年記念軍事パレードに固体燃料大陸間弾道ミサイル(ICBM)と推定されるミサイルが登場した/朝鮮中央通信・聯合ニュース

 火星17型に続き、移動式発射台に搭載された発射筒(キャニスター)に入った新しいICBM(推定)4基が登場した。北韓大学院大学のキム・ドンヨプ教授は「固体燃料エンジンを使って長距離(ICBM)級に開発するためのモデルとみられる」と述べた。北朝鮮は固体燃料エンジンを搭載したICBMの開発を戦略兵器部門の5大最優先課題の一つとして進めている。固体燃料ミサイルは液体燃料ミサイルに比べて発射準備時間が短く、韓米の監視と韓国のキルチェーンを避けて生き残る可能性が高い。

クォン・ヒョクチョル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史教師としてできることに最善を尽くさなければなりません。私は、韓日の市民社会の連帯はより厚くなると思います.

2023-02-10 10:01:49 | 日朝韓友好親善のため
 

「韓国と日本の生徒たちが友達になったことこそ

『交流20年』の最大の成果です」

登録:2023-02-09 04:24 修正:2023-02-09 08:17

 

韓日歴史教師交流会のパク・ソンギ会長
 
 
パク・ソンギ会長がインタビュー後、写真撮影に応じている=カン・ソンマン先任記者//ハンギョレ新聞社

 『向き合う歴史授業』(ヒューマニスト)。

 本書は、2000年の日本による歴史教科書歪曲を契機として、翌年から交流が開始された韓国と日本の歴史教師たちが、この20年間の共同シンポジウムなどを通じた「授業実践」の内容をまとめた本だ。1988年に創立した韓国の全国歴史教師の会(以下「全歴会」)所属の韓日歴史教師交流会(パク・ソンギ会長)と、1949年に発足した日本の歴史教育者協議会(以下「歴教協」)による韓日交流委員会の共同作業である本書には、26件の歴史授業の事例が掲載されている。

 日本側の授業を見ると、自国の教科書に載っていないせいで生徒たちが学べなかった内容や、帝国主義時代の加害者である日本の姿を知る内容が多い。北海道の先住民アイヌの文化や、日清戦争で日本軍が東学農民軍を無残に虐殺した内容を扱った授業が代表的な例だ。200年以上にわたって朝鮮が日本に大規模な通信使を派遣していたことを扱った授業では、韓日に長い友好の歴史があったことを伝えている。

 韓国側の授業も、隣国である日本に対して生徒たちがバランスの取れた思考ができるよう促す内容が多い。韓国だけでなく日本側の視点も同時に示す「独島(ドクト)授業」や、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に朝鮮に投降し、国防力強化に貢献した「降倭」沙也可こと金忠善(キム・チュンソン)を扱った授業などだ。

 
 
『向き合う歴史授業』の表紙//ハンギョレ新聞社

 2001年に韓日歴史教師交流会の初代会長を務め、2019年から再び会長となったパク・ソンギさんに、ソウルの四佳亭(サガジョン)駅近くのカフェで3日にインタビューした。

 「全歴会には2400人あまりの会員がいますが、私たちの集まりは29人程度です。歴教協の会員も約4千人いますが、韓日交流委に所属するのは約20人です」。成均館大学史学科時代、学費を稼ぐために日本で2年間アルバイトをしたおかげで日本語を覚えたというパク会長は、2002年から毎年1回開催されている「韓日歴史教育実践シンポジウム」の事前準備、引率、通訳などを担ってきた。教師になって3年目の1996年から毎年1回、在職していた高校の生徒たちと日本の高校生との交流も行ってきたので、すべて合わせると40回以上も日本の教師や生徒と交流してきたことになる。

 彼は月に一度、日本の韓日交流委の会員たちがオンラインで行う懇談会にも参加する。「日本側から、今年は関東大震災から100年だということで、韓国側にこのテーマについてどのように授業を行うのかまとめた文章を送ってほしいと要請されました。歴教協の機関誌の月刊『歴史地理教育』に関東大震災特別号を出すそうです。7月27日に朝鮮戦争休戦から70年を迎えますが、フィールドワークをするために訪韓する意向も伝えてきました」

 韓日の歴史教師たちはなぜ交流するのかと問うと、彼はこのように答えた。「相手を知るためです。そうしてはじめて理解し、共感し、協力できるんです。私が学校に通っていた頃、日本に対しては問答無用で反発する感情がありました。しかし歴史を学ぶことで、そのように感情的にアプローチしてはいけないと思うようになりました」

 
 
2016年に沖縄で開催された韓日歴史教育交流シンポジウムの様子=パク・ソンギ会長提供//ハンギョレ新聞社

 彼の見るところ、この20年間の交流は「韓日両国にとって健全な市民社会の形成の礎、かつ東アジアの平和連帯に向けた小さな一歩」だった。韓日の歴史教師たちは深層討論と執筆を経て、2007年と2014年に韓日共同の歴史書『向き合う韓日史』(全3巻)も出している。パク会長は、このような努力が日本を見つめる韓国の視線に影響を及ぼしたとも言う。「歴史教育の究極の目標は『実践による現実の変化』です。私の考えでは、交流のいちばん大きな成果は、韓国と日本の生徒たちにそれぞれ日本と韓国の友達ができたことです。(交流に参加して)私に歴史を学んだ韓日の生徒はおよそ千人にはなるでしょう。彼らは(自国が)友人の国を侵略すれば怒るでしょう。私が『線』だとすれば、この生徒たちは今後『面』となって、自分のやり方で望ましい韓日関係の形成に貢献すると思います。

韓日の歴史教師たちの20年あまりの交流で 
授業実践した資料集、先日出版 
「日本を正しく知ってはじめて理解や共感も可能 
多様な資料を提示して歴史思考力を育む 
幅広い視野で韓国史を教えてほしい」 
 
1996年から高校生の韓日交流も担う

 『向き合う韓日史』1巻が出てから16年になる。教育現場ではどのように活用されているのだろうか。「この本には、政治や大事件が中心の韓国の歴史教科書には記されていない人々の話が多く載っています。金忠善や日本の植民地時代に全羅道の小作争議を支援した日本人弁護士の布施辰治など、政治的事件にかかわった人たちや、その中に秘められている人々の話です。これを通じて生徒たちは、日本人の中でも日帝侵略の被害を受けたり、また反対した人も多いということを知り、そんな日本人たちと共に望ましい韓日関係を築いていかなければならないと考えるでしょう」。彼は今回出版された『向き合う歴史授業』について「日本の出版市場の状況があまり良くないため、まず韓国で出した」と語った。

 
 
2009年に日本の北海道をフィールドワークした韓日歴史教師交流会の会員たち=パク・ソンギ会長提供//ハンギョレ新聞社

 現在の韓国の歴史教育の最大の問題は何かと問うと、パク会長は「世界や東アジアなど幅広い視野で韓国史を学ぶべきなのに、不十分だと思う」と答えた。「生徒たちは高校1年生で修能(大学入試)の必須科目の韓国史を学び、2・3年生で修能の選択科目である『世界史』と『東アジア史』を学びます。生徒たちは、覚えることが多いからといってあまり選択しません。だから韓国史が事実上、高校最後の歴史の授業となるわけです。わが校もこれまで10年近く開設してきた東アジア史科目を、今年は選択する学生が減ってしまったため廃止しました。とても残念です」。彼は、未来世代はよりいっそう国外進出が活発になると述べつつ、「自分たちが今後活動する世界の地域との関係で生徒たちが韓国史を理解できる歴史教育になってほしい」と語った。

 歴教協の会員の魚山秀介さんは本書に「知識注入学習の代表例と言われてきた(日本の)歴史授業は、特に高校課程に『歴史総合』『日本史探求』『世界史探求』などが新設されたため、探求学習がよりいっそう求められている」と記している。これについてパク会長は「日本が新たに高校の必須科目に指定した『歴史総合』は世界史と日本史を合わせた科目で、日本が見える世界史を教えようとの趣旨」だと説明した。「『歴史総合』の教材を見ると、日本優越主義や日本右翼の政治的認識は相変わらずですが、探求の質問は増えています」

 パク会長は、韓日の歴史教師の集まりを始めたのには、従来の詰め込み式の歴史教育を避けようという意図もあると述べる。「私たちの教育目標の一つは歴史的思考力を養うことです。そのためには日本側の資料や視点など、さまざまな歴史的事実を生徒たちに提供しなければなりません」

 インタビューの最後に、今後の韓日関係の見通しについて尋ねた。「大きな希望はありません。今の政治的関係が今後も続くように思います。であったとしても、歴史教師としてできることに最善を尽くさなければなりません。私は、韓日の市民社会の連帯はより厚くなると思います」

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする