【カバー写真:2016.5.19 五月晴れ】
雲ひとつない五月晴れ、澄み切った空気を胸いっぱいに吸って、さあ歩こうか。どこまでも続く青空、あちこちから鳥の声が聞こえてくるが、ウグイスの声しか分からないとは残念! 野鳥の姿もときどき見かけるが、鳥の声や名前が分かれば、また別の楽しみが生まれるのにネ。
私は毎朝ウォーキングのときにやっていることがある。100から3を、100から7を、100から6を引いてゆく。それから0から100まで、100から逆に0まで数える。次に、1月睦月、2月如月と12月までを旧暦の名称でいう。それが終わると、今度は1月から12月までと曜日を英語で言って終わり。
認知症は家族など身近な人が気づいて分かるそうだが、一人暮らしの私は自分で判断するしかない。だから、これを言うのにつまり始めたら認知症の始まりだと思って病院へ行くことにしている。
これだけ言うとちょうど折り返し地点だ。あとの片道はあちこちの花を眺めたり写真を撮ったり、もう何も考えないで歩く。これっていい考えだと思いません?
1週間も経てばもう違った花が咲いている。左の白い花は柚子の花かしら? 白い清楚な花が愛らしい。柚子の木は町内に何本かあるが、りんごの木とさくらんぼの木は1本だけ。りんごの花はもう散ってしまって、あとは秋に実がなるのを待つだけだ。
先日まで真っ赤な実がたくさんなっていたさくらんぼも、その家の主が収穫したのか、もうすっかりなくなった。赤い実がいくつか地に落ちているのは、鳥たちがついばんだあとだろうか。先日、「ごめんなさい。一つだけくださいね」とその家に向かってつぶやいて赤い実を1つとって口に入れたら甘くて美味しかった。さくらんぼの実を木からとって食べたのは初めて、75歳にして初体験である。
紫色の小さな花がびっしり、名前は知らない。見たこともない花がいっぱいあるが、花の種類ってこの地球上にどれくらいあるのだろうネ。目新しい花を見つけるたびに携帯でパチリ。こんな楽しみがあると分かってたらもっと早くにウォーキングを始めたのに…。
この花はテッセン。テッセンも色々種類があるらしい。
真っ白いシャクヤク、ふわふわと真綿のようだ。
バラの中では清楚な真っ白いバラが一番好き。
「いずれアヤメかカキツバタ」というが、これはアヤメだね。
アジサイの一種だと思うのだけど…。
これって、ナデシコだよネ。
とにかく工夫次第で認知症状を退けて、「お一人様の最期を潔く清潔に」と願わずにはおれません。
生きている間に目にする花々、耳に届く鳥類の囀り、風にも月にも慰められて、ちょっと感性を研ぎ澄ませばまあなんて大自然は豊かで変化に富んでいることか。
見えないものにもちゃんと魂は宿っていると金子美鈴は詩っていますよ。
先日のジジババ会で、寝たきりになったら食事を取らないようにすると早く逝けるそうだよ、とHさんがいう。そうか、それで逝こうか。でも、できるかしら?
どうあがいてもどうにもならぬのなら、それまでは花鳥風月を愛でながら、日々をケ・セラ・セラでゆこうか。はは、のん気だねー
まだ本当の地獄は見ず、これからですね。
努力だけは怠らず、認知症対策に真似させて
いただきま~す。
細々、モタモタでもブログ発信してる内は
“生きてます”の合図なのでよろしく
毎朝お地蔵さまに「認知症は勘弁してください」と拝んでいますが、手ぶらではご利益はありませんね。
もうどういう最期を迎えるにせよ、認知症だけにはなりたくない。これ以外は望みません。
そうですね、お互いブログを安否確認の場にすべく頑張りましょうね。