先日、「おひとりさまは入院は無理?」というネット記事があった。高齢者になれば若いときよりも入院する可能性が増えてくるのに、おひとりさまは敬遠されるとは、ちょっと心外である
入院すると必ず身元保証人が必要になる。病院が求める身元保証人は、金銭的な債務保証と、死亡時などの身柄の引き取りを保証するためのものだが、これに法的な根拠はまったくない。が、大方の病院が身元保証人を求めてくる。また、病院によっては事前に多めの入院保証金を入れれば身元保証人が不要な病院もあるという。昔は「地獄の沙汰も金次第」と言われたが、今や現世も来世も金次第か? まったくイヤな世の中になったもんだ。
また、手術となると同意書に家族もしくは親族が署名捺印をしなくてはならない。が、天涯孤独だったり、家族や親族がいても遠くにいたり、日頃から仲が悪かったり疎遠だったりすると引き受けてくれないこともあろう。そんな時はどうすればいいのかネ。まさか、病院は手術同意書がなければ手術しない、なんて言わないだろうけど…。
おひとりさまの気楽さに慣れてくると、普段は家族や親戚なんていなくても困らないと思う。が、こういう場合には、おひとりさまは社会的に弱い立場にあることを実感せざるを得ない。
もう8年くらい前になるが、急性虫垂炎で緊急手術ということになった。入院の時、身元保証人が必要になったので近くに住んでいる親友に署名・捺印してもらった。身内はいたが遠かったので親友に頼んで、病院へは従姉妹ということにしたが、別に深く追求されることもなかった。また、大手術ではないので手術同意書は不要だったのか、確認書に私本人が読んでサインしただけだった。要は、「手術中に何が起きても文句はいいません」という確約がとれればいいということだろう。
しかし、おひとりさまは入院のことより、一番心配なのは急に体調が悪くなったときである。以前、マンションの同じ階の人(顔見知りという程度)と立ち話をしていたら、突然、目の前で崩れ落ちるように倒れたのでびっくり。すぐに救急車を呼んであげたが、救急車を利用するのも簡単ではない。倒れた人もおひとりさまだったので、救急隊員は、同乗して病院へ行ってくれる人を探したり、連絡先を知っている人を探したり、大変だった。幸い、ここに長く住んでいた人なので親しい人がいて、その人が同乗して病院へ行った。
私は普段からマンションの住人とはあまり深く付き合わないようにしているので、こういう場合は困る。そこで、万一救急車を呼ぶようになった時のために、市が配布している「救急医療情報キット」を利用することにした。「救急医療情報キット」とは、ひとり暮らしの高齢者などが、自宅で万一の事態に備えるための道具である。救急医療活動に必要な氏名、生年月日、血液型、服薬内容、かかりつけ医、緊急連絡先などの情報をシートに自分で記載し、円筒形のプラスチック容器に入れ、自宅の冷蔵庫に保管しておく。
「救急医療情報キット」シールが2枚あり、1枚は玄関ドアの裏側、もう1枚は冷蔵庫のよく見えるところに貼っておく。それを見た救急隊員は冷蔵庫に保管してある容器を取り出し、必要な情報を得るのである。
私は、そのシートとは別に、献体カードや延命治療お断りカード、健康保険証、財布などの在り処、同乗者はいないので病院に着いてから連絡先に知らせてくれるように、など記したメモを入れている。が、これは自分で救急車を呼べる状態のときのことで、おひとりさまはいつどうなろうと、運を天に任せるよりほかない、そういう覚悟が必要だろう。
完璧なオールドレディさんに見倣いたいと、常々に思いながら、何しろ能天気な上行動力伴わない意気地無し、なんとかなるだろうなんて甘い考えで
窮屈この上ない現社会のシステムで楽死は夢物語かな
自分ひとりの身さえ始末はなかなか難しい
これだけ用意周到に準備していたら、きっと長生きするよ、とよく人に言われます。それは願い下げにしてもらいたいけど、何せ世にはびこる部類の人間なので…。トホホ
あと何年か、指折り数えて待つものでもなく、結局、なるようにしかなりません。が、ほんと、生きるのも死ぬのも難しいですね。
若いうちから先々のことを考えて、計画的に行動することはいいことです。が、昨今はお墓や仏壇をもたないという風潮になっています。色々考えさせられますね。