19日記事より。【大津市立中学2年の男子生徒が自殺した問題を巡り、生徒の両親が、いじめたとされる同級生3人と保護者、市を相手取った損害賠償訴訟で、18日に地裁であった第3回口頭弁論で、同級生側は暴力行為など「自殺の原因」と遺族側に指摘された行為の全てを否認した。
遺族側は事前に、「複数の教諭がいじめを目撃しながら放置した」とする準備書面を提出。これに対し、市側は「県警の捜査や第三者調査委員会の調査結果を待ちたい」とした第2回弁論の方針を変えず、この日は主張を保留した。
また、閉廷後に会見した遺族側の代理人によると、同級生側は、これまで遺族側が指摘していた暴力、「自殺の練習」の強要、恐喝などについて、そのほぼ全てが存在すらしなかったと全面的に否認したという。】
いじめの加害者とされた同級生3人は、第1回口頭弁論から一貫して全ての行為を否認している。もちろん保護者も同様で、対決の姿勢さえ明らかにしているという。生徒へのアンケートで色々な事実が明るみに出て、これだけ大きな社会問題となっても、いまだ反省の態度がみられないとは、何とそら恐ろしい人たちだろうか。
たとえ遊びの延長であったとしても、少なくとも自分たちの行為が自殺の原因の一つとなったことを認識すべきであろう。人一人が命を断ったという事実を直視すれば、よほどの極悪非道な人間でない限り、自分たちのしたことを後悔し、反省する態度を見せるのが普通だろう。が、これほどまでに頑強に全面否定し続けられる強い精神力はどこからくるのだろう。
未成熟の14歳の子どもに知恵を授けられるのは親しかいない。少年たちは今となっては親だけが頼みの綱だろうが、ことの善悪の判断さえもつかないバカ親に何ができようか。親の言うとおりにしていれば罪を逃れられると思っているのだったら救いようのないバカ息子である。
加害少年Aは事件後、京都市内の高校へ転校した。転校先では無視されているそうだが、本人はシレッとしているという。同じく少年Bも京都府宇治市に引越し、両親の離婚で家庭崩壊。転校先でも暴力沙汰を起こしたとも報じられている。少年Cだけは今も同じ中学に通っているが、反省している様子はまったく見られないという。こんな子どもが成長してどんな大人になるのか、考えただけでも恐ろしい。
たとえいじめが立証されず無罪放免になったとしても、世間からはより厳しい目で見られるだろう。昔のように情報の少ない時代なら、遠くへ引っ越してやり直すことも可能だろうが、この情報過多の世の中で、どこへ行こうが、ネットの情報網から逃れることは不可能であろう。
今、ここで反省し罪を認め、更生して社会復帰すれば少しは世間の見る目も違ってくるだろうし、やり直すチャンスも与えられると思う。なのに、彼らの親はなぜ、わが子の将来を考えないのか。一生、息を潜めて生きてゆくことになるかもしれないと考えたことがあるのだろうか。可愛いわが子だからこそ守りたいという気持ちも分かる。だが、それが子ども達のために良い事かどうか、子どもの将来をダメにするとは考えないのだろうか。きっと、この親たちはわが子の将来より、自分達の社会的地位や立場、面子が大事なのであろう。
「この親にしてこの子あり」と言われるように、子どもは親の背中を見て育つのである。親がもっとまともだったら、こんな残酷ないじめなどする子にはならなかったかもしれない。親の学歴や社会的地位は子どもには関係ないのだが、虎の威を借りてやりたい放題やる子どもを御し得なかった親の責任は大きいといわざるを得ない。
昨今、大津のいじめ事件以後、あちこちの学校で過去のいじめ問題が明るみになっている。そのたびに学校の対応のまずさ、事件を隠蔽しようとする教育委員会・校長の発言には怒りを禁じえない。勤務評定を恐れるような校長・教師に子どもを教育する資格などない。担任教師がしっかりしていたら、いじめは絶対に防げる…、そう思っている教師がどれだけいるだろうか。
もはや、我が子の将来などまともに考えてはいないのでしょう。
恐喝などは調べれば簡単にわかると思うのですが・・
もう名前もはっきり公表すればいいと思います。
高学歴で社会的地位があっても、こんな人間は親になる資格はありませんね。
子どもが可愛いなら、ここで軌道修正してやらなければ一生をダメにすると、なぜ分からないのでしょうか。
この子たちが社会に出たとき、世間は受け入れてくれるでしょうかね。
昔の親と今の親の子どもの育て方は違いますね。
本当に情けないというか、親を教育しなおす必要がありますね。