この山に住んでいるババ達は自分の力であの急な階段を下りることは不可能だ。
ババ達はこのアシュラムで最後を迎えるのだろう、狭いアシュラムだが。
しかしババ達が修行で得た解脱の世界は大きく広がっているに違いない。
読経は続いている、それは死を直前にして横たわるババに聖なるガンガを夢想させている。
そのような場景をぼくはお堂の中に見たような気がする。
ヨギはぼくがお堂に入ることを許さなかった。
お堂の戸は閉められているが次の日も中から読経が聞える。
堂の正面を通り奥を見ると1棟の宿舎があり、堂との間に変な祠があるのにぼくは気づいた。
祠の前に消し炭が残っている。マントラ行の跡だろうか、死者の供養をやっていたのかもしれない。
ガンガの嵐
この旧アシュラムに入ったのは初めてだ。
各地から多くの信者が集まり先代スワミの供養をやっている。
その場所が表の陽だとすれば、
今ぼくが旧アシュラムと呼んでいるこの場所が裏の陰のように思える。
生と死は表と裏でありそれは何処かで繋がっている。
昨夜の雨は朝にはやんでいた。
風はガンガの流れに乗ってヒマラヤから吹いてくるが、昼には嵐になった。
風はガンガ河畔で乱れ砂を巻き吹き荒れた。
閉めた戸はガタガタと音をたて床や机の上に開いたノートに砂を降らせた。