母の介護が終わって、いろいろと反省するところも多いというのが現実です。
そのような反省が、これから介護をする方にとって、何らかのお役に立てばと思います。
私は、「なんとか回復してもらいたい」という思いで介護をしていました。
ただ、デイサービスでの訓練のようなものは途中で止めて、私が、運動器具を使って寝たまま筋肉を震わせたり、ときどき歩行訓練等をやっていました。
通っていたデイサービスが業務を停止したため、新しいところへ行こうと検討はしていたのですが、母が、車に乗ると気分が悪くなること、母が、行きたくないような意思を示したので、ズルズルと時が流れてしまいました。
母が、元気なときに、母の同級生が亡くなりました。
母が、ご主人に、お悔みの電話をしたところ、ご主人は、次のような後悔の言葉を述べたそうです。
「よくなると思って、辛いリハビリをしたが、こんなに早く亡くなるとは思わなかった。こんなことなら、本人が泣くような辛いリハビリをさせなければ良かった。」
私は、この話を聞いていたので、母には、無理に、デイサービスに通い、訓練をすることを無理強いはしませんでした。
ただ、「なんとしても、回復させてみせる」という思いはありました。無理をせず、少しずつ、少しずつ、できることを積み重ねるようにして、です。
自我力でした。
ある意味、もがいていたかもしれません。
自分は、神さま仏さまでもないのに、できると思っていました。
一方で、「人は、この世で、永遠に生きることはできない。」という考えも持っておりました。
私の思いは、一般の人から見ると、ちょっと複雑かもしれません。
そして、回復することもなく、母は、少しずつ体力が衰えていき、帰天することになりました。
自宅での訓練は、そんなに厳しい訓練を継続した訳ではありません。
母が、時には、「痛い」とか、「きつい」とか言うこともあり、そのときは、中止しました。
プロティンを飲ませて、下痢をしてしまったこともあります。
プロティンは止めて、下痢をしないようなドリンクを少しずつ飲ませることに替えました。
今、思えば、「いずれ亡くなることを理解して、家族のそばで、のんびりと過ごさせてあげることが幸せなのではないか」ということです。
訓練すれば、機能維持または回復できる状態と、それができずに、少しずつ衰えていく状態との見極めが必要なのですが、難しいと思います。
この見極めを適時にすることができれば、もう少し違った介護となったのではないかと思います。
このような反省をしていますが、全て駄目だった訳ではありません。
できたこともあります。
できなかったことは、母に詫びたいと思います。
完璧な介護なんて無理だと思います。
より良い介護を目指すことができれば、良いのかなぁというのが、私の考えです。
より良い介護とは何かというと、それは、千差万別で、一言で説明するのは、難しいのですが・・・
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
いつもの高崎山、鶴見岳、由布岳です。
この日は、天気がよく、高崎山がくっきりです。
では、また。