かいつぶりの日々

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【地域レポート】鑑定のひろばに掲載されました。

2023年07月26日 | 地元探索
ここ最近、私は本業のほかに文章作成の用事が多く、ずっと原稿ばっかり書いています。
鑑定評価書は毎日のように書いているのですが、独特の言い回しじゃない普通の文章を書くのが結構大変です(笑)

今回は日本不動産鑑定協会連合会(本会)の会員向け冊子「鑑定のひろば」に寄稿、
地域レポートのページで滋賀県について紹介させていただきました。

他府県の先生の文章見て、なかなかハードル高いな…、と思い、歴史的な観点から琵琶湖をピックアップ、
調べるととても面白いことがわかりました。

本文を抜粋すると…

古代~近世にかけて都は京都にあり、滋賀県は近江国として都の東隣に位置していた。律令時代以降、日本は都を中心に五畿(ごき)七道(しちどう)に分割され、大和、山城(山背)、摂津、河内、和泉の五カ国を畿内とし、他の地域を東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七道とした(地方の呼称と同時に街道(官道)の名称となった)。近江国(滋賀県)は都から伊勢方面に向かう東海道沿いに存しており、都と東海地方を結ぶ重要な要衝となった。江戸時代には江戸へ続く五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)が整備され、東海道と中山道は近江国で合流し、都へのジャンクションとなった。その街道沿いには定期市や座(当時の商工会)が開かれ、多くの人が集まりその宿場町は栄えた。このように近江国は主要街道の整備により経済的な恩恵を受け、かの近江商人が誕生したのである。

近江国の地理的な大きな特徴として、琵琶湖の存在があげられるであろう。琵琶湖には460本もの河川が流入しており、生活用水の水源であると同時に近世までは物流の要となっていた。すなわち河川と琵琶湖が日本の東西を結ぶ水上の街道となり、陸路を補完するものとして移動・運搬手段として利用された。特に、現在の長浜市の塩津港から大津港を結ぶ湖上水運は、北陸(敦賀)と都を結ぶ最短ルートとして、北陸の物資運搬のほか朝鮮半島や大陸との交易にも大きく貢献した。このように琵琶湖は日本の東西・南北を結ぶ水上バイパスとして大きな役割を担っていた。また、平安時代の平重盛に始まり、幕末・明治時代に至るまで幾度と敦賀から塩津を結ぶ運河の建設が計画された。
(以上著者原文まま)

滋賀県って陸路でも、水上でもターミナルとして機能していたんですよね。
もちろんこのあと戦国武将がこれに目をつけて覇権争いをします。
いまでも、琵琶湖が真ん中にあるにも関わらず、新名神、名神高速、北陸道、各種バイパスで道路網が縦横無尽に整備され、琵琶湖の上には近江大橋、琵琶湖大橋が存しており、交通の要所となっています。

これからも日本のジャンクションとして歩み続けるのでしょう(^^♪


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