CGSというユーチューブ動画の中で、日本の歴史に関する動画を見つけました。
私たちが、学んだこと、現在の日本の常識的なもの、テレビ、新聞、教育(歴史教育)で言われていることとは、違ったものですが、私たち日本人が、知っておくべきことだと思います。
斎藤武夫さんという方が講師をされ、参政党の神谷宗幣党首が進行役のような感じです。
中学生向けの授業ですので、分かり易いと思います。
以下、内容です。
今回のテーマ「大日本国憲法」は、教科書では、ひどい扱いになっている。
まるで、天皇の独裁政治だったような、そういう思い込みを持たせるような、民主主義以前のものだったというようなニュアンスで書かれている。
しかし、「大日本国憲法」こそが、日本の民主主義の土台を作ったスタートだった。
なんで、「大日本国憲法」を悪く教えているかというと、現在の「日本国憲法」が素晴らしいもので、過去のものは、ひどくて悪かったから、否定された、というような政治的な思惑が、歴史教育の中に入ってしまっている。
19世紀、当時の独立国(植民地ではないところ)の政治
A.君主専制性…君主の独裁政治(ロシアなど)
B.共和制…王がいない立憲政治(王を殺したフランス、王にバイバイしたアメリカ)
C.立憲君主制…伝統ある君主が統治する立憲政治(イギリスなど西洋の本流)
藩閥政府も自由民権も「C.立憲君主制」を支持していた。
公民教育では、日本は、現在、共和制とされている。
立憲共和制という言い方はタブーである。
天皇がいる共和制という言い方をする。
国民主権という言葉で語られている。
伊藤博文は、ドイツに留学して、立憲君主制の憲法を学んだ。
シュタイン先生の教え
・憲法は、国の形を表す。
・ドイツ憲法はイギリスに学んだが、ドイツの伝統を生かしている。
・古い伝統のある日本には、日本にふさわしい憲法があるはずです。
・日本の歴史と伝統に基づいた日本の憲法をつくりなさい。
伊藤たちが考えた日本の政治の伝統
1. 天皇中心にまとまる国だった。天皇の前では、貴族も民衆も皆平等という考えがあった。
2. 大昔から国民は「大御宝(おおみたから)」と呼ばれ、政治は国民の幸福のために行われるという伝統があった。
3. 朝廷・幕府の政治のほとんどが合議制だった。
グナイスト先生の教え
・国民は利己主義で、自分たちの利益のために投票する。
・国全体のことを考える議員は選ばれない。
・議会(国会議員)は政府のやることに反対する場合が多い。
国会には話し合いだけさせて、予算も法律も内閣が決めるのが良い。
議会の力を小さくする → 政府の政治が協力に推し進められる → 西洋列強と対等な独立国日本が実現する
立憲政治の下では、政治(内政・外交・軍事)=法律+予算
法律と予算を誰が決まるか(国会か内閣か)で、立憲政治の内実が決まる。
Q. 皆さんが伊藤博文だったら、グナイスト先生のアドバイスに従いますか?
A.従う(政治は、政府=内閣が決める)
B.従わない(政治は、国民が選ぶ国会が決める)
明治22年(1889年)2月11日 紀元節
大日本帝国憲法発布
第37条 すべての法律は帝国議会が決める
第64条 毎年の国家予算は帝国議会が決める
国民の人権は、当時の西洋人が心配するほど十分に認められた。
日本の歴史と伝統を生かした憲法になった。
第1条 大日本国憲法は万世一系の天皇これを統治
となっているのですが、実際、天皇は、政府と議会が対立したときは、それをまとめる役割を担った。
「グナイスト先生は、アジア人には、立憲政治・民主政治は無理だろうとお考えのようだったが、私は、このように考えた。
日本人は、私の利益だけでなく、国のことを考えて投票できるだろうと。
だから、法律も予算も国会で決める真の立憲政治にしたのだ。」伊藤博文
大日本国憲法は、法律案の最終議決権を議会に持たせない・国民の人権規定がないドイツ憲法よりも、はるかに、立憲制度の理想を実現した憲法でした。
憲法の評価 板垣退助「自由党史」より
「ひとたべ憲法が発布されると、国中あげてまるで戦争に勝って凱旋するような気分になり、皆、永年の望みがついにかなったことを喜び、お互いに慶賀しあい、一晩で、藩閥政府対民権運動の抗争を忘れたかのようなありさまであった。」
「前の日まで死を賭して争ってきた人々も、すべて忘れて、和気真にあいあいたるものがあった。」
Q.西洋列強も大日本国憲法を高く評価しました。では、不平等条約を改正したでしょうか。
A.改正した
B.改正しなかった
答えは、改正しなかった。
なぜでしょうか。
ビスマルクの言葉
「欧米列強は、国際法にルールに従うように見えるが、本当は、弱肉強食の世界だ。最後は、軍事力がすべてを決める。」
つまり、不平等条約の表向きの理由は、文明国=立憲制度だったが、真の理由は、欧米の国益だったということ。
第1回総選挙の結果
政府支持議員 84名 自由民権派 171名
Q.大日本国憲法は、天皇の独裁制なのか(大日本国憲法下で、明治、大正、昭和の天皇陛下が、内閣・議会・裁判所が決めたことを、変えさせたことは何回あったか? 政府が機能しない有事のときは例外です。
A.1回もなかった。
B.8回あった。
C.68回あった。
正解は、A.1回もなかった、です。
教育に関する勅語(1890年明治23年10月30日
立憲政治・民主政治を支える国民の育成を目指した。
起草した井上毅は、原案の宗教色を取り除き、「君主(天皇)は、国民の良心の自由に干渉しない」ことが重要であるとし、国際的にも普遍性のある徳目をしめすこととした。
日本の近代道徳の始まり。
教育勅語の徳目
親孝行、兄弟、姉妹は仲良く、夫婦はいつも仲睦まじく、友達は信じあう、慎み深くおごることなく、人々をあまねく愛する、勉学に励み職業に精進する、知識を養い才能を切り開く、徳を養い人格を磨く、公のため世のために働く、憲法を重んじ法律を守る、万一非常事態になったら、正義と勇気の心を持って、公のためにつくす
その後、この教育勅語は、義務教育の重要な内容となり、日本の国民精神の背骨となったということです。
以上です
私は、全然の憲法や教育勅語に戻すべきという考え方は持っていません。
正しい歴史を知った上で、これからの日本のあるべき姿を考えるべきではないかという考えです。
約20分の動画です。
早送りでも構わないので、是非、ご覧になってください。
伊藤博文と大日本帝国憲法【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第55回】
このブログを見てくださった皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。
63歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
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