15年ぶりに村上春樹の「1Q84」を読んだ。
二度目だが、小説の細部はほとんど忘れていた。
あらためて読んだ感想は、本当に素敵な小説だった。
前回読んだときより、心が揺さぶられた。
歳を取っているのだけど、気持ちが若くなっているのだろうか(笑)
小説のややこしいことを全部省くと、青豆と天吾の恋愛小説だ。
村上春樹の小説の中でも、個人的にベストだと思う。
主人公の青豆は、「証人会」の信者だ。
証人会(架空)はキリスト教の分派で、聖書に書いてあることを字義通に実行する。
例えば、輸血を一切認めないなど。
青豆は、その信者であることで、同級生から無視されている。
青豆が小学4年生(10歳)のとき、小説の中に出てくる1シーン。
青豆は理科の実験で、手順を間違える。
それで、同じ班の同級生に宗教のことを揶揄され、いじめられる。
それを見ていた天吾が、青豆を自分の班に入れて、実験の正しい手順を教える。
そのようにして、天吾は青豆を助ける。
青豆は天吾に恋をし、天吾の手を握る。
よく晴れた12月の初めの午後だった。窓の外には高い空と、白いまっすぐな雲が見えた。放課後の掃除が終わったあとの教室で、天吾と彼女はたまたま二人きりになっていた。ほかに誰もいなかった。彼女は何かを決断したように足早に教室を横切り、天吾のところにやってきて、隣に立った。そして躊躇することなく天吾の手を握った。そしてじっと彼の顔を見上げた(天吾の方が十センチばかり身長が高かった)。天吾も驚いて彼女の顔を見た。二人の目が合った。天吾は相手の瞳の中に、これまで見たことのないような透明な深みを見ることができた。その少女は長いあいだ無言のまま彼の手を握りしめていた。とても強く、一瞬も力を緩めることなく。それから彼女はさっと手を放し、スカートの裾を翻し、小走りに教室から出ていった。(BOOK1 p275 引用)
このあと、青豆は転校する。
そして、二人は離ればなれになり、20年の月日が流れる。
20年後、天吾と青豆が30歳になってから、この物語がスタートする。
この物語は、人を愛する話である。愛される話ではない。
信仰は、困ったときに神に助けてもらうことではない。
神を無条件で信じることである。
無条件で人を愛すること。無条件で神を信じること。この2つはよく似ている。
強い想いは、目に見えない。
私が「あなたを愛している」「神を信じている」と大きな声で言ったところで、
その言葉は空虚なものに過ぎない。
では、この私の強い想いは、どうすれば通じるのか?
それは、試練である。
ありとあらゆる試練が私に降り掛かってくる。
その試練を乗り越えて、それでもなお、あなたを愛し続けられるのか、と問われているだ。
今の時代、いかに人に愛されるか、人に承認されるか、ばかりが目に付く。
馬鹿だと言われようが、アホだと言われようが、
愚鈍に人を愛することが困難な時代である。
人を愛することは、コスパが悪いのである。
なんの見返りもなく、人を愛することは、孤独な行為だ。
そのような愛の行為は、限りなく信仰に近い。
それでも私は、馬鹿だと言われても、アホだと言われても、人を愛したい。
まあ、馬鹿なんだと思う。
そんな人を愛する小説を読んでみたい人は、おすすめする。
最後は、ハッピーエンドだし。