最近、不用品買取業者から「使わない不用品はありませんか?」と、よく電話が掛かる。中にはしつこい業者もいるが、「就活して何にもありません。残っているのは私だけです」と返答すると諦めてくれる。
不用品でも処分できるものはいいが、どうにも処分できない古い物がある。言うまでもなく“私”だが、こればかりはお金を付けても引き取ってくれないから困る。有料の姥捨て山でもあればいいのに…。
先日、洋服ダンスの隅に古い物差しがあるのに気が付いた。物差しの裏に「昭和52年1月7日」と私の字で筆書きがしてある。今から40年前というと私は36歳。ちょうど和裁を習い始めた頃である。
近くに裁縫教室があって、そこには20~30代の女性が10人くらいいた。彼女たちはそこで着物の縫い方を教わりながら、呉服店から依頼された着物を縫っていた。もちろん、先生の目に叶った腕前でなければならないが…。
何ヶ月か経ってどうにか縫えるようになった。最初は母の着物をほどいて単衣を、そして次は合わせの着物を縫い直した。また、亡父の着物が何枚かあったので、ほどいて3歳の甥の着物と陣羽織を縫ってやった。
極めつけが姪の七五三の着物である。先生に手取り足取り教えてもらいながら無事に縫い終わった。が、長襦袢の袖に入れるべきでないところに鋏を入れてしまった。これが身内の着物でよかったものの、鋏を入れる所を一つでも間違えたらもうおしまいである。着物の仕立てがどんなに大変な作業か、とても他人様の着物など怖くて縫えない。そう思って縫い物は止めた。物差し一つにも懐かしい思い出があった。
ついでに古いものを探したら、漢和辞典、国語辞典、英和辞典、和英辞典があった。漢和辞典は昭和55年5月、国語辞典は昭和54年6月、英和辞典と和英辞典は昭和42年9月と記している。
最近はパソコンの辞書で十分間に合うので、辞書をめくることはほとんどない。が、たまにパソコンを起動するのが面倒なときは辞書で調べるが、古くても結構役に立っている。
また、日本ミニマップと世界ミニマップがあった。両方とも昭和60年に購入した古いものだ。時々開いてみるが、30数年もたてば大分変わっていて、国名が変わっていたりすると、国名索引では探せない。
30数年も経てば地形も地名も変わる。地図も変わって当然だろう。国内でも平成の町村合併で古い地名が消滅し、新市町村名に変わったところがたくさんある。そうなると古い地図は役に立たなくなるが、それでもないよりはましで捨てられない。
最近はGoogleマップで所番地を入力して検索すると写真付きで表示されてびっくり! ことばや漢字はパソコンなら瞬時に探せる。なんと便利になったことか。が、パソコンで覚えたことは瞬時に忘れてしまう。やはり手間ひまかけて辞書をめくらなければ…。が、この年になるとどっちでも同じ、すぐに忘れてしまうから…。
地図や辞典はめったに使わなくても、古くてあまり役に立たなくても、“私”よりはまだまだ価値があり、十分役に立つ。だからなかなか断捨離できないのである。
今が1年で一番良い季節ですが、気温の変化にはついてゆけませんね。
お元気ですか?
まだお若いのに、断捨離は早くありませんか? どんなものにも思い出があるものだと、この年になって思うことがあります。でも、イヤな思い出のものはすっぱり断捨離すべきですね。
お仕事見つかりました?
断捨離ですか・・わたしは卒業アルバムや卒業証書以外、小中高時代の教科書類や工作・作文類は全て処分したので、余り断捨離するものはありません。
寧ろブックオフで本を買ってしまったので、その整理に悩まされています。
同じ昭和16年生まれ、これからますます肩身の狭い思いをしますね。
新聞で自治体の長が長寿祝いに訪れた記事をよく見ます。が、私は誰かさんの言葉ではないけど「恥ずかしながら」という気持ちがいっぱい。記事はもちろん、税金でのお祝いの品も絶対に辞退しようと決めています。
もう不用品のババは生き字引にもなれませんわ。トホホ
それでも細々したアイテムは手元に。
旧い木製の物差しなど愛着あるものは思い出と共に残ってゆくものですね。
我が家も亡くなった明治、大正生まれの義父母の遺愛?品は別として、もう今では昭和16年生まれのsirousagiが残っている一番古いものでしょう。!
実用書は状況変化目まぐるしく新刊本へ。
趣味の古代史関係の参考文献さえ、昭和30年代に名著と言われた書籍でも、いまでは時代遅れの研究書。
偉い先生の論文がこれではsirousagiなどこの世に蔓延る事は罪では?
う~ん困った困った。