朝、W君の高熱は37,5度まで下がっていた。もう心配することはない、峠を越えた。昨夜の記憶はおぼろにあるのだろうか、彼の表情はちょっと空気が抜けた風船みたいだ。オーナーの親父が薬の飲み方や食事についてあれこれ教えている。ぼくはガンガ河畔を散歩しながらチャイ屋へ朝食に行く。死体焼き場には火がちょろ々と燃え煙が辺りに漂う、その横をすり抜ける。
通りには沐浴に向かう多くの巡礼者とガンガの聖水を持ち帰るインド人の流れがある。死は日常生活と平行しその空気は淀み重い。ぼくがベナレスを好きになれないのはそのせいかもしれない。
しかし今回はベナレスの神々に感謝する。一人の日本人の命を救ってくれた。オーナー、息子、ドクターそれと大学病院の医局、すべて幸運に恵まれた。
元気になったW君と別れる。ぼくは2週間のトランジット・ビザしか持っていない、2週間以内に第3国へ出国しなければならない。朝、8時ベナレス発のバスに乗ればゴラクプールには昼頃に着く、バスを乗り換え約1時間で印・ネ国境の町スノウリだ。
ボーダーで1ヶ月のビザを収得しポカラへ 10月下旬 マジックマッシュルームはあきらめていた が幸運にも2回フレッシュなものが手に入り飛んだ ついでにジャンキーからコ・パンガンの情報も得た
年内 インド ネパールのビザは使い切って滞在不可 バンコクしかない
1970年代のポカラ レークサイド のどかだった