「自閉症は津軽弁を話さない」という面白い本があります。
妻の何気ない「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ」というひとことに、
私は10年ものあいだ「本当に?」「どうして、なぜ?」と問い続けました。
そして同時に湧き上がった疑問。
「なぜ、他の人は目の前にあることを不思議に思わないでいるのだろう」
このようにして、著者は自閉症の子供が方言を話せない秘密を解明していきます。
なかなかスリリングな話ですよね。
謎を解明していく探偵のようです。
僕も田舎育ちですから、標準語と方言を使い分けます。
最近は、新潟弁を話さなくなったので、かなり忘れていますが、
それでも田舎に帰ったらすぐに戻ります。生まれつきの言語ですから。
でもね、僕は新潟に帰ったからといって、すべての人に新潟弁を話すわけではありません。
ほんと親しい人だけです。
親しい人は、標準語で話すのを失礼に感じてしまい、無理矢理にでも方言で話します。
逆に、あんまり親しくない人は標準語で話した方が楽です。
つまりですね。僕の心理的距離感によって、方言と標準語を使い分けているわけです。
親しい人には方言で、そうでない人には標準語で。
自閉症の子供は、心理的距離感がわかりません。
だから方言と標準語を使い分けられないのですね。
言葉は心を表します。
初対面の人にため口をきいてくる人は失礼のように思えますが、
逆で、ため口で話すのはあなたと仲良くなりたいからなんです。
あなたとの心理的距離感を縮めたいんです。
だから、他人の言葉に注意を傾けましょう。
他人の本当の心を知るために。
そして、自分の発する言葉に注意しましょう。
自分の心が読まれないように。