実際の狙いは自身と妻の刑事処罰の回避と、立法と選挙事務の掌握を通じた政権延長だった可能性がある。残りの弾劾審判弁論では、これについての調査と尋問がなされるべき」と述べた。

2025-02-07 13:18:17 | 尹大統領は、おかしいね!
 

「夫人リスクで窮地」の尹大統領、

10月に戒厳軍選抜…「長期政権も計画か」

登録:2025-02-07 02:38 修正:2025-02-07 09:46

 

尹大統領の起訴状に記された戒厳軍選抜の開始時期「10月14日」
 
 
尹錫悦大統領が6日、ソウル鍾路区の憲法裁判所で行われた弾劾審判第6回弁論に出席し、目をつぶっている=写真共同取材団//ハンギョレ新聞社

 尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が内乱の首謀者という容疑は明らかだ。すべての取り調べに応じていないが、事実上、自白に相当する数々の発言をしている。国会の解散を前提とした非常立法機関の設置、ハンギョレなどの批判的な報道機関の封鎖など、国憲紊乱(びんらん)を目的としていたことと暴動の証拠があふれている。

 ただ、そのためか、起訴状では尹大統領が内乱という罪を犯した「直接的動機」が相対的に明確になっていないと評されている。この隙を突いて尹大統領は「野党独裁に対する警告のための戒厳」だったとの無理な主張を繰り返しているというのだ。長期間にわたる内乱謀議と順次実行、国会の解散と中央選挙管理委員会の掌握の試みなどに照らしてみると、内乱の直接の目的の全体像については「自身とキム・ゴンヒ女史の刑事処罰の回避」はもちろん、検察と軍を前面に押し立てた「尹錫悦式の長期政権」を思い描いていた可能性も調査すべきだ、とも指摘されている。

 検察は、A4用紙で101ページに達する起訴状で、国政状況についての認識▽軍の主な指揮官の集まりと政治状況の不満の吐露▽発言の強硬化などに項目を分け、巨大野党に対するコンプレックスと不正選挙だったとの妄想にとらわれた最高権力者が「自己催眠的国家非常事態宣布」に至る過程を説明している。犯行の動機とみなしうる部分には7ページほどが割かれている。

 起訴事実によると、尹大統領は昨年3月ごろからキム・ヨンヒョン前国防部長官(当時は警護処長)らに、軍部を動員した非常大権(大統領の権限)など、非常戒厳を念頭に置いたような発言をしはじめた。尹大統領は、非常戒厳を最終的にいつ決意したかについて「11月29、30日ごろ」(2月4日の弾劾審判弁論)と主張している。「監査院長の弾劾案が提出されるとの話が出てきた際に、キム・ヨンヒョンに戒厳の話をした」という。尹大統領は12・3非常戒厳宣布談話、12・12国民向け談話などで、戒厳宣布の理由として、監査院長と検事の弾劾▽予算削減▽不正選挙の確認、などをあげている。

 チェ・ジェヘ監査院長は、大統領官邸移転の違法疑惑に対する手抜き・でっち上げ・手加減監査で問題になった。民主党がチェ監査院長の弾劾の推進を表明したのは昨年11月1日、弾劾訴追案が国会本会議に上程されたのは11月28日だ。キム・ゴンヒ女史のドイツモーターズ株価操作事件を嫌疑なしとしたソウル中央地検のイ・チャンス地検長らに対する弾劾推進と本会議への上程も、同じ時期に行われている。民主党は、2025年度政府予算案の審査を前に、検察の特殊活動費の全額削減などを予告していたが、国会予算決算特別委員会で増額なしの減額案が野党単独で処理されたのは昨年11月29日だ。

 尹大統領は国政状況に対する不満がつのり、打開策としての戒厳の必要性について「苦悩」した末、それを最終的に決意したのは「11月29日」だと主張する。これは事実でない可能性が高い。非常戒厳の宣布を前提とした尹大統領の具体的な準備は、少なくともその45日前から実行されていた。

 尹大統領の起訴状によると、戒厳軍の実際の選抜は、2024年10月14日まで遡ることができる。

 起訴事実によると、キム・ヨンヒョン前長官は昨年10月14日ごろ、ムン・サンホ国軍情報司令官に「ノ・サンウォン将軍がやる仕事を手伝ってやれ」と指示したという。キム前長官とノ・サンウォン元情報司令官は、中央選管の職員の不正選挙関与疑惑を捜査することを目的とした「戒厳司令部傘下の第2捜査団捜査第2、第3部」の要員の選抜を計画していた。キム・ヨンヒョン→ノ・サンウォン→ムン・サンホ→情報司令部のキム・ヨングン大佐などへとつながる秘密のラインが稼動し、(特殊任務隊の)HID所属要員の選抜と中間報告がなされたという。検察はその時期を「2024年10月中旬」であると把握している。

 大統領関連事件の捜査経験を持つ元検察官の法曹人は6日、「民間人のノ・サンウォンは陸軍士官学校の先輩であるキム・ヨンヒョンの指示のみによって動いていた。キム・ヨンヒョンは尹錫悦の指示を受けて動いていた。戒厳司令部合同捜査団の傘下組織である第2捜査団が本格的に組織されはじめたといわれる2024年10月中旬は、尹大統領が戒厳宣布の理由としている監査院長と検事の弾劾案の提出や、民主党による予算削減よりも前だ」と指摘した。

 
 
尹錫悦大統領が6日、ソウル鍾路区の憲法裁判所で行われた弾劾審判第6回弁論に出席し、考え込んでいる=共同取材写真//ハンギョレ新聞社

 「2024年10月中旬」の政治・安保状況は、尹大統領を窮地に追い込んでいた。

 キム・ゴンヒ女史のドイツモーターズ株価操作事件に対する検察の嫌疑なしとの判断を前に、野党はもちろん、与党からも圧力が強まっていた。与党「国民の力」のハン・ドンフン代表(当時)は、龍山(ヨンサン)の大統領室内のキム・ゴンヒ女史系関係者を念頭に、大統領室の人的刷新を要求していた。ミョン・テギュン氏による「尹錫悦、キム・ゴンヒ夫妻と大統領選挙を前に毎日電話していた」との暴露もあった。国政監査では、監査院による大統領官邸移転疑惑に対する手抜き・でっち上げ・手加減監査が集中砲火を浴びていた。

 北朝鮮は、ビラに続いて平壌(ピョンヤン)上空に韓国の無人機が侵入したとして、「戦争勃発の導火線」、「対応報復」、「恐ろしい惨事」を予告し、波紋が広がっていた。これを否定せず黙認、ほう助する尹錫悦政権の意図が強く疑われていた時期だ。国軍防諜司令部が内乱・軍事反乱犯である全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)の写真を掲げていたことも明らかになっていた。

 尹大統領は「巨大野党の議会独裁に対する警告のための戒厳」だったと主張しつつ、監査院長の弾劾訴追案の提出が非常戒厳宣布の決定的ボタンだったと述べたが、それよりはるかに前から秘密組織を通じて戒厳軍の選抜に着手していたのだ。

 野党のある議員は「非常立法機関の設置構想などに照らしてみると、単なる不正選挙疑惑の確認ではなく、長期政権を計画していた可能性もある」と述べた。尹大統領をよく知る元検察官の弁護士は、「尹大統領は検察時代から不正選挙を疑っていたというが、ならば検察に捜査させておけばよかったのだ。今になって不正選挙疑惑の確認や野党に対する警告を語るのは、後からとってつけた言い訳であり、実際の狙いは自身と妻の刑事処罰の回避と、立法と選挙事務の掌握を通じた政権延長だった可能性がある。残りの弾劾審判弁論では、これについての調査と尋問がなされるべき」と述べた。

キム・ナミル記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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