ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

第11話  ヨガ・アシュラム・・・10   聖なるガンガ

2015-10-09 | 第11話  ヨガ・アシュラム

この山に住んでいるババ達は自分の力であの急な階段を下りることは不可能だ。
ババ達はこのアシュラムで最後を迎えるのだろう、狭いアシュラムだが。
しかしババ達が修行で得た解脱の世界は大きく広がっているに違いない。
読経は続いている、それは死を直前にして横たわるババに聖なるガンガを夢想させている。
そのような場景をぼくはお堂の中に見たような気がする。
ヨギはぼくがお堂に入ることを許さなかった。
お堂の戸は閉められているが次の日も中から読経が聞える。
堂の正面を通り奥を見ると1棟の宿舎があり、堂との間に変な祠があるのにぼくは気づいた。
祠の前に消し炭が残っている。マントラ行の跡だろうか、死者の供養をやっていたのかもしれない。
   ガンガの嵐
 この旧アシュラムに入ったのは初めてだ。
各地から多くの信者が集まり先代スワミの供養をやっている。
その場所が表の陽だとすれば、
今ぼくが旧アシュラムと呼んでいるこの場所が裏の陰のように思える。
生と死は表と裏でありそれは何処かで繋がっている。
昨夜の雨は朝にはやんでいた。
風はガンガの流れに乗ってヒマラヤから吹いてくるが、昼には嵐になった。
風はガンガ河畔で乱れ砂を巻き吹き荒れた。
閉めた戸はガタガタと音をたて床や机の上に開いたノートに砂を降らせた。

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第11話  ヨガ・アシュラム・・・9    遊行という死への旅   

2015-09-29 | 第11話  ヨガ・アシュラム

 ヒンズー教では人生に4つの期があると考えられている。
人は生まれ成長しながら学ぶ期があり、
それがすむと一生懸命に働き妻をめとり家住期に入る。
夫婦は子供を生み育てる。その子供が成長し家住期に入る頃には
自分の両親がしたと同じように家を息子に託すと隠棲し修行を行う林棲期を迎える。
そして最後の遊行期に入るとガンガへの旅に出なければならない。
新しい生命の誕生により生命のサイクルは不可欠となり老いた親は遊行という死への旅立ちが始まる。
  インド人の輪廻
貧しい家では老いた両親を養っていく余裕はない。
そのようにして代々生きてきた、いずれ自分も遊行にでることを知っている。
聖地に無事たどり着くとダラムシャーラに入り物乞いをしながら死期を待つ。
以前ぼくは楢山節考という映画を見た。
貧しい農家は食いぶちを減らすため老いた親を背かごに乗せて険しい山へ運んだ。
その山は姥捨て山と呼ばれた。
この2つの場景は何故だか重なっているようにぼくには思える。
異なっているのは死後ガンジス河に流されると輪廻し
幸せな来世に生まれるというヒンズー教の教えによってインド人は救われる。


 Photo by M.Sakai

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第11話  ヨガ・アシュラム・・・8   ヨギとの会話 

2015-09-26 | 第11話  ヨガ・アシュラム

 少し落ち着いて周りに目を向けてみると、ここもそれほど悪くはない、
煩いインド人の話し声を聞かないで済む。外へ出るとリスが何匹も走り回っていた。
さっき文句を言ったヨギが近寄ってきて
「どうだ?」と聞く
「いや、さっきは文句を言って悪かった。良いところじゃない、ここは」
「そうだろう。あそこはアシュラムじゃない、ホテルみたいだ、そうだろう」
「うん、そうだ、そうだ、ホテルみたいだ」
「お金持ちにペコペコして、おかしいだろう」
とヨギは文句をたらたらと言う。
お堂から読経が聞えてくる。お堂の中はどうなっているのか、何があるのかぼくの興味は膨らむ。
あのお堂の中へ入って良いかとぼくは聞く、中へ入ってはいけないとヨギは拒絶した。
ヒンディー語できるか、だめかヒンディー語できないのか、とヨギは残念そうに呟いた。
 終着駅・・・
 ヨギとの話し声が聞えたのだろう隣からよぼよぼのババが出てきて
何するでもなくお堂横の長椅子に座る。
何処にいたのかインド服を着たこれも先が短いようなババが現れた。
食事の世話する人だろうか、買物に行くと言う鈍い兄ちゃんがいる。
そんな人間しかここにはいないのだろうか、
まだ他にも人が住んでいる気配を感じるが外を歩く者はいない。
何だかこのアシュラムは人生の終着駅のように思えた。

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第11話  ヨガ・アシュラム・・・7    スワミ(悟りを開いた人)   

2015-09-13 | 第11話  ヨガ・アシュラム

 昼、食堂へ行くと招待された多くのサドゥ達が、庭の敷き物の上で特別食を振舞われていた。
見ると集まったサドゥ一人一人に10ルピーの新札が渡されている。
まるで金持ちの宗教団体のようだ。
食堂の中はインド人で一杯になり席が空くのを待つしかない。
やっと席に着いて食事をしていると隣のインド人が話しかけてきた。
彼等はこのアシュラムの信者で先代スワミ(悟りを開いた人)の供養祭できていると言った。
先代スワミは人望が篤く現在のアシュラムを開き組織を大きくした。
このアシュラムは宗教協同組織というかトラストで各地に支部を開き多くの信者を擁しているらしい。
 長屋の各宿舎前には石板が取りつけてあり名前が刻まれている。
刻まれた名前の人のドネーションによって建てられた宿舎だと聞いた。
その人が来ればいつでも使えるし一生そこに住むことも出来る。
各地から信者が集まり宿舎の空きがない、そんな事情で旧アシュラムへ引っ越すように言われた。ちゃんとお金は払ってある、あんな汚いところは嫌だと文句を言ったが旧アシュラムへ追い出されてしまった。
荷物一式をバックパックに詰め込んで山道を歩いていると彼女達とすれ違った。
 トイレもシャワーもない、部屋の中には大きな蜘蛛が巣を張っている。サソリが現れないことを願う。何だこの部屋は、と責任者のようなヨギに文句を言ったが、よく考えてみれば彼には何の権限もない。どうせ5日間この部屋で生活をしなければならない。
必要な物を取り出しそれぞれの場所に置き生活の態勢を整えた。

中学校の運動会が終わった 近いというより隣だ 進行は生徒が行う  
スピーカーからの放送は今日まで キィンコォン カァンコァン 授業のチャイムは明日からだ

9月14日
失礼 今日中学校は振替休日でした チャイムは明日からです
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第11話  ヨガ・アシュラム・・・6  老ヨギ達のマントラ

2015-09-11 | 第11話  ヨガ・アシュラム

4月に入ると暑さが厳しくなった。
今までインド人の会話の中心は朝に夕にガンガだったが
次第にガラーム(暑い)という言葉が使われるようになった。
町は祭りに入っている。大勢のインド人達がこの小さな聖地にぞくぞくと集まって来る。
静かだったぼくのアシュラムもインド人達で溢れ、
ぼく達外国人は隣接する山間の古いアシュラムへ移動させられた。
今までのアシュラムとは細い山道で繋がっている。
朝夕の瞑想の行き来は暗く懐中電灯の明かりを頼っての通いとなった。
古いアシュラムの表門は高さ30段程のかなり急な階段の上にある。
それは階段というよりは山間の斜面の崩落を防ぐ為に作られたようにも見える。
人の上り下りを見たことはないし、古いアシュラムに滞在中ぼくも使ったことがない。
表の大通りを通るたび階段と門を見上げては、そこには何か建物があるのだろうと思っていた。
今回の移動で初めて古いアシュラムに入ったが何の目的で建てられたのか分からない。
ぼくが会ったのは高齢者のヨギだけである。
旧アシュラム内から地形をみると山間の浅い谷の前面にこのアシュラムは建てられている。
アシュラムの空気は静かだ。
流れるのではなく静かに止まっているように感じられる。
その空気を震わせているのはアシュラムの中心にあるお堂から聞える老ヨギ達の読経である。

日本にとってことの始まりは3・11だったのでしょうか 地球規模で巨大自然災害は多発している 人類は美しい自然を傲慢に破壊してきた 牙をむいた自然 調和は可能だ その道は残されている 
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第11話 ヨガ・アシュラム・・・5  迷走した瞑想   

2015-05-22 | 第11話  ヨガ・アシュラム

ぼくは瞑想をする前にアサナをチェックしてみた。
上半身を真直ぐに立てようとして腰に力みが入り下半身を硬くしている。
その為臀部、膝とくるぶし等の骨のある部分で、点として支えているのが分かった。
腰から下半身をリラックスさせると硬かった肉体が弛み点から面で上半身を支えられることに気づいた。
上半身にも力みがある。
ぼくは上半身の前後の倒ればかりを気にしていたが、左右の傾きがあることも分かった。
右肩が上がっている。それを少しずつ下げていくと背中の痛みが消えた。
痛みが消えたそこが正しい姿勢ではないだろうか。
ぼくはベッドの上で夜明けまで1時間の瞑想をした。
終ってみると何と気持ちの良い瞑想だったことか。
あれやこれや考えることもなく、穏やかな意識の中に入り自然に帰ってきた。
隣に住んでいる若いヨギの生活は1日中、修業に貫き通されている。
壁の向こうから絶えず彼が唱えるオームとマントラが聞えてくる。
ちょっと煩いが、それにぼくは少し影響を受けているようだ。
しかし気持ちの良い瞑想をしたばかりだというのに、もう目の前に別館下のババ達の顔がチラチラする。
ヨガを真面目にやろうとする気持ちとババ達の誘惑がぼくの心の中で葛藤する。
ババ達がぼくを呼んでいるわけではない。
ただ別館下に行かなければ良いだけのことなのだが、誘惑に弱いぼくはチャイ屋へ出かける用意をした。



食堂 朝食はない 昼と夜はここで食事だ 時間になると人が集まってくる
ゴザに座って待つ 右ドアの奥が厨房で用意ができると各人の前に食器が置かれる
昼はご飯かチャパティーとサブジ ダルスープ 夜は主食とダルスープだけ
唐辛子やニンニクなし 薄い塩味の不味いカレーだ
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第11話 ヨガ・アシュラム・・・4   ヨガにおけるリラクゼーション

2015-05-19 | 第11話  ヨガ・アシュラム

「皆は何をしている、お~う 瞑想はどうするんだ~ぁ」
ホールを掃除しているババはじっとぼくの顔を見て、何を言っているんだお前は、という顔をしている。
「今日は日曜日だろう、お前こそここで何をしている?」
今日は日曜日か、急にぼくは嬉しくなって部屋へ戻った。
村へ下りてもまだ夜明け前、チャイ屋もやっていないだろう。
何故かぼくは真面目になってヨガのアサナを勉強する気になった。
昨日マム・ヨギがレクチャーでリラクゼーションという言葉を使った。
瞑想はリラクゼーションである。
それが出来るようになれば日常や社会生活のどんな状況に対してもリラックスして対応する事が出来る、そんなふうにぼくは理解した。
毎日、瞑想をやっているが ぼくは何も理解していない。
瞑想中、支離滅裂なことばかり考えて1時間が終ってしまう。 
終る前には足が痺れ、蚊に刺されたところが痒い。
初心者だからしょうがないのだが、まだか、まだかと終わりを待っている。



食事を担当しているババ ちょっと あまり 清潔そうには見えない 
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第11話 ヨガ・アシュラム・・・3    瞑想と蚊

2015-05-17 | 第11話  ヨガ・アシュラム

1日、3回の瞑想で大切な朝と夕方はお婆ちゃんのマム・ヨギが指導する。
瞑想に参加しているのは外国人4名とハタヨガの指導員それに品の良い老夫婦、
最近ぼくの隣の部屋に入った若いインド人修行者の8人だ。
マム・ヨギのレクチャーの後、オームで瞑想に入るが空気がぴぃんと張ったような気がする。瞑想中ぼくが苦労するのは蚊の攻撃だ。
アサナのポーズをしたら身体は当然だが手も頭も動かしてはいけない。
ぼくはいつも皆の後ろに坐っている。
時々、薄目を開けて皆の背中を見るのだがピクリともしない。
ぼくは白い布で身体を蔽って防いでいるが首と顔は避けようがない。
キーンと蚊が顔の回りに飛んでいる。右から左へ飛んだ、上だ下だと耳が音を聞き分ける。
羽音が止むと急いで顔面筋肉をピクピクと動かす。
蚊は一旦飛び立つがキーンと顔の回りを旋回し隙を狙っている。
顔面の筋肉は動かせるが耳は無理だ。牛は偉いな、左右の耳を互い違い動かすことが出来るのだから。
 こんな日の瞑想は惨憺たるものだ。
1時間の瞑想で得たものといえば蚊の羽音と顔面筋肉の動かし方だけだ。
終わりのオームの声を聞くとやれやれと立ち上がりホールを出る。
外は爽やかな夜明けだ。
ホール正面の花壇を通って小さな広場の前に立つ。
木々の間から対岸のガートやアシュラムがぼんやりと見える。
ガンガの河面に朝靄が立つ、神秘的なガンガの夜明け。

 

PCの調子が悪かった 迷ったがバックアップを取って初期化 リカバリーをした
悪戦苦闘の4日間がやっと終わった しんどかったぁ~


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第11話 ヨガ・アシュラム・・・2  ハタヨガの指導員

2015-05-13 | 第11話  ヨガ・アシュラム

ハタ・ヨガの指導員はぼくと同じ長屋の奥に住んでいる。当然ぼくの部屋の前を行き来する。ぼくの部屋から煙草の臭いがしたのだろう、怒られた。
この男には気をつけよう、チャラスを吸っているところを見つかるとアシュラムから追い出されるかもしれない。
その他の禁止項目には大きな声や音楽を流すのも駄目、食事ではニンニクや唐辛子も駄目だ。食事は日本の精進料理のようなもので、たまに食べる分には良いが毎日となると不味いに決まっている。
インドの男性は結婚する相手以外の若い女性と親しく接する機会はない。
バザールで男同士が手をつないで仲良く歩いている姿をよく見る、がゲイではない。
ハタ・ヨガの指導員は素晴らしいヨガのポーズが出来る。
彼から毎日ヨガの指導を受けているのだが、
2人の若い女性に身近で見られているという快感からか奴には気合が入っている。
指導以外の難しいポーズを披露すると、
すかさず女性からオー・グレートと声が飛ぶ。嬉しそうな顔をして調子に乗る甘ちゃんだ。
そのくせ男に対しては厳しい嫌味な野郎だ。



彼は長屋の隣りに住んでいる 真面目な修行者だ ぼくにとっては難しいアサナのポーズを
教えてもらった 彼にとって毎日が修行なのだろう 壁越しにマントラが聞こえた
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第11話 ヨガ・アシュラム・・・1  外国人と禁止事項

2015-05-11 | 第11話  ヨガ・アシュラム

 今、アシュラムに滞在しヨガを学んでいる外国人はぼくを含めて4名しかいない。
女性が2名でドイツ人とスイス人だ、スイスの女性はちょっと可愛い。
もう1人がカナダ人でこの男はどうしようない奴だ。生活習慣の違いからくるものだろうが、胡坐も正座も出来ない。
ヨガで最も大切な瞑想を行うアサナ(坐法)が出来ないのだ。
胡坐を組めば後ろに引っくり返る、正座もアサナの一つなのだが膝が曲らなくてお尻が浮いている。
しょうがないので浮いたお尻を乗せる木の台を借りて瞑想をしている、がそんな姿勢ではまともな瞑想は出来ない。
カナダ人はいつの間にかやめていなくなった。
 アシュラムに入ると遵守や禁止項目を書いた書面を渡される。
良く読んでおくようにと念を押された紙には30項目ぐらいが書いてあった。
どうせ無理に決まっていると思って書面に目を通すと見つけた、煙草やドラッグは絶対に吸ってはいけない。



本通りからの細い山道を登ってここに着く 山の中にこんな平地があるとは
アシュラムのメインホールだ 瞑想 ハタヨガを学ぶ ぼくが住んでいた長屋は
坂を上ったホールの裏辺りだ
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